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連続ノンフィクション小説 ダムロン物語~あるチェンマイやくざの人生~ 第11話~第15話 by蘭菜太郎

ダムロン物語(3) ダムロン物語
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第15話:ダムロンがヤクザになるまで(2)

この頃、ダムロンは自分の金で酒を飲むことはほとんどなかったそうだが、この仕事の時だけは、さすがに飲まずにやることはできなかったそうだ。「構造上の問題で、男がその気にならないと白黒ショーはできないから、結構大変なんだ。」と言う。
「あれをやるには、まずすきっ腹でないといけない。腹がきついと、集中しにくい。ショーが始まる15分くらい前にメコン(タイの酒)を小さなグラスでに立て続けに2~3杯やるんだ。それまでは、何も飲み食いしてはいけない。すきっ腹に強い酒を飲めば、急激に酔いが回り始める。その酔いはじめの時が、一番都合がよい。完全に酔ってしまうと、これまたうまく行かないのでむずかしい。同業の仲間には薬を使う奴が多かったが、俺は一度もやらなかった。慣れてくると、その日の体調や酔い加減で、ショーの引き延ばしやはしょりができるようになるんだ。ショーの出来は、ある程度男役次第なので、相手役の女性はいつもかなり多めに用意され、男役が選べる。男役から選ばれなかった女性は、さらにハードなレズビアンショーなどに出されるので、男性が女役を選ぶ時には、女性は自分が選ばれるように盛んに媚を売るのが普通なんだ」と、私には想像もできない世界の裏話を自慢げに話してくれた。
そんな女役の娘達の中に、逆に目立たぬように静かにしている若い娘がいた。経験の長い女性の中には、自分が主役になれるレズビアンショーの方が好きなのもいるが、そんな歳には見えない。どうやら、この仕事には不慣れであるらしい。上目遣いにダムロンを盗み見ようとした彼女と目が合うと、恥ずかしそうにうつむく。全然美人ではなかったが、この時ダムロンは大いにそそられたのだった。これが、ティップとの出会いであった。

白黒ショーの相手役で知り合っただなんて、何という夫婦のなれそめであろうか……。

その後も何度か仕事で一緒になり、お互いの身の上話をするようになった。しかし、3ヵ月程たった頃、彼女の姿を突然見かけなくなったという。
「逢えなくなって知る恋心」というやつで、彼女の行方や事情をスポンサーに聞いて回った。この頃にはダムロンももう格上になっており、他の者のように麻薬に手を出さないので、スポンサーからは特別に可愛いがられ、とても信用されていたらしい。「お前がその気ならば、話をつけてやる」とスポンサーが言ってくれ、それからとんとん拍子で話がまとまり、1週間後にはティップと夫婦生活を始めていた。
ティップが背負っていた3万バーツあまりの借金もスポンサーが立て替えてくれ、「分割でよいから」と言ってくれた。こんな世界では、このような人情話はとても考えられないことで、この時ダムロンとティップはスポンサーに涙を流して感謝したそうだ。それだけスポンサーの信頼を得ていた、ということであろう。
それからは、2人で懸命に金を貯めた。仕事の関係でたくさんの飲み屋を知っていたので、欠員があって人手に困った店などにティップを手伝いに行かせる。これは毎日ではないが、先方は困っているのでよい金になった。ティップは、学校に行けなかったので字はほとんど書けないが、計算は得意で、ヤワラート(クルンテープ(バンコク)のチャイナタウン)にある友達の洋服屋で、土・日の昼間だけ店番を手伝い、夜は夜で飲食店でのウエイトレスや飲み物作りの手伝いのほかに会計もできたので重宝がられ、よく頼まれた。余録の仕事で臨時収入があった時も、決して無駄使いせずに送金した。その甲斐もあって、妹のイモンには人並みの結婚をさせ、所帯を持たせることもできたし、そのイモンの亭主であるタウィが自動車の整備工場を始める時にも、かなりの援助ができた。ケオとソムサックがこの整備工場で手伝いを始めた頃からタウィの仕事が好調になり、経済的にかなり余裕も出てきたので、金を出し合ってサンパコーイのこの土地を買ったんだ、と言う。
それは、ダムロンがクルンテープ(バンコク)に出てから8年目のことだった。

しかし、この頃からクルンテープ(バンコク)では麻薬売買の取締が強化され、猥褻な写真やショーに対する取締りも厳しくなってきた。要するに、ダムロンの諸々の仕事がやりにくくなってきたのである。次々とエロ本や麻薬の元締め達が捕まりだし、残りは雲隠れした。ダムロンは、この時もいち早く危険を察知して、ほとぼりをさまそうとティップと2人でチェンマイに戻って来た。
しかし、その後クルンテープ(バンコク)に戻ることは、もうなかった。ダムロンは、「チェンマイでサームローの仕事を始めたから、足を洗ったんだ」と言っているが、それまでの収入から考えると、そんなはずは絶対にない、と思う。サームローの仕事は彼一流の見せかけであり、クルンテープ(バンコク)ですでに通じていた闇取引きの仲介の仕事がチェンマイでもできるので、わざわざリスキーなクルンテープ(バンコク)に戻る必要がなくなったのだと思う。

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