連続ノンフィクション小説 ダムロン物語~あるチェンマイやくざの人生~ 第11話~第15話 by蘭菜太郎

ダムロン物語(3) ダムロン物語
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これは、私が民芸品やルビー、サファイヤなどの色石を買いつけるために、チェンマイを頻繁に訪れているうちに縁あって知り合い、後に私の親友となったタイ人のダムロンとその家族の話である。
彼の波乱万丈の人生はいまだに続いており話は完結してないが、彼と知り合ってから34年の途中経過として、この話を記することにする。【蘭菜太郎】

>>>登場人物紹介

≪注≫本文中に登場する人物などは、すべて仮名です。また、写真と本文とは一切関係ありません。【ガネッシュ】

連続ノンフィクション小説 ダムロン物語~あるチェンマイやくざの人生~ 第1話~第5話 by蘭菜太郎
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第11話:メーサーイでの商談

翌日は、朝からメーサーイに宝石を見に行くことになった。

メーサーイの街の裏通りには、軒先にテーブルなどを置いて、主にビルマ(ミャンマー)から国境を越えて持ち込まれる、ルビーやサファイヤをはじめとする色石の原石を買い取る仲介業者がたくさんいる。表向きには、こうした仲介業者は買い取り専門で、小売りは原則としてしない、ということになっている。しかし、外からだとすべて個人営業のように見える彼らではあるが、実際には半数以上がオーナーに雇われている買い付け人である。よい石を安く買い取れれば歩合がよくなるわけだが、たとえ買い付けに失敗したとしても、自分が損害を被ることはない。そこで、オーナーに内緒で、買った原石の一部を横流しする者が出てくるのである。つまり、買い取った原石の中に適当な掘り出し物が見つかると、それを自分のものにしてしまうのだ。
このような横流しの原石は、大抵の場合は買い付け人の奥さんや家族が持ち歩き、宝石店などに毎日のように出入りして、よい値で売れる機会を狙っている。ファラン(欧米人)や私のような日本人などは、後腐れのないバイヤーということで、こうした宝石の販売先としては最も都合のよい相手、というわけだ。
こういった取引では、相手が売り急いでいる時にはかなりの値引きも可能だが、ダメな時はぜんぜんダメと浮き沈みが激しい。長期間滞在すれば、情報を集めたり知り合いを作ることも可能なのであろうが、ポッと出ではなかなかむずかしい。

メーサーイの大通りの、国境近くにある小さな宝石店をひやかしながら歩いていると、それらしいおじさんが近づいて来た。おじさんに目で合図して、店の裏手へ歩いて行くと、案の定後からついて来て、懐から原石の入った包みを取り出してくる。
このような場合、最初から上物を出すことはまず有り得ない。はじめに見せるのは、クズ石かニセ物である。売り手にしてみれば、そうしたほとんど無価値の石が売れるのならば、それに越したことはないのである。思った通りに、おじさんが最初に出した包みは、ルビーの原石コランダムのクズ石ばかりであった。そんなものを買ってもどうにもならないので、「ほかにないのか? 全部見せろ」とやっていると、よそを回っていたダムロンがやって来て、宝石をのぞき込んでいる。そこで、おじさんが恭しく取り出したのは、小指の先ほどの大きさのルビーのまだカットしていない裸石で、これはかなりのクオリティーのものであった。
17カラットだという、濁ったチェリーピンクの石の一部に開けてあるのぞき窓から、石の内部を見る。すると、内部は見た目よりさらに上物で、理想的なルビーの色に近い、鮮かなチェリーピンクをしている。肉眼で見た限り、目立つ不純物もほとんどない。ポケットから、郵便物の重さを計る小さな秤と10倍鏡レンズを取り出し、石を痛めぬようにそっとピンセットではさみ、重さを計る。このような小さな秤や検出器は、宝石の買い付けでは必需品である。最近は、とてもよくできたニセ物もあるので、油断できない。3.5g弱、確かに17カラットくらいである。
一度、そっとピンセットからはずし、10倍鏡レンズでさらに詳しく内部を見る。売り手は、買い手のこういった手際をよく観察して言い値を決めてくるので、プロらしく振る舞わねばならない。

