23年世界遺産に登録された1,000年以上前の都市遺跡
タイではこれまで3か所がユネスコ世界文化遺産に登録されていた(アユタヤ、スコータイ、バーンチェン)が、2023年9月19日新たに今回紹介する「シーテープ歴史公園」が加わった。
西暦1238年スコータイにタイ族による最初の王朝が築かれるよりもさかのぼること700~800年もの昔にこの地を支配していたドヴァーラヴァディー王国によって都市が築かれ東西南北の交通の要衝として13世紀ごろまで栄えた街の遺跡で、交易都市らしくヒンドゥー教や上座部仏教だけでなく大乗仏教の遺構が混在してほぼそのまま残されている。
遺跡はかなり広範囲に散らばっており今もなお発掘作業が続いていていまだその全容はつかめていないとのことだが、すでにその壮大な都市の規模は十分実感できる。
世界遺産登録に合わせて公開されている遺跡自体は大変きれいに整備されているが周辺の開発はまだほとんど手つかずで、自分が訪れた2023年11月はようやくバンガロー風の安ホテルの建設が始まったばかりだった。
おそらくこれから急速に観光設備が整っていくと思うので、そうなる前に見ることができればいにしえの都市の雰囲気をより一層強く感じることができるかもしれない。
点在した遺跡を見るためにも自前の足は絶必
「シーテープ歴史公園」はペチャブーン県最南部のロッブリー県境まで20kmほどのところにある。
行政区分上ペチャブーン県は北部タイに属しているのだが、自然環境的にはむしろイサーン(東北タイ)に近いのではないかと思わせる地域だ。
歴史公園はパーサック川の東5kmのところに位置している。
ルーイ県のペチャブーン山脈にを水源に、現在のペチャブーン県を南北に縦断し最終的にはアユタヤでチャオプラヤー川と合流するパーサック川。
この川沿いに2つの大きな都市(国家)が勃興したというのは、単なる偶然でないだろう。
なお、現時点で歴史公園まで直接簡単に行き着ける公共交通機関はない。
またあったとしても、最大の見どころである2つの遺跡は2kmほど離れておりその間を結ぶ交通機関がないため、いずれにしても自動車またはバイクなどの自前の足は絶対に必要だ。
国道21号線上から何か所も道路標識が出ているので迷ったりする心配は皆無。
遺跡まで続く国道2219号線の沿線はノンビリとした田園地帯で9kmほど行ったところに歴史公園入口がある。
両脇に大きな木が植えられた道を少し進むと誘導の人がいて、駐車できる場所まで案内してくれる。
キャパシティはそこそこありそうだが、週末や休日にはすぐにいっぱいになってしまうのではないだろうか。
駐車場の脇には飲食物やお土産物を売る露店が出ている。
中には近隣の村人の手による遺跡をモチーフにした刺繍を施したバッグもあったりするのでのぞいてみるといい。
また、現時点では歴史公園の近くに宿泊施設はない(国道21号線と遺跡の中間にバンガローのミニホテルは建設中)。
泊るなら国道21号線沿いに点在するリゾート風ホテルがいいだろう。
近い県庁所在地はペチャブーン、ロッブリー、チャイナート、ナコンサワンになるが、いずれも自動車で2時間以上かかる。
自分たち夫婦はチェンマイから行ったのだが、前日はナコンサワンに泊り早朝2時間半ほどのドライブで歴史公園に到着、午後2時頃まで過ごしその後は40分ほど離れたウィチェンブリー郊外のリゾート風ホテル(素泊まり約900THB)に泊った。
なお、下のバナーの現地ツアー専門サイト「ベルトラ」では、バンコク発のシーテープ遺跡日帰りツアーを取り扱っている。一番簡単に遺跡観光するならこれ(PR)
古代都市シーテープの成り立ちとその特徴
参考:歴史公園のパンフレットと説明看板、ペチャブーンインタラーチャイ博物館の解説。以下各遺跡の項も同
発掘によって確認されたシーテープでの人々の定住の証拠はおよそ2,000前のものだそうで、実際はおそらく先史時代後期(鉄器時代)にまでさかのぼることができると考えられている。
その後小さな村は3世紀ごろから街に発展し、この頃にはすでにインドから伝来したヒンドゥー教の影響を受けた埋葬の伝統があったことがわかっている。
そして、シーテープはドヴァーラヴァティー王国(6世紀ごろ~11世紀ごろ)の時代に王国を構成する都市国家のひとつとして最盛期を迎えた。
