スコータイ王朝の副王都だったシーサッチャナーライ
「スコータイ王朝の史跡を訪ねる」というテーマをカミさんと立て、毎年1度づつチェンマイからドライブ旅行をしている。
すでにスコータイ本体は2回に分けて巡っており、今回はスコータイの南にある要塞都市カムペーンペットが最終目的地なのだが、途中にスコータイ王朝の副王都だったシーサッチャナーライがあり、まずはそちらに立ち寄ることにした。
チェンマイからは、国道11号線でラムパーン経由デーンチャイに向かう手前で国道101号線に入り、交通量の少ない山道を使って平地に降り、シーサッチャナーライに直接入るルートを使った。
チェンマイからだと、途中休憩をしながら約4時間のドライブだ。
シーサッチャナーライはスコータイの北およそ50kmに位置し、「吉祥なる銀の出るところ」という意味でスコータイ王朝時代は副王都として栄えたという。
スコータイ本体、カムペーンペットと合わせてユネスコの世界遺産に登録されている。
が、スコータイ歴史公園に比べると訪れる人はグッと少なく、広大な林の中に遺跡が点在する中を歩いていると、いにしえの副王都の雰囲気に浸れるのでぜひ訪れたい場所だ。
また、日本人の焼き物マニアにとってはスンコロク(宋胡録)の故郷として有名で、遺跡の外には窯の跡や焼物を売る店が点在していて日本人客も多いのだろう、日本語の看板を出している店もある。
が、街の名の意味するところの通り実は銀製品も非常に有名で、この街を通る国道101号線沿いには銀製品を扱う店が多数あるので興味がある人はのぞいてみるといいと思う。
遺跡群は広大。貸自転車かトラムが便利
歴史公園は720ヘクタールと広大な面積を有しており、その中に約200以上の遺跡が点在しているため、自分のように自家用車があったとしてもすべてを見て回ろうとしたら膨大な時間と手間がかかるだろう。
自分たちはカムペーンペットに向かう途中に立ち寄ったため時間がなく、城壁内中心部の主要な遺跡だけを見学したが、正直よほどスコータイ王朝時代の遺跡に対する知識があれば別だがたくさん見ても結局みんな同じに見えてしまうのではないだろうか。
城壁内中心部だけであれば、入口付近に貸し自転車があるほか乗り合いのトラムも走っている。
ただ、タイではよくあるのだがトラムは土日祝日など人の出る時だけの運行のようで、自分たちが訪れた平日は貸し切りのみとなっていた。
城壁内中心部の主な見どころ
城壁は一辺が1km*500mほどの長方形をしており、大きな木がいたるところに生えていて林のような印象すら受ける。
内部の道はよく整備されているが、それでもかなりの広さがあるため中心部までは歩いていくと結構な距離がある。
まずは城壁に作られた門を通って内部へと入る。
すぐに12mの幅があるというお濠を越えさらに先に進むと、城壁に沿って走るまっすぐな道が目に入ってくる。
これに沿ってまずは進み、途中から中央部に曲がりこんでいく形になる。
中心部には下に記載した3つの遺跡が固まっているが、一番北にあるワット・チャーンロームから南に下ってくるようにして見ると出口に近づく感じになるのでおすすめだ。
記事もその順番に紹介している。
中心部に向かう途中の遺跡
中心部に向かって進んで行くところどころに遺跡がある。
一応手入れはされているようだが説明書きがないものが多く、詳しいことがわからないのが残念だ。
基礎部分や柱の下部などスコータイの遺跡よりもよく残っているものも多い。
ワット・チャーンローム
碑文によれば、この寺院は西暦1285年から1291年の間にスコータイ王朝第3代王で同王朝を大国に押し上げた名君として名高いラームカムヘーン大王によって建立されたらしい。
寺院名のチャーン(ช้าง)は「象」、ローム(ล้อม)は「取り囲む」という意味で、その名の通り38頭の象がぐるりと取り囲んだ基壇を持つ釣鐘型のチェディ(เจดีย์=仏塔)が非常に印象的だ。
象が取り囲む基壇の上部には仏像が窪みに収められているが、こちらは首がなかったり両肩から先がなかったりとかなり傷んでいる感じ。
ちなみに、スコータイ遺跡の中にも同名の寺院があるが、それに比べるとこちらのほうがはるかに保存状態がよいと思う。
また、この後行ってわかったのだが、カムペーンペットの遺跡群(城壁外)にもやはり同名の寺院がある。
が、やはりそちらに比べてもこの寺院の象ははるかに原型をとどめている。
遺跡の上に登ることができ、そこからの景色はなかなかよかった。
ワット・チェディ・チェット・テーウ
ワット・チャーンロームの隣に建っているのがワット・チェディ・チェット・テーウだ。
チェディ(เจดีย์=仏塔)・チェット(เจ็ด=7)・テーウ(แถว=列)の名の通り、7つの仏塔が列になって並んでいる(一列というわけではない)のが特徴的な寺院の遺跡である。
なお、塔頂部までほぼ完全な形で残っているのはこのうち3つだけで、残りは中央部付近までしかない。
遺跡の中央部にひときわ大きくそびえたチェディ(仏塔)は、スコータイ遺跡のワット・マハータートと、ほぼまったく同じ形をしている。
なお、この7つのチェディ(仏塔)以外にも、寺院の中には30以上の大小さまざまなチェディ(仏塔)があったとされている。
ウィハーン(本堂)は現在は基礎部分と柱、それもいつ崩壊してもおかしくないようなものが多い……しか残っていないが、レンガと石膏で作られ東南アジア全土で広く使われている古代インドの建築技術を用いて円形の格子窓がつけられていたらしい。
比較的保存状態もよくなかなか趣のある遺跡だが、自由に遺跡の上を歩いたりすることができてしまうので、この先現在の状態を保って行けるのか少々心配になってしまう。
ワット・ナーンパヤー
ワット・チェディ・チェット・テーウの南側にあるのがワット・ナーンパヤーだ。
ナーンパヤー(นางพญา)は昔の言葉で「女王」という意味なので、直訳すれば「女王の寺院」ということになるのかもしれないが、パヤーはカムムアン(北タイ語)では「金」という意味になるので、ひょっとすると「金の女性の寺院」という意味なのかもしれないが、そうだとしたら一体どんな女性なんだ?
パッと見た感じではワット・チャーンロームやワット・チェディ・チェット・テーウとほぼ同じスタイルの遺跡のように見受けられるが、実際には他の遺跡寺院と較べると少し時代が下った15世紀から16世紀の間に建てられたと考えられ、チェディ(仏塔)はシンハラ(スリランカ)様式だ。
タイの遺跡には珍しく、ウィハーン(本堂)の壁の一部分が残っているが今にも崩れそうな状態で、屋根をつけて何とか保存しているという感じ。
仏足跡ではないだろうかと思われる蔦のような彫刻の施された部分も見られるが、とても細密で見事なものだ。
いつまでも大切に残してほしいと思う。
Booking.com
コメント