私がまだ何も言わないうちに、ダムロンが「これはいくらだ?」と聞いている。「ヌンセーン・ハームン(15万)」とおじさんが言うと、ダムロンは大いに驚いた。「15万バーツだって?こんなものがそんなに高いわけがない。お前は頭がおかしいんじゃないのか?」とか言っている。確かに15万バーツは高いが、このクオリティーであればそんなにべらぼうな値段でもない。私は、「それはそちらの希望価格だろう。町の宝石屋でもその値段ならばカットしてある石が買えるぞ。どのくらい値引きできるんだ?」とたずねると、オドオドとダムロンの方を見ながら、小さい声で「少しだけなら」と言う。「少しじゃダメだよ。うんと値引きしないと、買わないよ」と言い、「カラットあたりが3,000バーツで5万バーツ、大きい石だからその倍くらい出してもよいが、10万バーツくらいで買わないと、こちらの儲けがなくなってしまうよ」と、ハッキリ自分の意思表示をする。
おじさんは、両手のひらをこちらに向け、激しく横に振って、「そんなに安くは売れない」と拒否している。すると、ダムロンがおじさんの前に回り込んで来て、「オイ!10万バーツでそいつを売れ!今すぐ売れ!!どうしても売れ!!!」とか言いながら、おじさんの肩や胸を押すようにこづきはじめた。小柄なこのおじさんは、たちまち板塀まで押されてしまい、それ以上後ろに下がることもできずに、ダムロンの視線をさえぎるように、両手のひらを顔の前に持っていき、防御に懸命になっている。売り手と買い手の希望価格が違いすぎ、とても交渉が成立しそうもない。私はすぐにあきらめ、ルビーをおじさんに返し、「10万バーツ以上は出せない」と言う。おじさんは、ダムロンを上目遣いでビクビクしながら見つめ、「ダメだ」と身振りで答える。交渉不成立である。

私はあきらめて表通りの方へ歩いて行ったが、後ろからダムロンがついて来ない。「まだ何かもめているのかな?」、と戻ってみると、何とダムロンはおじさんの首を両手で締め上げていた。「オイ!売るか!!売るよな?」とか言いながら、おじさんを板塀に押しつけ首を締めている。足が地面から離れそうなくらいに首を締め上げられ、おじさんは声も出ない様子である。「おいおいダムロン、そんなことをしちゃダメだよ。それでは、値引き交渉じゃなくて完全な恐喝だよ」と言いながら、ダムロンのズボンのベルトを引いておじさんから引き離す。おじさんは肩でゼイゼイと息をして、恐怖で引きつったような顔をしている。おじさんから引き離されたダムロンは、なおもおじさんを凄い目でにらんでいる。ダムロンの背を押して、表通りの方へ連れて行く。「ダムロンよ。お互い商売でやってるんだから、あんなやり方はダメだよ。あんなことをしたら、まとまる話もまとまらなくなってしまう。短気は損気、商売は気長にやらなくてはダメだよ」と言って聞かせる。ダムロンは犬のような唸り声をあげながら、まだ裏手の方をにらんでいた。

その日は、夕方近くまでメーサーイをぶらついたが、結局はその後も大した買物はなかった。チェンラーイのホテルへ戻り、さっきのダムロンの値引き交渉の話を一郎にすると、彼は腹を抱えて大笑いした。

この時は、こうした数日間のチェンラーイとメーサーイへの旅となったが、実に楽しい思い出であった。

 

第12話:トック・プラー(釣り)

それからしばらくして、ダムロンが釣りを始めた。親友のウイラットに付き合ってたまに行く程度であったものが、トゥクトゥクという足ができたことで便利になり、そのうちほとんど毎日出かけるようになった。出かけるのは、チェンマイ郊外のブスリン、サンカムペーン、ラムプーンといった場所にある釣り堀で、野釣りにはまだほとんど行かなかった。チェンマイ郊外にはたくさんの釣り堀があるが、その多くにはレストランが併設されている。中には、釣り堀つきの観光施設といった風情の、宿泊設備まである「リゾート」と呼んだ方がいいようなところもある。

