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【ネパールの旅】カトマンズの先住民ネワール族の家で出たローカルなスナック

カトマンズの一般家庭 ネパールの旅
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自分たち夫婦が1988~89年にかけて暮らしていたネパールの首都カトマンズ(正確には南隣の街パタン)。

その後東京に戻ってからはなかなか行く機会もなかったのだが、チェンマイに本拠地を移してからは毎年のように訪れている。

もちろんチェンマイ同様今さら観光するでもなく、もっぱら友人たちと会って旧交を温めるのが一番の目的だ。

自分たちが住んでいた頃のカトマンズは今とはまったく様相が異なり、街からちょっと離れればのどかな農村地帯が広がっていて車もバイクも比較にならないくらい少なかった。

何しろ「カトマンズでは殺人事件が過去19年間起きていない」と言われていたくらいで、とにかくノンビリしていて街並みともどもまさに中世そのままの暮らしが息づいていた街だった。

1980年代末のカトマンズ。上から
*スワヤンブナート寺院から見たカトマンズ市内
*ダーバースクエア(旧王宮前広場)
*ニューロード
*ダルバルマーグ(当時の王宮前通り)

1989年のカトマンズ
1989年のカトマンズ
1989年のカトマンズ
1989年のカトマンズ

この日は友人からお誘いを受け、カトマンズ市内のど真ん中もど真ん中、かつては「ヒッピーの聖地」と言われたフリークストリート(ドチェン)からちょっとだけ南に行ったところにあるお宅へとうかがった。

ネパールの首都カトマンズに昔から住んでいるのは「ネワリ(ネワール族)」と言われる人達だ。

古くからインドとチベットとを結ぶ交易の拠点として栄え、人の往来が絶えなかったこの地に暮らすネワール族は色々な人種や文化との混淆が進み、人の顔つきもまるっきりインド人のような人もいればチベット人っぽい人もいるし、ヒンドゥー教徒もいれば仏教徒もいる。

唯一の共通項は「目が大きい(彼ら自身もここでネワリかどうかを判断する)」ことくらいだ。

自分が居候していたパタンの家は「サキャ」というカースト(苗字)に属しており、想像がつく通りお釈迦様の末裔とも言われることもある。

ネパールには特にモンゴロイド系民族を中心に仏教徒は数多くいるが、この国で唯一の大乗仏教徒なのも興味深い。

ただし、大乗仏教と言っても日常のほとんどの儀式が家族以外参加できないなど密教の影響が非常に色濃いのが日本とは異なる。

ー***ー

ネワール族の住居は中世そのままのそれこそ何百年と建て替えていないと思われる古い作りで、首都カトマンズのど真ん中とはいえ入り組んだ狭い路地を覆うように並んでいる。

カトマンズの街並み

友人の家は、そんな街並みの中の一軒だ。

身体をかがめなければ通れないくらいの狭い木製の扉を開けて中に入る。

内部も天井が低くて全体的に窮屈な構造になっており、階段は勾配が急な粗末な木製で足元に気をつけて昇り降りしなければならない。

上の階のリビングルームに行くが友人はおらず、さらにその上の階から声が聞こえて来た。

ネワール族に限ったことではないのだが、多くの一般家庭ではキッチンを神聖な場所としていて家族以外の者を立ち入り禁止にしている。

友人の家は進歩的なのでいきなり行っても問題はないと思われるが、一応下から「来たよ~」と声をかけると「上がって来て」と返事があったので階段を昇る。

キッチンでは友人の奥さんが調理していた

カトマンズの一般家庭

友人と奥さんに挨拶すると「ちょっとつまむものを作ってるから待ってて」と言われる。

家にうかがったのが食事には中途半端な時間なので、どうやらスナックでもてなしてくれるようだ。

友人が「これでも飲んで待ってて」とカップを出してくれた。

どこの家でもまずはチヤが出て来る

カトマンズのチヤ

チヤはインドなどでは「チャイ」呼ばれるミルクティーだが、山岳地帯が多く貧しいネパールではほとんどスパイスが入らないのが異なる点だ。

また、寒い季節や場所では身体を温めるためコショウを入れたりもする。

キッチンに立っている友人と奥さんとチヤを飲みながらしばらく雑談していると他の友人もやって来た。

おそらく、今日自分が来ることを伝えておいてくれたのだろう。

再会の挨拶をして近況などをはなしているうちに、皿が運ばれて来た。

アルウォ

ネワール族家庭料理

ジャガイモにマサラ(スパイス)を入れた衣をつけて揚げたフリッター。

典型的なネワール料理で、色々な家で出される。

続いて出て来たのはポークチリとボジ

ネワール族家庭料理
ネワール族家庭料理

ポークチリはその名の通り豚肉の唐辛子炒めだが、カトマンズではローカルな店でもそのままの名前でメニューに載っておりごくごく一般的な食べ物だ。

ボジは干し飯で、おそらく昔は米を長期保存していつでも食べられるようにしておくために作られたものだろう。

今はこうしてスナックに添えられることが多く、自分の周りの友人(裕福な人が多い)がこれを主食として食べることはない。

大昔に居候していた家(仏像工房)では、働きに来る職人たちの食事には炊いたご飯ではなくこのボジが出されていたが。

一緒にトゥシアチャールも出された

ネワール族家庭料理

アチャールは日本語では「箸休め」と訳されることも多いようだが何か違う気がする。

じゃあどんな表現がいいのかと聞かれても思い浮かばないのだが。

トゥシアチャールはキュウリをメインとした野菜の箸休めで、入っているのがすべて生のままなのが特徴だ。

日本やタイではあまりしないと思うが、グリーンピースも火を通さず入れている。

正直言ってかなり硬い。

もうこの段階で結構お腹がふくれていたのだが、さらにドーンとモモが2皿も出て来た。

バフモモ

ネワール族家庭料理

これは水牛肉(バフ=バッファロー)のモモ。

モモは小籠包に近い食べ物でたぶん元々はチベット料理だと思うのだが、カトマンズのネワール族は大昔からチベットとの交流が盛んだったため独自の進化を遂げており、もはやネワール料理のひとつと言ってもいいと思う。

あまり知られていないが、ラサのポタラ宮もシガツェのタシルンポ寺院も建物だけでなく内部に安置されている仏像なども含めほぼネワール人の大工や職人によって作られている。

中国なんて今は自国の領土みたいな顔してるけど、侵略以外ほとんど何にもしてないからね。

もうひとつはクワモモ

ネワール族家庭料理

ココナツなどが入ったネワール式の甘いモモで、なかなか店では食べることができないと思う。

甘いと言ってもくどい甘さではなく、どちらかというとほんのりと甘い感じだ。

この日は家にうかがったのが中途半端な時間でこういう料理になったが、パクパクとつまみながら友人たちとの久しぶりの再会で楽しい時間を過ごした。

この後はもう何も食べられないくらい満腹で、お友達の家をお暇するとダーバースクエア(王宮前広場)経由でインドラチョーク~アッサンと腹ごなしにウォーキングしながらホテルへと戻った。

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