バンコクの西に位置するナコンパトムを中心とし、チャオプラヤー川を利用した内陸部と南シナ海に面した地域とを結ぶ交易国家だったドヴァーラヴァティー王国にとって支流のパーサック川のすぐ近くに位置していたシーテープの重要性が増したのは、ある意味当然と言えるだろう。
交易都市として栄える過程で、シーテープにはさまざまな文化芸術も伝来した。
ナコンパトム(ドヴァーラヴァティー王国)から上座部仏教、南東のクメール王朝(9世紀〜15世紀)からはヒンドゥー教、北東の中国からは大乗仏教が伝えられ、それらが融合して「シーテープ芸術」として知られる独自の様式が生まれ、後に東南アジアの他の文明に影響を与えた。
この時代にクメール王朝から伝わったヒンドゥー教では、人々が主にシバ神を至高の存在として崇拝していたことを示す遺構が見つかっている。
この3つの宗教の融合は、芸術だけでなく街づくりや建築などさまざまなもので見ることができる。
このように交易の中心地として栄華を極めたシーテープだが、12世紀に入るとラヴォ王国(5世紀〜14世紀)が勃興し都市としての重要性を失うとともに、13世紀には当時の支配者だったクメール王朝の崩壊とスコタイ王朝の出現に伴い交易ルートがシーテープからさらに北部に移ったことにより完全に放棄された。
見学可能なのは4か所。必見なのはそのうち2つ
シーテープ歴史公園では、現在112の遺構が確認されている。
中心は円形の濠に囲まれたムアンナイ(内側の都)と長方形の濠に囲まれたムアンノーク(外側の都)が重なるように並ぶ双子都市で、総面積は約2,889ライ(約4.7平方km)と推定されている。
この部分に約60の遺跡が集中しているが、現在見学が可能なのはムアンナイ(内側の都)だけだ。
この都市の中心の遺跡の外に、50を超す古代遺跡が存在している。
その中で最も重要なのはカオクランノークとプラーンルーシー、カオ(山)タモーラットの洞窟僧院だが、プラーンルーシーは傾いた小さな塔がひとつ残るだけでカオ(山)タモーラットの洞窟僧院は往復3時間以上のハイキングになるなどアクセスが厳しい。
したがって、個人的にはムアンナイ(内側の都)の遺跡群とカオクランノークの2か所を必見の場所とし、時間があるとか自分たちのように遺跡好きとかだったらこれにプラーンルーシー(カオクランノークのすぐそばだ)を加えるといいだろう。
まずは、駐車場の目の前にあるチケット売り場で入場料(外国人100THB)を払いチケットと英語のパンフレットをもらってムアンナイ(内側の都)の見学から始めよう。
ムアンナイ(内側の都)
ムアンナイ(内側の都)は濠に囲まれた円形をしており、面積は2.08平方kmだ。
ここには45か所の古代遺跡と70の池や沼が点在している。
広い敷地の中は観光客用のトラムが走っており、これに乗ると一番奥にある見どころ(発掘現場)まで運転手さんが両脇の遺跡の簡単な解説(タイ語)をしながら連れて行ってくれる。
なのでまずはこれに乗ってしまって終点から遺跡を見学しながら歩いて戻って来るというのが一番おすすめのルートだ。
なおトラムは無料だがチップボックスが備えつけられていて、自分が乗った時は結構な人がお金を入れていた。
発掘現場
トラムの終着点には小さな平屋の建物がある。
ここは、シーテープ歴史公園を発掘した際に発見された人間や動物の骨をそのままの状態で展示した一種の博物館だ。
見ることができるのは人間と一緒に埋葬された犬の骨、象の一部分の骨で特に人の骨はビックリするくらいきれいに残っている。
これらは約1700年前のものと推定されており、骨のほかにも石のビーズ、紅玉髄や瑪瑙の指輪、真鍮製の腕飾りなどが発見されている。
プラーンソーンピーノーン
プラーンソーンピーノーン(プラーン=ปรางค์=塔、ソーンピーノーン=สองพี่น้อง=兄弟姉妹)は古代クメール様式の影響を受けたヒンドゥー教の礼拝所で、大小2つのプラーン(塔)で構成されていることからこの名がつけられた。
ラテライトに全面漆喰で覆われた基礎を共有しているが同時に建設されたわけではなく、小さなプラーン(塔)は大きなものが完成した後で元の壁に沿って建てられたという。