野釣りとなると、食料や飲み物から日除けのビーチパラソル、休むための椅子やマットまですべてを用意して行かなければならないが、釣り堀であれば釣竿と餌だけ用意すればよく、その気になった時にいつでも行けるので、気軽かつお手軽ではある。しかし、釣果よりも食事のうまさを気にしてしまう私には、気に入らない場所が多かった。肝心の釣果の方はどこも似たりよったりで、最大の獲物が20cm・300g程度で、普通は3人で釣っても2~3kgがいいところである。ごくまれに1kg級の獲物が釣れることもあるが、そんなことは、ほとんど毎日のように行っているダムロンでさえ1カ月に2~3尾であった。
ダムロンがよく行く釣り堀は、飛行場の近くの壊れた飛行機が放置してある一角にあり、池のそばに崩れかけたバラックのような売店があるだけで、食事などは用意しなければならなかった。それでも、私が一緒に行くと言えばたいていティップも同行し、市場で食べ切れないほどの食料を買い込み、釣りをしながら、やれコーラが飲みたいの、果子が食いたいのと気ままなことを言う私の世話を焼いてくれた。

この頃、私が最も気に入っていた釣り堀は、ブスリンの奥まったところにあった。この釣り堀は非常に大きく、「く」の字形をした池は長さがゆうに200m以上はあった。池の周りには、5~6人が食事のできる1m半四方くらいの高床式の小屋が10棟ほど建っていて、ほかに雨でも釣りができるように、2棟の屋根付きプレハブがあった。チェンマイ近郊なので1時間足らずで行け、賄い人がいるのでティップの手を煩わせずに済んで、私には気が楽だった。それに、何よりも、食事がうまかった。

私は延べ竿の浮き釣りでノンビリと釣るのが好きなのだが、ダムロンはリールが好きだ。場所的にリールが無理な場合でも、まずはとにかくリール釣りを試す。時には、延べ竿があるのに、わざわざリール竿で2m先を狙ったりもする。また、私はなるべく繊細な仕掛けで釣るのが好きだが、ダムロンはいつ大物がかかってもいいように、えらくゴツイ仕掛けを付けている。たまに、私の竿に大物がかかり糸を切られたりすると大変残念がり、「もっと大きい仕掛けにしろ」と言う。「ああいう大物は、繊細な仕掛けでしか釣れないんだよ」と教えてやると、「糸を切られたのでは、何にもならないではないか」とダムロンは言い返す。
「ゴツイ仕掛けにして魚がかからなければ、もっと何にもならないじゃないか」などとやりあう日々であった。

