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連続ノンフィクション小説 ダムロン物語~あるチェンマイやくざの人生~ 第11話~第15話 by蘭菜太郎

ダムロン物語(3) ダムロン物語
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第14話:ダムロンがヤクザになるまで(1)

1970年5月、一家の大黒柱であったダムロンの父親、レンが亡くなった。

それまでダムロン一家は、タイの中産階級のごく普通の家庭だったのだ。ダムロンはその時18歳、同じ年の9月に大学受験をめざす、前途洋々の高校生だった。しかし、父親の死によってすべてが失われた。その時の家族形態は、家族の面倒を見る以外には何の仕事も知らない母親と、ダムロンを先頭に中学生で15歳と13歳の次男ケオと長女のイモン、三男ソムサックは小学6年生の12歳だった。さらにその下には、まだ4歳の五男ゲアッと、3歳になったばかりの三女ニーパポンがいた。ソムサックとゲアッの間で少し歳が開いているのは、ソムサックの下の四男と次女の2人の子供を幼年時に亡くしたためである。

この時から、この7人家族の貧苦が始まった。ダムロンは、無論大学受験を断念し、卒業間近であった高校も中退して働かなければならなくなった。ケオ、イモン、ソムサックも、その時からもう学校に行くことはできなくなった。最初のうち、ダムロンは母親と2人で廃品回収業をやったらしい。
しかし、生活は苦しくなる一方で、1年後、ついにダムロンは家族と離れてクルンテープ(バンコク)へ出稼ぎに行くことになった。それも、家族の生活維持のために、「1ヵ月最低3,000バーツの仕送りをしなくてはならない」という責任条件付きであった。しかし、当時のその金額は、いくらクルンテープ(バンコク)へ行っても、20歳前のダムロンがまともなことをやって稼げるものではなかった。従って、ダムロンがクルンテープ(バンコク)で手がけた仕事は、すべてまともな仕事ではなかったのだ。ポン引きからエロ本の売買に始まり、ガンチャー(マリファナ)やヘロイン売買の仲介、白黒ショーの男役までやった。高校のクラブ活動では敵なしだったムエタイ(タイ式キックボクシング)の腕で時々やる、花形ボクサーのための「かませ犬」役の八百長試合はよい金になったが、毎日できるものではない。だから、金になることなら何でもやった。それでも日送りの金が足らない時には、病院に行って血を売った。何としても、たとえ命を賭してでも、家族のために金を稼がねばならなかったのだ。

「そういう世界での、下っ端から兄い格になるまでの3年ほどは、本当に大変だった」と言う。警察はもちろん、周りのすべてに無関心を装った細心の注意を怠らない。危なくなると、コトが大きくなる前に上手く納める。身近な人間に裏切られないように、心遣いと監視を怠らない……。今日も、ダムロンが日常的にやっているこのような習慣は、この時身に付いたものだったのだ。「警官に賄賂をつかませて何とか切り抜けたことは数知れずあったし、逮捕はされても起訴されたことはこれまで一度もない。書類になるようなヘマはしたことがない」と自慢する。兄い格になり、特定のスポンサーや固定客が付いて少しは実入りがよくなってきた頃、チェンマイの北150kmほどのところにあるファーンから売られて来た、17歳のティップと知り合う。
ダムロンが、クルンテープ(バンコク)のスクムビット通りにあったオーチン・ハウスで白黒ショーのアルバイトをしていた時、スポンサーがショーの相手方として連れて来た、数人の娘の中のひとりであった。
こういう女の子は、例外なく田舎から買われて来ており、普通3年から5年ほどの拘束期間で、娘の家族と契約しているのである。タイの法律では人身売買を禁じているが、それは建て前だけであって、現実には今でも歴然と存在しているし、人身売買の事実だけでオーナーやスポンサーが逮捕されるようなことは、まずない。タイの悲しい現実である。
ちなみに、ダムロンが白黒ショーのアルバイトをしていたというこのオーチン・ハウスは、偶然にも1980年代のはじめ、クルンテープ(バンコク)での私の定宿であったリッチ・ホテルの敷地内にあった。1983年にリッチ・ホテルが閉鎖になる前にすでに無人の廃墟のようになっていたが、確かにあった。いつも風体のよくないお兄さん達がたむろしていたので近づいたことはなかったが、いかにもいかがわしそうな、劇場風の箱型の建物であった。なお、現在この敷地には、巨大なランドマーク・ホテルがド~ンとそびえ立っており、当時の面影は全くない。

「そうか、オーチン・ハウスを知っているのか……」と、ダムロンは昔を懐かしむように目を細め、ティップとのなりそめを話してくれた。

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