第2話:ケオの住まい
チェンマイに何度か出入りして半年ほどたった9月のこと。
この年の雨期明けは遅く、激しい雨が何度も降る日が続き、方々で道路が灌水してしまい、自分も大変な思いをしていつもの雲助の溜まり場に行くと、ケオはさらに遅れてやって来て、「洪水で、家が水浸しになっているので大変なんだ」と言う。「それならすぐに見に行ってやろう」と、やじ馬根性で彼の家まで行くことになった。
彼の家の近くまで来ると、道路は完全に灌水しており、サームローの客席の足置きの位置をも完全に越えて座席近くまで水に漬かってしまい、ケオはサームローを降りて、道路を泳ぐようにしてサームローを押している。そして、その時に初めて訪れたケオの家は完全に水に漬かっていて、まるで打ち捨てられたボート小屋のようであった。家の中で大人が暴れたら、簡単に壊れてしまいそうなバラックで、中では奥方らしい女性が濡れた衣装を片付けており、弟だという2人の男性が家財を同じ敷地内に建っている床の高い家の方へと運んでいた。
この時は、私が手伝えるような仕事もなく、ただ呆然と洪水の被害を眺めていた。隣近所のどの家も大騒ぎになっており、みんな家財を頭の上に掲げるようにしてどこかに運んでいる。それらの人々の懸命な声が重なって、「ワーッ、ワーッ」と聞こえてくる。犬や鶏やアヒルが、そこいら中を泳ぎ回っていた。サームローの座席の上で、胡座をかいてしばらくそうした騒ぎを眺めていると、どこから持って来たものか、3mほどのボートを竹ざおで操りながらやって来て、ケオの弟に何か言ってるおじさんがいる。ケオも濁り水をかき分けてそちらに向かい、おじさんと話をしている。すぐにこちらに戻って来て、「帰るなら、あの人が送ってくれる」と言う。要するに、このおじさんは洪水に乗じてアルバイトをしており、有料で船での送迎をしてるらしい。でも、ほかには誰も乗っていないところを見ると、商売はあまり繁盛してないようだ。そこで値段を聞くと、灌水してない大通りまで20バーツとのこと。交渉が成立したので、今日のところは帰ることにした。ケオと家族には、水が引いたら改めて遊びに来るからと声をかけ、洪水で大騒ぎの町中をノンビリと、おじさんの操る船に揺られてホテルに戻った。
ケオには、2歳になる長男とボアライという名前の奥方がいた。ボアライは、痩せ型筋肉質のケオとは正反対で、大柄でブヨついた体型の目つきのきつい人だった。私が遊びに行くといつも大歓迎してはくれたが、私は何となく彼女が苦手であった。
ケオの家は、サンパコーイの交差点から少し入り込んだ、庶民的なたたずまいが多い路地の中ほどにあった。間口12m、奥行き20mほどの敷地の一角に4軒のタイでは典型的なスタイルの高床式平屋住宅が建っており、ケオの家はその左奥のボロ家であった。ほかの3軒は彼の母親と兄弟の家で、右奥のケオの家の向かいにあたる場所に彼の弟のソムサックの家があった。 路地から見て手前の2軒の家の右側、ソムサックの家の左隣には長兄のダムロンの家があり、もう1軒の手前の左側の家には母親、弟のゲアッと妹のニーパポン、養女だというウィが住んでいた。
当時、母親は廃品回収の仕事をしており、ダンボールを山積みにしたリヤカーを諦めているように黙々と引いている姿が印象的だった。父親はかなり前に亡くなっており、他家に嫁に行った姉が近所に住んでいるとのことで、養女を入れなければ全部で6人兄弟であった。はじめのうちはケオの家以外に入ることもなく、他の兄弟とは挨拶をする程度だったが、皆いつも笑顔で歓迎してくれ、愛想がよかった。