ある時ブスリンへ行った時のこと。その日は日曜日で、朝の10時頃からダムロン、ソムサックと私、それに私の旅の先輩である鈴木氏の4人でワイワイと釣りに繰り出すと、すでにかなりの人出があり、例の高床式の小屋はどれも客が入り、ふさがっていた。仕方がないのでプレハブの方へ行き、他の人に混じって、てんでに釣り始めた。大した釣果もないまま昼飯も済み、もうあとひと釣り、と糸を垂らし始めた時、私とダムロンの間で釣っていた10歳くらいの男の子の竿に大物がかかった。
男の子の力ではどうにもならないらしく、完全に魚に振り回されている。後ろの芝生に、シートを広げてピクニックがてら釣りに来ていたグループの中の、その子の父親らしい男の人がやって来た。それでも、しばらく取り込みに時間がかかり、最後には3人がかりでやっと玉網に入れた。その大物は、タイでは「ノーンチャーン」と呼ばれる草魚の仲間で、体長50~60cm、重さ2~3kgくらいはありそうだ。大殊勲の男の子の弟らしい子供が、「ワーイ!お兄ちゃんが釣った、お兄ちゃんが釣った!!」と喜び踊っている。お話にならない小物しか釣れていない2人の間で釣られてしまったダムロンと私は、非常におもしろくない。お互い顔を見合わせて苦笑していると、今度は子供2人で釣り始めた。
すると、ものの10分もしないうちに、今度は弟の竿に大物がかかった。またまた大騒ぎして何とか釣り上げると、これもさっきのと同じくらいの大きさのノーンチャーンであった。今度は男の子が2人揃って「ヤーイ!釣れた、釣れた!!」と大喜びで踊っている。
これでダムロンは完全にキレてしまったらしく、釣竿を放り出してしまった。そして、やわら座ったままでシャツを脱いでベルトを外し、立ち上がりながらズボンも脱いだ。パンツひとつになったダムロンに、大人も子供も周りにいるすべての人が注目し、一斉にダムロンの入れ墨に目を見張った時、彼はもんどり打って頭から池に飛び込んでしまった。私は、「アチャ~、始まちゃったよ。大変なことにならなきゃいいけど……」と肝を冷やした。すると、ダムロンはそのままゆっくりと、かなり沖まで平泳ぎで泳いで行ってから、またゆっくりと戻って来た。戻って来て水の中から顔だけ出しているダムロンに、私のすぐそばで釣っていたおじさんが、「どうしたのか?」と聞いている。すると、ダムロンは立ち泳ぎをしながら2人の子供を指さして、「あいつらは悪い奴らだから嫌いだ」とか、訳の分からないことを言って笑っている。おじさんも、2人の男の子を見ながら、「俺も飛び込みたくなってきた」と言って笑っている。大物を釣った子供をからかっているだけだと分かると、すぐに周りで見ていた人達の表情も和らぎ、また、固唾を飲んで事の行方を見守っていた私も、大事にならずに済んでほっとした。私は、バックに入れてあったペロペロキャンディーを2個取り出し、2人の男の子に「これは大物を釣った勲章だ」と言って、胸のポケットに挿してあげると、男の子たちは喜んでまた踊り狂った。

ダムロンが水から上がって来て、「汗も流したし頭も冷えた。今日は早めに帰って弦直しをしよう」と言うので、その日は早々に切り上げてサンパコーイに戻った。

 

第13話:ケオの出所

暑い夏の盛りの頃、ケオが刑務所から出所してサンパコーイに戻って来た。

実質9カ月と少しの懲役であった。翌日、彼の出所祝いをタイスキレストランのチェンマイ・コカで催した。家族と親しい友人など15人ほどで繰り出し大いに飲み食いしたが、彼の次男のダナイは、もうすでによちよちながら歩いて片言をしゃべるまでになっていたし、奥さんのボアライには以前のような元気はなく、疲れきった表情をしていた。

そして、この日から、ケオとダムロンとの麻薬を巡る争いが始まるのである。

ケオは、ダムロンが最初に心配していた通り、刑務所で完全に麻薬(ヘロイン)中毒になってしまい、出所後もそれを絶つことができなかった。ダムロンは、騙したりすかしたり、時には力で押さえ付けてヘロインをやめさせようとしたが、ケオは狂ったように暴れ、泣きわめき、家を飛び出したりして抵抗した。そして、ついにダムロンも妥協せざるを得なくなり、ケオが我慢できる程度の麻薬を1回分づつ与えて、何とか家にとどめておくことができるようになった。ダムロンは、「そうしないと、家を飛び出て何をするかわからないのだ」と、残念そうに言っていた。
しかしかなりの間、その妥協案は功を奏して、見た目は元のケオに戻っていき、さらにしばらくすると、サームローの仕事を片手間ながらできるようになった。と言っても、ダムロンが壊して放置してあったサームローを手直しして、近所の子供の通学の送り迎えをするだけだが、身内の世話で何とか普通の生活を続けることができていたのである。一時の死人のような顔色も元に戻り、ガリガリに痩せてしまっていた体重もかなり戻って来た。しかし、ずっとヘロインを続けている以上は、その量が増えていくのは当然のことであり、いつかは破局が訪れることになるの明らかであった。

