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【スコータイ遺跡】遺跡公園の西端の小山の上に建つ立仏像が美しいワット・サパーンヒン

タイのスコータイ遺跡の小山の上に建つワットサパーンヒン ピサヌローク、スコータイ、ウッタラディット&ペチャブーン
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2007年にこの遺跡で日本人女性が殺害されるという事件が発生しており、犯人は現在も捕まっていません。

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自分が訪れた時には、石の坂道の途中にまだ手向けられたばかりと思われる花や日本のお菓子などが置かれていました。
事件を受けて、現地警察では遺跡の登り口に警官の詰所を設けて常時監視にあたっていますが、この遺跡を訪れる場合は単独行動は避けたほうがいいと思われます。

城壁内の主要な遺跡を見終り、西のはずれにあるワット・サパーン・ヒンに向かう。

1988年に訪れた時には、遺跡公園の中にもあまり人がいなかったが、オー門を出て遺跡に向かう道は舗装されておらず、道の両脇は高さ2mはあろうかというサトウキビの畑が延々と続いており、「こんなところで物盗りに襲われたら絶対に助からないよね……」などとカミさんと話しながら、自転車のペダルを漕いだ記憶がある。

今回は自動車なのでその時の道は通らず国道を走ったが、ものの5分ほどで着いてしまい「え~っ、こんなに近かったかな」という感じだった。

遺跡は、国道から600~700mほど道を入ったところにある。

スコータイ遺跡の中心は広々とした平原にあるのだが、西側には小山が連なっておりさながら天然の城壁のようになっている。

それも、おそらくここに王国が築かれた理由のひとつなのだろう。

車を道の脇に作られた駐車スペースに止めて、小山の上にある遺跡へと向かう。

遺跡へは石が敷き詰められた坂道を登っていく。

タイのスコータイ遺跡のワットサパーンヒンへと続く石段

道は、寺院の名の「サパーンヒン(สะพานหิน=石橋)」の通り確かに橋のようにも見える。

勾配もところどころきつくなっており、機械を使わずにこれだけの道を作るのは、さぞかし大変だっただろう。

この日はあいにく雨まじりの天気で、石の上はすべりやすくなっており足元に注意をはらいながら丘の上まで登った。

徐々に小山の上にある仏像が大きく見えてきた。

タイのスコータイ遺跡のワットサパーンヒンへと続く石段の終わり付近

小山の頂上には、ウィハーン(本堂)と思われる建物の柱と仏像だけが残されていた。

タイのスコータイ遺跡のワットサパーンヒンの仏像と本堂の柱

遺跡の脇に建つ説明ボードには、次のように書かれていた。

200mの円丘の上まで続く300mの石の道を登った上にある寺院の遺跡。
寺院の名前「サパーンヒン(石橋)」はこの道から取ったものだ。
道の途中には、蓮のつぼみを象った小さなチェディ(仏塔)がある。
スコータイの第一碑文にもこの寺院のことが「アラヤーナクの大きな森の真ん中に大きなウィハーン(仏堂)があり、そこには美しい姿のアッターロという仏像がある」と記されている。
この寺院は、仏教の安息日にラーンカムヘン王がラチャカーリという名の白象に乗って必ず訪れたと言われている。

遺跡はこの日見てきた公園中心部の寺院に比べると非常に小規模ではあったが、説明書きにあるアッターロという立仏像が実に美しかった。

タイのスコータイ遺跡のワットサパーンヒンの立仏像

仏像の裏側に回ってみると、崩壊を防ぐよう支えで補強されていた。

タイのスコータイ遺跡のワットサパーンヒンの立仏像の裏側

遺跡もいいのだが、ここのもうひとつの見どころは丘の上からの景色だ。

タイのスコータイ遺跡のワットサパーンヒンからの景色

天気が悪かったためか自分たち以外にまったく観光客はおらず、遺跡の入口から比べると少しだけひんやりとした湿り気を含んだ空気が時々ほほをなでるように吹き抜け、とても気持ちがよかった。

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