サワディーチャオ(สวั๋สดีเจ้า)は、チェンマイ語の女性の挨拶(標準語はサワディーカ)です
当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

【インドネシア旅行】ソロ(スラカルタ) 第2の王宮で今も王族が暮らしているマンクネガラン王宮

インドネシア、ソロ(スラカルタ)のマンクネガラン王宮 インドネシアの旅
この記事は約3分で読めます。
スポンサーリンク

チェンマイにも少し似た雰囲気を持つ、インドネシアのジャワ島中部にある古都ソロ(スラカルタ)。

3日目の市内観光は、中心部にあり泊まっているノボテルソロから1kmほどしか離れていないマンクネガラン王宮(イスタナ・マンクネガラン)からスタートだ。

前日に、この街一番の見どころで1745年に当時の王パクブウォノ2世がカルトスロからソロに遷都するにあたって建設したカスナナン王宮(クラトン・スラカルタ)を見学していたが、これから行くマンクネガラン王宮(イスタナ・マンクネガラン)は王家の第2の王宮として建設されたらしい。

建設されたのは1757年でカスナナン王宮(クラトン・スラカルタ)とは10年ちょっとしか離れていないのだが、こちらはマンクネガラ王がオランダの協力を得て造ったという。

非常に広大な土地を占める王宮で、複数ある門をくぐりながら日差しを遮るものがまったくないかなり強烈な暑さ(自分が当地を訪れた時はちょうどタイでいうところの酷暑季にあたり、最高気温は40度近かった)の中を青息吐息で王宮の建物のある場所まで向かう。

インドネシア、ソロ(スラカルタ)のマンクネガラン王宮の門
インドネシア、ソロ(スラカルタ)のマンクネガラン王宮の中門

建物の入口は事務所のようになっており、入場料を払うと「案内係が来るので少し待て」という。

インドネシア、ソロ(スラカルタ)のマンクネガラン王宮の事務所

聞いてみると、ここには現在も王族の末裔が暮らしており多くの場所が見学不可、内部は案内係と一緒でなければ回ることができないという。

「何だ、それなら見なくてもいいかな」とも思ったのだがもう入場料も払ったし、案内係も手配されてしまったので到着を待つことにした。

10分ほど待っただろうか、バイクに乗って中年の女性がやってきた。

案内係は事務所に待機しているのかと思っていたのだが、どうやら別の場所にいたのを呼び出されたようだ。

女性は挨拶もそこそこに王宮内にエスコートしてくれた。

女性はとても流ちょうな英語を話すだけでなく、結構日本語も知っていた。

さすがに細かな説明はできないようだが、それでも日本語で話をしたら少しホッとした。

王宮の内部はほとんどの場所が撮影不可で、写真を撮っていい場所に来ると女性が教えてくれたのだが、中央にある「ペンドポ」と呼ばれる建物はヨーロッパスタイルとジャワ様式の混じった造りになっており、1937年に改修されて色が塗りなおされたとのことでとても美しかった。

インドネシア、ソロ(スラカルタ)のマンクネガラン王宮概観
インドネシア、ソロ(スラカルタ)のマンクネガラン王宮の内部
インドネシア、ソロ(スラカルタ)のマンクネガラン王宮の天井

その後ろにある「ダレム」と呼ばれる王族の居宅があり、この一部が博物館として主にマンクネガラ7世の収集品を展示していた。

収集されているのは宝石やステンドグラスの絵画から刀剣、仏教やヒンドゥー教の芸術品まで幅広く、個人的には「おおっ」と思うようなものはなかったが、ジャワ王族の優雅な暮らしぶりが垣間見えておもしろかった。

インドネシア、ソロ(スラカルタ)のマンクネガラン王宮の博物館の廊下
インドネシア、ソロ(スラカルタ)のマンクネガラン王宮の博物館のステンドグラス
インドネシア、ソロ(スラカルタ)のマンクネガラン王宮の博物館の展示物

1時間半ほどの見学を終えるとすっかり陽が高くなっており、女性が乗ってきたバイクで去っていくのを見送りながら、再び直射日光を受けながら王宮の敷地の外までトボトボと歩いて行ったのだった。

ロンリープラネットのインドネシア
楽天Kobo電子書籍ストア
¥ 3,488(2024/10/13 15:02時点)
インドネシアを広く旅行するならこの1冊。ソロ(スラカルタ)も詳しく載ってます

★お好きなバナーに、応援のワンクリックをお願いします!★
 にほんブログ村 旅行ブログ アジア旅行へ

コメント

タイトルとURLをコピーしました