8月、その1週間前からソムサックの連れ合いのニンが実家に帰っていた。そのためか、彼の酒量はいつになく多くなっていた。
ちょうどこの時、私の友人である田中氏が遊びに来ていた。氏は、私がいつも楽しく語る、サンパコーイの友達を見にやって来たのだった。夜の7時頃に遊びに行き、ちょうど釣り堀から戻って来たダムロンに田中氏を紹介して1時間ほど話し込んでいると、家の外でケオとソムサックが言い争う声が聞こえてきた。ダムロンが外に出て行き、私も家の入口から様子を見ると、そこに興奮した表情のケオと泥酔したソムサックがいた。
どうやら、私達をトゥクトゥクでホテルまで送って行かなければならないソムサックが酒を飲み過ぎてしまったので、ケオが怒っているらしい。ソムサックは盛んに「そんなに酔っていない」とは言っているが、誰が見ても飲み過ぎだと言うであろう状態である。ダムロンが大声での兄弟喧嘩を恥じて、2人を自分の家へ連れて行き話をしていたが、言い争いはしばらく続き、しまいには売り言葉に買い言葉で収拾のつかない状況となってしまった。ケオは、「日本人は元々は自分の友達だったのだから、もうお前には任せられない」と怒鳴りつけている。ソムサックは、「もうどうにでもしろ」と開き直っている。私には、ダムロンが田中氏の手前、懸命に我慢しているのが分かった。固く拳を握り、堪えるように腕を脇に強く引きつけ、口を真一文字に結んで、何とか怒りを抑え込んでいた。「私だけなら、とっくにソムサックを張り倒しているんだろうな」とはっきりわかった。

そうこうしているうちに雨が降り出し、わずかの間に雷を伴う大雨となった。私達2人は、これでどうしてもトゥクトゥクで送ってもらわなくてはならないことになってしまった。
すると、ダムロンが「俺が送って行こう」と言い、雨を避けるように威勢よくトゥクトゥクに飛び乗り、エンジンをかけた。「さあ、2人とも乗って、乗って」とティップに促され、田中氏と2人でトゥクトゥクのお客になる。まだブツクサ言っているケオとソムサックの2人を後に、ダムロンのトゥクトゥクは出発した。
トゥクトゥクの運転技術では、ソムサックよりダムロンの方が断然上である。同じトゥクトゥクなのに、なぜかダムロンが運転すると力強く感じられる。釣りに行く時にはいつも乗せてもらっていたが、ダムロンにホテルまで送ってもらうというのはこの時が初めてであり、何となく恐縮してしまった。

田中氏は、翌日チェンマイでのゴルフを試してみたいとのことで、朝11時にダムロンが迎えに来てくれ、ゴルフ場まで氏を送って行くとの約束をしていた。
翌日、田中氏がゴルフに出かけた後でサンパコーイに遊びに行くと、昨日の私の予想は的中していた。笑顔で挨拶するダムロンもティップもいつもと変わらぬ様子であったが、ソムサックの家の入口の木戸が壊れており、中でソムサックが寝ているのが見えた。ケオは、あぐらをかいて長男のセンをその上に座らせて、ニヤニヤしながら手招きしているので行ってみると、そばには奥方のボアライが次男に哺乳瓶を含ませながら座り、私に会釈する。
ケオに、「昨晩の騒ぎは、あれからどうなったんだ?」と聞くと、「どうもこうも、あれを見てみろ」と、ソムサックの家の戸口を指差す。戸口は蝶番が完全に外れ、中程から折れていた。「誰が壊したんだ?」と聞くと、「もちろん、ダムロンだよ」と苦笑する。