大きなプラーン(塔)は損傷が激しく半分崩れかけているが、内部の壁にはおそらく仏像を安置していたのだろうくぼみがいくつもある。
また、シバリンガとヨニ(男根と女陰を組み合わせた豊穣の象徴)が建物の基礎のさらに下に埋められている。
小さなプラーン(塔)も上部は残っていないが、一部修復の入口上の石彫はみごとなものだ。
このまぐさ石にシバリンガ、ナンディ(シバ神の乗り物とされる白牛)、マヘーシュバラ(大自在天。仏教におけるシバ神の姿)が彫られていることから、この時代の人々が主にシバ神を至高の存在として崇拝していた(シャイビズム)ことを示している。
また、すでに何も残ってはいないがこのプラーン(塔)の西正面には小さな城があり、両者は歩道で結ばれていた。
この歩道は今も残っていて上を歩いたりもできるが、往時は両脇にラテライトの各種儀式用の小さな建物が並んでいたという。
プラーンシーテープ
西暦6~10世紀頃に建立された、プラーンソーンピーノーンの東の同軸上に建つ高さ約13m
の大きな塔のある遺跡。
ここもクメール様式のヒンドゥー教の建築で長方形の基礎はラテライトを漆喰で固め、壁はレンガ造りになっている。
塔の前の両側には小さなバルコニー(現在は基礎だけが残っている)があり、ここには経典が置かれていたと考えられる。
塔の前にはラテライトでできた塔(=聖地)と下界とを結ぶナーガ橋と呼ばれる十字型の歩道が造られている。
発掘では彫刻が終わっていないジャックフルーツの花びらの遺物も出土していることから、もともとはヒンドゥー教の寺院として建てられその後大乗仏教の様式で修復されたもののそれも未完に終わったと考えられている。
塔のすぐ脇には、小さな井戸も残っている。
また、この遺跡の周囲には発掘で出土したのだろう大小さまざまな遺物が置かれている。
ひとつひとつに説明がついていれば色々と理解できることもあると思うのだが、残念ながら現在はそこまで整備されていない。
カオクランナイ
ムアンナイ(内側の都)の中心に位置し、その大きさち密さで異彩を放ち最も印象に残るであろう遺構がカオクランナイだ。
遠くからは崩れたレンガの小山のようにしか見えないが、近づいてみるとその大きさや積み重ねた石の大きさ、石彫の細部の精密さなどに目を奪われるに違いない。
カオクランナイ(เขาคลังใน)という名前は、ここが宝石貴金属などの貴重品や武器が収められた場所だという昔の人々の考えに基づいている。
実際には仏教の僧院で、大きなチェディ(仏塔。最上部は丸屋根または釣鐘形だったと考えれる)またはウィハーン(仏教の集会場)であった可能性もあるらしい。
6世紀建立と、シーテープ歴史公園の遺構の中でも最も古いもののひとつと考えられている。
ドヴァーラヴァティー様式の建築で、幅28.4m、長さ44.3m、高さ12.0mの長方形をしている。
建物はラテライトで造られ、漆喰で装飾されていた。
基壇には幾何学模様、植物や獅子、象、猿、水牛などの動物模様、「運ぶ小人」模様などさまざまなデザインの漆喰装飾が残されている。
また、その上部はレンガを粘土で覆った建物の痕跡もある。
基壇の模様がきれいに残っている部分には屋根がかけられ間近に眺めることができるようになっているが、これを1,000年以上前の人が手でひとつひとつ彫って積み重ねたのだと思うと気が遠くなるような作業だったであろう。
このさまざまな細かいモチーフは、ラーチャブリー、ロッブリー、ナコンパトムの古代都市遺跡から見つかったものと同様の系統だ。
メインの建物とは別に境界壁の内側に小さな建造物があり、補助的なチェディ(仏塔)とウィハーン(仏教の集会場)の跡や何に使われたかわかっていない建物の基礎などが見つかっている。
発掘の過程でグプタ王朝(4~6世紀)時代のインド美術の影響を受けた仏像と上座部仏教の呪文の碑文が発見されたことから上座部仏教の僧院であった可能性があるが、さらに8世紀の青銅製の仏陀や菩薩像が出土し大乗仏教の役割も担うようになったと考えられる。
10~11世紀までその重要性を維持したが、12世紀頃に打ち捨てられた。
ダルマチャクラ
カオクラーンナイの東に円形の大きな遺物が置かれているのが目に入るはずだ。
