ホテルの旅行会社カウンターで車を手配する
ジャワ島中央部にある、かつてはジョグジャカルタと並んで王朝が栄え、まだそれほど都市化が進んでいないことからひと昔ふた昔前のチェンマイにも少し似た雰囲気を持つインドネシアの古都ソロ(スラカルタ)の旅。
普通はジョグジャカルタに泊って日帰りで訪れる旅行者が多いこの街に10日もいるのでノンビリとした旅程ではあるのだが、自分が訪れた9月はちょうどチェンマイ(タイ)で言う酷暑季にあたり、連日最高気温は40度近くに達していて3日間の市内観光ですっかりバテてしまった。
市内観光を終えた後はさらに数日かけてソロの郊外に点在するいくつかの遺跡を巡ることにしていて、なるべくバスなどの公共交通機関を使うつもりでいたのだが、この暑さでは日陰のないところでバスを待とうものなら熱中症の危険が伴うし、調べてみたら最初に向かおうと思っていた2か所の遺跡は同じ山の中にあっていっぺんに回るほうが効率的なので、ホテルに戻るとロビーにある旅行会社のカウンターでツアーがあるか相談してみた。
すると、ツアーはないものの車をチャーターして行きたい遺跡を2か所巡り、さらに時間が余れば道中にあるほかのスポットにも立ち寄るという1日観光をアレンジしてくれるという。
聞いてみると値段もそれほど高くない(旅行会社のカウンターで聞く前にホテルの前にたむろしていたタクシーの運転手とも話をして値段を聞いていたが、むしろその言い値より安かった)ので、さっそく予約を入れた。
翌朝、ホテルで朝食をとり指定された時間にロビーのソファに座って待っていると、ツアー会社のドライバーとおぼしき人がやってきて「ミスター**ですか?」と聞いてきた。
「そうです」と答えると、ドライバーはにこやかに車へと案内してくれた。
用意されていたのは、トヨタの商用車タイプ(?)のバンだった。
乗り込んでみると、車はそれほど古くはないようで乗り心地も悪くなかった、
ドライバーはまじめでおとなしそうな30代なかばの男性で、それほど英語は得意という感じではなかったが、観光中コミュニケーションを取るのに困るようなことはなかった。
ネパールのヒマラヤ前衛を思わせる山麓の風景
ソロ(スラカルタ)市内を抜け、一路東をめざす。
最初の目的地は、40km離れた山の中腹に建つヒンドゥー遺跡「スクー寺院」だ。
インドネシアは人口が多いからか、街を抜けても人家が途切れるようなことがまったくない。
チェンマイだと、1時間も車で走ればまったくひと気のない山道とかもあるけれど、インドネシアはぜんぜん違った。
30~40分も走ると、平坦な道が終わり登り坂となった。
山の中に入っても、やはりまったく人家が途切れることはなかった。
小さな家や店が点在する感じで、雰囲気としてはネパールのトレッキングで本格的に山歩きを始める出発地点に向かう手前にある、ヒマラヤ前衛の山道のような印象を持った。
山々が連なるという感じではないので遠くが見渡せ、その景色を眺めながら30分ほど山道を進むと、車は止まった。
どうやら目的地に着いたようだ。
ドライバーはガイドではないので、車を止めるとここで待つことになる。
自分としては自由なペースで遺跡を見学したいので、そのほうがかえって都合がよい。
マヤ文明との関係を指摘する学者もいるスクー寺院
まず最初に立ち寄ったスクー寺院はラウ山の西麓に位置し、15世紀前半のマジャパヒト朝時代に建立されたヒンドゥー教の寺院の遺跡である。
標高は1,130mあった。
最上部に表示されている標高の推移グラフを見ると、グングン高度を上げてきたのがわかるだろう。
ウィキペディアによれば、マジャパヒト朝は1293年から1478年までジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国だそうで、都がジャワ島東部プランタス川流域のマジャパヒトに置かれたことからこう呼ばれているらしい。