話によると、私達をホテルに送り届けてダムロンが家に戻って来ると、さすがに泥酔したソムサックもその後の展開を予想できたらしく、入口にカギをかけて家に引きこもっている。ダムロンはトゥクトゥクを降りると、凄い形相で直接ソムサックの家に行き、声もかけずに戸口を押し開けようとしたが、カギがかかっている。ダムロンはケオに「どこかに行ったのか?」と聞き、ケオが「中にいるはずだ」と言うと、ダムロンはキック1発で木戸をバラバラに蹴り飛ばしてしまい、中にいたソムサックにものも言わずに掴みかかり、必死に許しを乞うのも構わず、目茶苦茶に殴りつけてしまったらしい。
ソムサックは、いまだに起き上がることもできないらしく、「医者に行かなくて大丈夫なのか?」と聞くと、「朝になってから手当てしたから、大丈夫だ」と苦笑いしている。ケオは、「あんなことをすれば、どうなるかよく知っているはずなのに、ソムサックのような酒癖の悪い奴は、きっと死ぬまで治らないのだ。子供もいるというのに、情けない奴だ」とか言っている。私は、「お前も、ソムサックのことを言えないよ」と言いたかったが、奥方の手前黙っていた。ケオの奥方に会釈してダムロンの家へ行くと、ダムロンは釣りの仕掛け作りをしていた。田中氏が土産に持って来た免税のウイスキーをチビチビやりながら、小さな吸い込みの仕掛けに取り組んでいた。
機嫌も良さそうなのでソムサックのことに触れると、「あんな奴は死んでしまえばいいんだ」と苦々しく言い、「もうソムサックにはトゥクトゥクを貸さないし、口もきかない」と言う。「これからは、俺がトゥクトゥクの仕事もやる。お前の足はもちろん、夕方になったら稼ぎにも出る。チェンイン・ホテルの前の中継所の既得権は元々は俺のもので、3年前にケオに譲ったのだ」と言うのだ。「それでは、ダムロンは3年前までサームローの運ちゃんをしていたのか?」と聞くと、「そうだ。5年近くやってたんだ。」と言う。私に飲み物を持って来てくれたティップに、「ダムロンがあんなことを言っているけど、本気なのか?」と聞くと、「もうサームローは無理かも知れないが、トゥクトゥクならば大丈夫でしょう」とか言っている。「いや、私が聞きたいのは体力の問題ではなくて、意思と時間の問題だよ。もし本当にやるとなると、ダムロンはもちろん、ティップだって色々大変だよ」と言うと、「毎日ではないから、平気、平気」とのことであった。しかし私は、「仮にダムロンがトゥクトゥクを本気でやっても、今の生活から見て大した収入にはならないのでは?」と思った。

そしてこの時、それまでに部分的に聞いていたことも含めて、初めてダムロンの家族の過去の話を本格的に聞いた。その内容はとても悲惨で、私には想像もできない世界の出来事であったが、ダムロンはこれを大成功した過去を自慢するかのように、面白おかしく話してくれたのである。

 

第14話:ダムロンがヤクザになるまで(1)

1970年5月、一家の大黒柱であったダムロンの父親、レンが亡くなった。

それまでダムロン一家は、タイの中産階級のごく普通の家庭だったのだ。ダムロンはその時18歳、同じ年の9月に大学受験をめざす、前途洋々の高校生だった。しかし、父親の死によってすべてが失われた。その時の家族形態は、家族の面倒を見る以外には何の仕事も知らない母親と、ダムロンを先頭に中学生で15歳と13歳の次男ケオと長女のイモン、三男ソムサックは小学6年生の12歳だった。さらにその下には、まだ4歳の五男ゲアッと、3歳になったばかりの三女ニーパポンがいた。ソムサックとゲアッの間で少し歳が開いているのは、ソムサックの下の四男と次女の2人の子供を幼年時に亡くしたためである。