これがダルマチャクラだ。
6~9世紀に造られたと考えられており、砂岩でできた車輪の外側部分の彫刻は両端を数珠の模様で囲った中に菱形と丸い蓮の花弁が交互に配置され、一番の外側には火炎のパターンが彫られている。
また、スポークの部分には上に飾りのついた柱が浅浮き彫りで、中央の部分には蓮の花びらのパターンが彫刻されている。
いつ見つかったのかはっきりとしていないが、元々はシーテープ郡役場に保管されていたものを1984年国立公園局が寄贈を受けこの場所に安置するようになった。
説明書きにはどの宗教の遺物なのか記載がなかったのだが、自分がかつて見たインド・オリッサ州コナーラクのスーリヤ(太陽)寺院の有名な車輪の石彫を思い起こさせることからヒンドゥー教のものではないかと勝手に推測している。
その他(大きな池など)
トラムを降りてから戻って来る途中には、ほかにもいくつも遺構が残っている。
説明書きもなく(古すぎて詳しいことがわからないのかも)ただ石の基壇があったりするだけなのでわざわざ立ち寄るほどの価値はないと思うが、興味があれば少し道を横にそれて見てみるといいと思う。
インフォメーションセンター
遺跡見学を終えて出発点のトラム乗り場に戻って来ると、右側に小さな建物がありその前のテントに無造作に遺物が置かれているのが目に入るはずだ。
これがインフォメーションセンターだ。
内部にはところどころに遺物が展示され、壁には大きな歴史公園についての説明パネルが掲げられている。
ここはタイ人の団体客が来た時に歴史公園のスタッフが説明を行う場所としての使い方がメインのようだが、パネルは英語併記で絵なども多用していて理解しやすいので見てみる価値は大いにある。
なお、遺跡以外で歴史公園について知識を得たいのであればこのインフォメーションセンターよりもペチャブーンの街(ここから2時間ほど)の中心部にあるインタラーチャイ博物館を合わせて見るとよい。
歴史公園についての詳しい展示があるほか、ペチャブーン全体のさまざまな歴史や文化についての展示もすばらしく、わざわざ立ち寄る価値はある(場所はこちら)。
カオクランノーク
ムアンナイ(内側の都)の遺跡群は間違いなくシーテープ歴史公園の中心ではあるのだが、しばしば公園のシンボルとして写真などが使われ、また当地を訪れた多くの人(自分もその一人だ)にとって一番印象に残るであろう遺跡はこのカオクランノークではないだろうか。
ムアンナイ(内側の都)から2kmほど北に離れており、国道2219号線沿いにいくつも案内看板が出ているのでアクセスは容易だ。
人家もまばらな田舎道を1.5kmほど走るといきなり開けた土地とその中央のカオクランノークの遺跡がド~ンと目に飛び込んでくるだろう。
遺跡の周囲の未舗装の道は時計回りの一方通行になっており、まとまって車が止められるような駐車場はない。
道を進みながら適当に空いているスペースに駐車しよう(週末や休日は道沿いの民家が臨時駐車場になる)。
カオクランノークは8~9世紀建立のタイで発見されたドヴァーラヴァティー様式の仏塔としては最大のもので、一辺が64m四方の正方形をしており高さは約20mある。
13世紀まで仏教の僧院として使われていたという。
発掘が行われたのは2008年とついこの前のことで、それまでは写真のように何と草木が生い茂っていたただの小山だったとのことでビックリだ。
まずは、遺跡に近づいてみよう。
より一層その大きさが感じられるはずだ。
基壇部分はラテライトで造られており、2段に重ねられている。
インド美術の影響を受けた華麗な屋根構造が特徴の建物のレプリカが飾られていたという。
この基壇には、仏塔を時計回りに歩いて祈りをささげる人たちのために小さな小道もつけられていた。
2008年の発掘では、この基壇から説法をするポーズの仏像1体が出土した。
仏塔の四辺すべての中央には階段付きの入口が造られている。
この入口の先には直線状に小さな仏塔が3基づつ、東西南北すべての方向に配置されている。
これは、カオクランノークがヒンドゥー教の宇宙の中心の概念(宇宙論)に影響を受けていることを示している。
基壇の上はレンガ造りだがおそらく長年雨風にさらされたせいだろう、角が取れてまるくなってしまっている。
