第27話:ラムプーンの釣り掘(3)
そんなことがあって、酔っ払いソムサックとヘンな日本人のコンビは、この釣り堀の有名人になってしまった。
その後はあれほどの大物は釣れなかったが、ほかでは味わえない釣りを楽しめる上に食事もうまいので、ほかに予定がなければ毎日のように行った。真夏のことで、たちまち日に焼け、裏表もわからぬほど真っ黒になってしまった。要するに、暑さを忘れるほど楽しかったのである。何回目かに行くと、例のポイントまで人が踏み固めた道のようなものができ、道の部分のジャマな雑草は取り除かれていて、ずいぶんと歩きやすくなっていた。そして、ポイントの近くに石のベンチまでが置いてあった。どうやら、お得意様になったのでサービスをしてくれたらしいのだが、ベンチは一人ではとても持ち上がらないほど重くてじょうぶな代物で、ここまで運んでくるのは並大抵のことではなかったはずだ。
賄いの女の子に「誰がやったんだ?」と聞くと、ベンチを運んだのはミスターダムで、道はみんなで作ったそうだ。「大変だったろう。」と聞くと、「それほどではなかったが、みんな砂ボコリだらけになった。」と言い、ソムサックを見ながら口を押さえて思い出し笑いをしている。あの時以来、ソムサックはここのいい笑い者になっているらしい。
ここでの昼食は、いつも客の少なくなる午後2時近くにしていた。調理場が一段落すると、ミスターダムが「今日は何を食べるんだ?」と聞きに来る。時々、わたし用の特別な食材を仕入れて来てくれることもあり、ある日「これはうまいぞ!」と、立派なシャモを持って来て見せてくれた。チェンマイでよく見かけるこの足の長い闘鶏用のシャモは、ことのほか味がいい。ほとんどは、実際に闘鶏用として丹精こめて飼われていた鶏で、一度に数羽を育てて、闘鶏の素質を見ながら間引いたシャモである。たいていは飼主が処分し、市場に売り出されることはめったにないし、仮に売っていたとしても普通の鶏の5倍以上の値段がついている。
「おおっ、これはうまそうだ!では、半分はガイヤーンにして、もう半分でカレーを作ってもらおうか。ハラミでモツヤキも頼むよ。」と勝手な注文を出すと、ミスターダムは「よし来た!」と、言って調理場に行く。料理ができあがると、賄いの女の子が呼びに来てくれる。待ってました、と釣りを中止して食事をする。特別料理を「うまいうまい」と食べている間に、そのまま置いてきた釣竿に魚がかかると、釣竿ごと引き込まれてしまうこともあった。そうなると、どんなに大騒ぎしても、もうどうしようもない。池の真ん中あたりで浮き沈みしている釣竿を見て、手をこまねいているだけである。こんな時には、ミスターダムに「そのうちに針がはずれれば、グラスロットの釣竿は浮いてくるので、取っておいてくれ。」と、頼んで帰ることもあった。
この新しく見つけた理想的な釣り堀の話はダムロンには酷であろうと思い、時々行く接見面会の時にも話をしなかったのだが、どうやらティップが話したらしく、「きっと自分が行けるようになる頃までには、全部の魚を私が釣りきってしまうに違いない」と、じたんだを踏んでくやしがった。
完全に雨期に入り、毎日のように雨が降りはじめる7月の初め……。その日も朝から天気が悪く、1~2時間おきに大粒の雨がドッと降るので、例のポイントで釣るのをあきらめて屋根のある小屋の側で試したが、雨を避けながらの釣りでたいした釣果もなく早めに切り上げての帰り道、ラムプーン市街から旧街道に入ってしばらく行くと、いきなり強い雨が降り出した。まだ夕方の時間帯なのに夜のように暗くなり、雷まで激しくなってきた。トゥクトゥクにはワイパーなどついてないので、雨が降ると前がほとんど見えなくなってしまう。
低速で道の端を走ったのが災いしたのか、しばらくすると釘を拾い左の後輪がパンクしてしまった。パンクしたことがわかり、トゥクトゥクを道の端に止めた時には、数m先も見えないほどの豪雨となった。このトゥクトゥクには、スペアタイヤはおろか工具すら積んでいない。「これはいったいどうなることやら……」との心細い思いで、ふたりは声もなく顔を見合わせた。雨のしぶきだけで、たちまち体も濡れてくる……。
このものすごい夕立は10分ほど続き、突然降り止んだ。雨がやんで周囲が見えるようになると同時に、ふたりとも感動の声をあげて驚いた。何と、トゥクトゥクは自動車修理工場の前に止まっていたのだ。雨で数メートル先も見えなかったのと、雷のせいか一帯が停電していたので、まるで野中で孤立した気分になっていたのだった。それが、夕立が突然終わると同時にすべてが解決してしまったのだ。運がいいのか悪いのかわからないが、とにかく助かった。しかも、停電になって仕事ができなくなったのか、何人もの工員が雨見をしながら一服していたのだが、夕立のため数m先で難儀していた私たちのトゥクトゥクにはまったく気がつかず、突然目の前に現れた私達に驚いている。そのうち、ひとりの工員がパンクでつぶれたタイヤに気づき、「おい、パンクしてるぞ!スペアタイヤを持っているのか?」とか言っている。ソムサックが事情を話している間にトゥクトゥクを降り、タオルを出して雨しぶきですっかり濡れた体を拭う。もう、座席まですっかり濡れてしまい、どこもかしこもグショグショである。ソムサックがトゥクトゥクのエンジンをかけ、潰れたタイヤを痛めないよう、ゆっくりと修理場の前へ持って行く。複数の工員が修理に取りかかり、パンクの修理はものの15分ほどで簡単に終わってしまった。あんまり手際がいいので、「あそこに釘をまいて、客待ちしてたんじゃないのか?」と、疑りたくなるくらいであった。それでも、まあ大事に至らず切り抜けられたので、運がよかったと考え、感謝の礼をしてチェンマイに帰った。
ところが、それから3か月ほど後に今度は釣堀に向かう時に道路の反対側でパンクして、やはり同じ修理工場の前でトゥクトゥクがピタリと止まり、「これは、本当に釘をまいての客待ちをしているのだ」と確信を持った。
そんな、日本では考えられないようなことが起きるのも、チェンマイのおもしろさのひとつではあるのだが、まったく何と申しましょうか、である。
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