この時から、この7人家族の貧苦が始まった。ダムロンは、無論大学受験を断念し、卒業間近であった高校も中退して働かなければならなくなった。ケオ、イモン、ソムサックも、その時からもう学校に行くことはできなくなった。最初のうち、ダムロンは母親と2人で廃品回収業をやったらしい。
しかし、生活は苦しくなる一方で、1年後、ついにダムロンは家族と離れてクルンテープ(バンコク)へ出稼ぎに行くことになった。それも、家族の生活維持のために、「1ヵ月最低3,000バーツの仕送りをしなくてはならない」という責任条件付きであった。しかし、当時のその金額は、いくらクルンテープ(バンコク)へ行っても、20歳前のダムロンがまともなことをやって稼げるものではなかった。従って、ダムロンがクルンテープ(バンコク)で手がけた仕事は、すべてまともな仕事ではなかったのだ。ポン引きからエロ本の売買に始まり、ガンチャー(マリファナ)やヘロイン売買の仲介、白黒ショーの男役までやった。高校のクラブ活動では敵なしだったムエタイ(タイ式キックボクシング)の腕で時々やる、花形ボクサーのための「かませ犬」役の八百長試合はよい金になったが、毎日できるものではない。だから、金になることなら何でもやった。それでも日送りの金が足らない時には、病院に行って血を売った。何としても、たとえ命を賭してでも、家族のために金を稼がねばならなかったのだ。

「そういう世界での、下っ端から兄い格になるまでの3年ほどは、本当に大変だった」と言う。警察はもちろん、周りのすべてに無関心を装った細心の注意を怠らない。危なくなると、コトが大きくなる前に上手く納める。身近な人間に裏切られないように、心遣いと監視を怠らない……。今日も、ダムロンが日常的にやっているこのような習慣は、この時身に付いたものだったのだ。「警官に賄賂をつかませて何とか切り抜けたことは数知れずあったし、逮捕はされても起訴されたことはこれまで一度もない。書類になるようなヘマはしたことがない」と自慢する。兄い格になり、特定のスポンサーや固定客が付いて少しは実入りがよくなってきた頃、チェンマイの北150kmほどのところにあるファーンから売られて来た、17歳のティップと知り合う。
ダムロンが、クルンテープ(バンコク)のスクムビット通りにあったオーチン・ハウスで白黒ショーのアルバイトをしていた時、スポンサーがショーの相手方として連れて来た、数人の娘の中のひとりであった。
こういう女の子は、例外なく田舎から買われて来ており、普通3年から5年ほどの拘束期間で、娘の家族と契約しているのである。タイの法律では人身売買を禁じているが、それは建て前だけであって、現実には今でも歴然と存在しているし、人身売買の事実だけでオーナーやスポンサーが逮捕されるようなことは、まずない。タイの悲しい現実である。
ちなみに、ダムロンが白黒ショーのアルバイトをしていたというこのオーチン・ハウスは、偶然にも1980年代のはじめ、クルンテープ(バンコク)での私の定宿であったリッチ・ホテルの敷地内にあった。1983年にリッチ・ホテルが閉鎖になる前にすでに無人の廃墟のようになっていたが、確かにあった。いつも風体のよくないお兄さん達がたむろしていたので近づいたことはなかったが、いかにもいかがわしそうな、劇場風の箱型の建物であった。なお、現在この敷地には、巨大なランドマーク・ホテルがド~ンとそびえ立っており、当時の面影は全くない。

「そうか、オーチン・ハウスを知っているのか……」と、ダムロンは昔を懐かしむように目を細め、ティップとのなりそめを話してくれた。

 

第15話:ダムロンがヤクザになるまで(2)

この頃、ダムロンは自分の金で酒を飲むことはほとんどなかったそうだが、この仕事の時だけは、さすがに飲まずにやることはできなかったそうだ。「構造上の問題で、男がその気にならないと白黒ショーはできないから、結構大変なんだ。」と言う。
「あれをやるには、まずすきっ腹でないといけない。腹がきついと、集中しにくい。ショーが始まる15分くらい前にメコン(タイの酒)を小さなグラスでに立て続けに2~3杯やるんだ。それまでは、何も飲み食いしてはいけない。すきっ腹に強い酒を飲めば、急激に酔いが回り始める。その酔いはじめの時が、一番都合がよい。完全に酔ってしまうと、これまたうまく行かないのでむずかしい。同業の仲間には薬を使う奴が多かったが、俺は一度もやらなかった。慣れてくると、その日の体調や酔い加減で、ショーの引き延ばしやはしょりができるようになるんだ。ショーの出来は、ある程度男役次第なので、相手役の女性はいつもかなり多めに用意され、男役が選べる。男役から選ばれなかった女性は、さらにハードなレズビアンショーなどに出されるので、男性が女役を選ぶ時には、女性は自分が選ばれるように盛んに媚を売るのが普通なんだ」と、私には想像もできない世界の裏話を自慢げに話してくれた。
そんな女役の娘達の中に、逆に目立たぬように静かにしている若い娘がいた。経験の長い女性の中には、自分が主役になれるレズビアンショーの方が好きなのもいるが、そんな歳には見えない。どうやら、この仕事には不慣れであるらしい。上目遣いにダムロンを盗み見ようとした彼女と目が合うと、恥ずかしそうにうつむく。全然美人ではなかったが、この時ダムロンは大いにそそられたのだった。これが、ティップとの出会いであった。