このレンガの上は平らになっておりそこには仏塔の最上部があったはずなのだが、現在はほぼすべて失われてしまっている。
最上部は鐘の形をしていた可能性が高いようだ。
現在は仏塔を登るのは禁止されているので目にすることはできないが、ペチャブーンの街にあるインタラーチャイ博物館には上部を含め全体がわかるミニチュア模型が展示されていた。
遺跡の敷地の中にはほかにも小さな遺構があるのだが、残念ながら説明書きとかがないので詳しいことはわからない。
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プラーンルーシー
おそらくほとんどの観光客は、これまで紹介して来たムアンナイ(内側の都)とカオクランノークを見学したら終わりだと思うのだが、カオクランノークからほんの1.5kmほどのところにもうひとつの主要な遺跡、プラーンルーシーがある。
カオクランノークの周回道路を進んでいくと途中にプラーンルーシーの案内看板があるのでそちらに進む。
両脇が雑木林の舗装状態が悪い道で「この先に本当に遺跡があるのかな?」と思ってしまうが、そのまま進んでいくと四つ角に出る。
案内看板にしたがってそのまま進んでいくと道はいつの間にかワットパーサケーオという広大な敷地を持つ森林寺院の中に入ってしまうが、気にせずさらに進むとお詣り道具を売る小さな建物がありその先に遺跡がある。
遺跡の脇には3~4台分の駐車場も用意されている。
これまで見て来た遺跡とは異なり、ここはポツンとプラーン(塔)が建っているだけでパッと見にはチェンマイ南部郊外のウィアンクムカームにあってもおかしくないような感じだ。
ルーシー(ฤาษี)は「森に住む修行者、行者」という意味で、ヒンドゥー教シバ派(シャイバ)の僧院の中にあるプレアンコール時代(6~9世紀)の古代クメール様式の塔だ。
元々は今残っている大きな塔のほかに屋根が完全に破壊されてしまった小さな塔やレンガとラテライトで造られた建物などがあったという。
現存している大きな塔は高さ約10mで、ラテライトの基壇の上にレンガを積んだ造りだ。
寺院全体が東向きに建てられており大塔の入口も東向きだが損傷が激しく大きく傾いてしまっており、鉄骨を建てて何とかこれ以上傾いてしまうのを防いでいるといった状態だ。
そのすぐ南側にある小塔も同じくラテライトの基壇にレンガを積んで造っており、大きさはおよそ4m四方だ。
壁の一部は残っているものの屋根は完全に崩壊してなくなっており、また入口の部分は補強の意味もあるのだろう再建されたものだ。
建築様式から見て9~10世紀にかけて建立されたものと考えられる。
2009に行われた発掘ではシバリンガ、ヒンドゥー教の彫像台、ナンディ(シバ神の乗り物とされる白牛)の彫刻、古代クメール文字が刻まれたまぐさ石が発見された。
須弥山(カイラス)に見立てた?カオタモーラット
シーテープ歴史公園から西に15kmほど行ったところに「何でここに?」と思うような小山が独立してひとつだけポコッとある。
これがカオ(山)タモーラットだ。
西に、と書いたが実はこの山はシーテープのムアンナイ(内側の都)とカオクランノークを結んだ延長線上に位置している。
そして、この山にある洞窟にはドヴァーラヴァティー時代で唯一の大乗仏教の僧院が造られた。
この僧院からは仏陀と菩薩の像の浅浮彫りが発掘で見つかっているが、現状では往復3時間のハイキングでないと行くことはできず、地元の人たちは真夜中に登ってお詣りする聖地になっているらしい(チェンマイのドーイステープも年に1度麓から歩いてお詣りする日がある)。
個人的な推測だが、当時の人々はこの山を須弥山(古代インド人の考える世界の中心にそびえる山でチベットにあるカイラスがそれだとされている)に見立てたのではないだろうか。
周囲に山らしい山がない中にひとつだけ峯を突き出している姿は確かにそのように見えも不思議ではないし、聖地に位置付けられてもおかしくないと思う。
もしまたシーテープ歴史公園を再訪することがあれば、その時は洞窟寺院まで山を登ってみたいものだ。
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