中国国民党の落人村メーサローンの歴史
タイ最北部チェンラーイ県の標高およそ1,100mの山の中にある小さな村メーサローン。
今はお茶の産地として有名観光地となっているが、元々は第2次世界大戦後に勃発した中国共産党との内戦に敗れ雲南から敗走してきた段希文将軍率いる国民党93師団第5軍の兵士とその家族によって作られた。
もっとも、彼らは中国から直接ここに来て移り住んだわけではなく、最初は1949年にミャンマー北部に逃げこんだのだが、国外退去を求められここに移動してきたという(村の周辺には、メーサローンのように観光地化されなかった国民党の残党が暮らす小さな村が至るところにある)。
その後、この一帯はタイ政府の力が及ばない半独立国のような状態で一部の元兵士とその家族はケシ栽培など麻薬製造および密輸などに携わりながら大陸の中国共産党への反攻に転じることをもくろんでいたものの、最終的には武装解除と引き換えにタイ政府から居住権を与えられ国籍を取得した。
現在は、同じく中国共産党との戦いに敗れた人々が多く住む台湾から援助された木で栽培したお茶をはじめとするさまざまな農業、そして観光業を合わせた2本柱がこの村の経済を支えている。
自分がこのメーサローンを初めて訪れたのは、もう今から35年も前の1989年。
当時はまだ麻薬王として名高かったクンサーの影響力が強くて訪れる旅行者も少なく、村には旅社のようなゲストハウスが3軒あるだけだった。
自分が宿泊した宿の入口の壁には大きな地図が貼られていて、村の裏山の稜線から向こう側は赤く塗られ、ドクロのイラストとともに大きく「クンサー」と書かれており、宿の主人からも「前の道を山の上から先には絶対に行ってはいけないよ。もっとも、行こうとしてもタイの軍隊がいるから行けないけどね」と厳しく注意されたのだった。
村に通じていたのは、チェンラーイとメーサーイを結ぶ国道沿いにある村の入口にあたるメーチャーンの街はずれからのまだ舗装も満足にされていない細く険しい道が1本だけしかなく、今では想像もできないだろうが、村の中を馬に乗った隊商が行き来していたほか、野菜を道端で細々と売っていたアカ族の写真を撮ろうとしたら石を投げられたりするくらいの閉ざされた土地だった。
また、ちょうど天安門事件の直後だったので、村の中のあちらこちらに漢字で事件を非難する貼り紙がしてあったのも強く印象に残っている。
平地から車で1時間半ほど。村は2つに分かれている
現在は、メーチャーンと村とを直接結ぶ道もかなり整備が進み、自分のように自動車のハンドルを握れば1時間半ほどで着いてしまうほか、メーチャーンからタートーン、ファーンへと通じる国道1089号線が開通し、こちらは道路の状態がずっとよくメーサローンに通じる枝道も距離が短い(ただし勾配はキツイ)。
なので、チェンラーイやメーサーイ、チェンセーンから往路は国道1130号線でメーチャーンから直接メーサローンへと向かい復路は国道1089号線を使って国道1号線へと降りる、周回ルートのドライブを楽しみながら日帰りで訪れることも可能だ。
現在、メーサローンの村の中心は土産物屋やレストラン、学校などが立ち並ぶロータリー風の大きな三差路付近となっているが、このあたりは昔はまさにタイ国軍のバリケードが築かれクンサー支配下のエリアとの「国境」のようになっていた。
近年開発された観光エリアであり、それを示すような看板も立っている。
昔からの村の中心部は、そこからメーチャーン方面に1.5kmほど坂を下った市場やセブンイレブンがある周辺の坂のきつい場所だ。
新しい村の中心部周辺は新しい建物ばかりで、買い物や食事をする以外はブラブラ散策してもあまり楽しくはないので、昔ながらの村の雰囲気を感じたければセブンイレブンを目印にして行くとよい。
今も中国の文化を色濃く残す村の旧中心部
セブンイレブンのある周辺は、中国様式をそのまま残す家屋などが今なお建ち並んでいる。
中には旅行者相手の飲食店やゲストハウスにしていたりする建物もあるが、基本的には普通に人が生活している家が中心だ。
どこに行こうとしても平らな道はなく坂ばかりなので歩くのは結構大変だが、ウロウロして見るとこの村の歴史や成り立ちを肌で感じることができるだろう。
中には、古い建物を活かして旅行者相手のカフェを開いているところもある。
大通りから少し奥まった場所にある市場。
早朝、市場の前には山岳民族(主にアカ族)が自分たちの作った野菜を中心に売る露店市が立つので、ここを訪れるのであれば村に一泊して朝の散歩がてらにするとなお楽しいだろう。
ワンボックスカーに乗ってやって来る多くの観光客は新中心部だけに立ち寄って買い物をしたら立ち去ってしまうが、ぜひこの旧中心部をウロウロと歩いてみよう。
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