白黒ショーの相手役で知り合っただなんて、何という夫婦のなれそめであろうか……。

その後も何度か仕事で一緒になり、お互いの身の上話をするようになった。しかし、3ヵ月程たった頃、彼女の姿を突然見かけなくなったという。
「逢えなくなって知る恋心」というやつで、彼女の行方や事情をスポンサーに聞いて回った。この頃にはダムロンももう格上になっており、他の者のように麻薬に手を出さないので、スポンサーからは特別に可愛いがられ、とても信用されていたらしい。「お前がその気ならば、話をつけてやる」とスポンサーが言ってくれ、それからとんとん拍子で話がまとまり、1週間後にはティップと夫婦生活を始めていた。
ティップが背負っていた3万バーツあまりの借金もスポンサーが立て替えてくれ、「分割でよいから」と言ってくれた。こんな世界では、このような人情話はとても考えられないことで、この時ダムロンとティップはスポンサーに涙を流して感謝したそうだ。それだけスポンサーの信頼を得ていた、ということであろう。
それからは、2人で懸命に金を貯めた。仕事の関係でたくさんの飲み屋を知っていたので、欠員があって人手に困った店などにティップを手伝いに行かせる。これは毎日ではないが、先方は困っているのでよい金になった。ティップは、学校に行けなかったので字はほとんど書けないが、計算は得意で、ヤワラート(クルンテープ(バンコク)のチャイナタウン)にある友達の洋服屋で、土・日の昼間だけ店番を手伝い、夜は夜で飲食店でのウエイトレスや飲み物作りの手伝いのほかに会計もできたので重宝がられ、よく頼まれた。余録の仕事で臨時収入があった時も、決して無駄使いせずに送金した。その甲斐もあって、妹のイモンには人並みの結婚をさせ、所帯を持たせることもできたし、そのイモンの亭主であるタウィが自動車の整備工場を始める時にも、かなりの援助ができた。ケオとソムサックがこの整備工場で手伝いを始めた頃からタウィの仕事が好調になり、経済的にかなり余裕も出てきたので、金を出し合ってサンパコーイのこの土地を買ったんだ、と言う。
それは、ダムロンがクルンテープ(バンコク)に出てから8年目のことだった。

しかし、この頃からクルンテープ(バンコク)では麻薬売買の取締が強化され、猥褻な写真やショーに対する取締りも厳しくなってきた。要するに、ダムロンの諸々の仕事がやりにくくなってきたのである。次々とエロ本や麻薬の元締め達が捕まりだし、残りは雲隠れした。ダムロンは、この時もいち早く危険を察知して、ほとぼりをさまそうとティップと2人でチェンマイに戻って来た。
しかし、その後クルンテープ(バンコク)に戻ることは、もうなかった。ダムロンは、「チェンマイでサームローの仕事を始めたから、足を洗ったんだ」と言っているが、それまでの収入から考えると、そんなはずは絶対にない、と思う。サームローの仕事は彼一流の見せかけであり、クルンテープ(バンコク)ですでに通じていた闇取引きの仲介の仕事がチェンマイでもできるので、わざわざリスキーなクルンテープ(バンコク)に戻る必要がなくなったのだと思う。

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