中世の雰囲気を色濃く残すカトマンズ旧市街
カトマンズの街は、長い間続いたマオイスト(毛沢東主義者)ゲリラの略奪と殺戮から逃れた地方の人々が流入して以降人口が爆増したとはいえ、その規模は一国の首都とは思えないくらいこじんまりとしている。
そして、その中心部は先住民族のネワール人が築き上げた建物が密集し、独特な雰囲気を醸し出しており路地やバハル(一族が集まって住む住居に取り囲まれた中庭)巡りが楽しいエリアとなっている。
自分が住んでいるチェンマイも旧市街の街歩きは楽しいが、ここカトマンズのそれとはその楽しさの質がまったく異るものだ。
なかなかうまく口で説明することができないのだが、カトマンズの街のほうが日本人のメンタリティによりしっくりする、とでも言えばいいのだろうか。
自分はカトマンズ滞在中、特にやることがなければ朝食後のひとときはこの旧市街をウロウロすることにしており、チェンマイでは考えられないくらい(笑)徒歩で移動しているが、この日はメインストリートであるインドラチョークからアッサン広場へと抜ける道を散歩した。
インドラチョークからアッサン広場へ
インドラチョークからアッサン広場へと続く道は旧市街の中心と言ってもよく、わずか300mほどの間にさまざまな店が建ち並んでいる。
この道はもともとインドとチベットとを結ぶ交易・巡礼路の途中にあたり、両国に向かう、あるいはルートの途中や周辺に住む人々が物資を調達できる最大のマーケットであった。
そのため、金属で作った大きな鍋などの調理器具や食器、衣類や布地・装飾品、あるいはスパイスや穀類などありとあらゆるものが売られている。
また、道端のところどころにはヒンドゥー教や仏教の神様を祭った寺院や道祖伸があり、行きかう人が足を止めて祈りを捧げたりしているなど、じっくり見て歩くといくらでも興味が湧いてくる。
ぜひ、早歩きではなくゆ~っくり歩いてほしいと思う。
【動画】インドラチョークからアッサン広場にかけてを歩く
散歩の出発点インドラチョークの広場
正面に見えるのは、アカシュバイラブ寺院。
今はやっていないようだが、夜になると人々が集まって楽器を奏でバジャン(宗教歌)を歌うのを見ることができた。
荷運び人の客待ち場所を表す(?)道路標識がユニーク
ちなみに、カトマンズ周辺で荷運びの仕事をするのはタマン族が圧倒的に多いのだが、その民族名自体がタ(網)マ(馬)=馬の背中の荷にかける網、から由来しているという人々だ。
貧しい人々が多いネパールの中でも、とりわけ貧しい民族としても知られている。
日中は大勢の人々が行きかいにぎわう
真鍮で作った(=重いが壊れにくい)水壺などを売る店
寺院の前を使ってサリー用の布地を売っている
買ったものを頭の上にのせて運ぶ女性(荷運び人ではない)
この通りの終着点はカトマンズ盆地周辺に向かう道が5方に分かれて伸びるアッサン・トール(広場)だ。
広場の中心にはアンナプルナ寺院が建ち、それを取り囲むように食品を扱う店が建ち並んでいる。
が、この広場の最大の見どころは、朝早くに出る路上で野菜や魚などを売る露店だ。
自分が住んでいた頃に比べると、野菜の種類も鮮度も格段にレベルアップしているが、チェンマイに比べるとまだまだワイルドな感じだ。
この一帯はとりわけ先住民族のネワール人色が濃いので、売り手も客もしゃべっているのはネワール語が多い。
露店は特に北のタメル方向に伸びる路地に多くあるので、興味がある人はそちらに歩いて行ってみよう。
大通りカンティパトへ抜けて歩道橋を渡る
【動画】カトマンズの旧市街の裏通りと歩道橋の上の物売りたち
この日は、ダルバルマーグ(新王宮前通り)に用事があったので、そちらに向けて散歩を続けた。
インドラチョークからアッサン広場へ伸びる道をそのまままっすぐ行けばあっという間なのだが、それではおもしろくないので裏道を使う。
すぐに、新しく作られたカトマンズ市内を南北に貫くメインロード、カンティパトへと出る。
ジャマルと呼ばれる場所は歩道橋がかけられており多くの人が行きかうが、その周りと歩道橋の上にはたくさんの露店が並んでいる。
このあたりに出ているのは、ネワール人ではなく彼らが「パケ(田舎者)」とちょっとバカにして呼ぶ盆地の周囲やさらに地方から出てきた人々だ。
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