最盛期の支配領域は現在のタイのパッタニー、カリマンタン(ボルネオ)島に及び、東西交通の要衝であるマラッカ海峡とスンダ海峡も制圧、タイのアユタヤ王朝やカンボジア、ベトナム、さらには琉球王国とも友好・交易関係を持ったという。
それだけの広い地域との交流があり、また石積みのピラミッド型の建造物が非常に似ていることからマヤ文明との関係を指摘する研究者もいるそうだが、実際のところはヒンドゥー教が伝わる前にあった当地の土着信仰の影響という説が有力らしい。
山の斜面の階段状の土地にある寺院の見どころは大きく3つ
寺院の入口と思われる小さな楼門
駐車場から斜面を登っていくと、まずは小さな楼門に着く。
それほど損傷を受けているようには見えないが、中央の通り道は鉄柵でふさがれておりくぐり抜けることはできない。
門はちょうど勾配が少しきつくなった場所に造られており、脇の通り道を登っていくと最初見たのとはまったく違った姿を見せる。
通り道の上につけられた、石造りの神頭像がおもしろい。
門を通り越してしばらく行くと、また小さな石階段の門がある。
本殿手前の広場に置かれた石像・石彫群
この小さな石階段の門を登ると広々とした平らな空間が広がり、その奥に本殿と思われる建物が見える(タイトル下の写真)。
本殿にすぐに行きたいのはやまやまなのだが、その手前や周囲にたくさんの石像や石彫が置かれており、その出来が素晴らしいのでまずはそちらを見てほしい。
すべてヒンドゥー教のものだが、自分がインド亜大陸やインドシナで見たものとはやはり意匠が異なる。
すごくベタな言い方になってしまうけど、「バリ島の写真によく出てくるよな……」というのが第一印象。
っていうか、バリ島もマジャパヒト朝の支配下でヒンドゥー教が広まったので、当然と言えば当然なのだが。
ヒンドゥー教のひとつの特徴ともいえるリンガ(男性器)とヨニ(女性器)を象ったものもあるが、パッと見た感じではいわゆる歓喜天(男女交合像)はないように思われた。
ひとつひとつの作品はかなり彫りが深くてち密で、よくできている。
ヒンドゥー教の教義に詳しければさらに面白かったのだろうが、自分もそれほど知識がないので感心するだけで終わってしまったものが多かったのが悲しかった……。
寺院本殿(たぶん)
遺跡の最奥に、石積みの上半分がなくなったピラミッドのような建物がある。
これがおそらく寺院の本殿だろう。
手前にはテーブルのように上面が平らになった亀の石像が陣取っている。
エジプトのピラミッドのように巨大ではないが、それでも間近に見るとかなりの迫力がある。
まだ動力のない時代にこの山の中腹にこれだけの建造物を造るのはさぞかし大仕事だっただろう。
これがその形状からマヤ文明との関連を指摘されている建造物だが、自分の素人としての見立てでは、これこそがヒンドゥー教の特徴をよく表している気がする。
おそらく、この建物の中央の溝はヨニ(女性器)を象っていると思われるからだ。
これがヨニ(女性器)であれば、どこかに対をなすリンガ(男性器)を象ったものがあるはずなのだが、見つけることができなかった。
この溝の間には階段になっているので、登ってみた。
本殿前の上部が平面の亀は、上から見るとこういう風になるのか……。
寺院の内部をひとつひとつ細かく見ていくと、まったく時間がいくらあっても足りない、という感じだったのだが、まだ次に行くべき寺院遺跡もあり、ここから少し急ぎ足で駐車場まで戻った。
ドライバーの男性は時間を持て余したのか、駐車場のすぐ脇のよろずやのようなところでドリンクを飲みながら店の人と雑談していたが、自分の姿が目に入るとすぐに車のところまで戻ってきて、次なる目的地へと向かうべくエンジンをかけたのだった。
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