寺院以上の信仰を地元民から集める高僧の像
チェンマイ最大の見どころと聞かれたら、多くの人がドーイ(山)ステープと答えるだろう。
その中心はワット(寺院)プラタートドーイステープで、タイ人の間では「ここを訪れなければチェンマイに来たことにはならない」と言われるほどのスポットだ。
そんな場所なので寺院の中は1日中国内外からの観光客でにぎわい完全に観光地化しており、正直言って信仰の場所という雰囲気ではない。
一方で、地元の人たちが寺院以上によくお詣りするドーイステープゆかりの場所がその麓にあることは特に外国人観光客にはまったく知られていない。
それが今回紹介するドーイステープ寺院までの自動車道路を建設した高僧、クルーバーシーウィチャイ(ครูบาศรีวิชัย)の像を祭った聖地だ。
チェンマイの人々はこの僧を「นักบุญแห่งล้านนา=ナックブンヘーンラーンナー(ラーンナーの聖人)」と呼んで高く敬っており、朝に夕にやってきては花や線香、ローソクなど供えてお参りする。
地元の人なら「クルーバーシーウィチャイ」と言えば知らない人はおらず、ある意味ドーイステープ寺院そのものよりも信仰を集めていると言っても過言ではない。
また、北タイの人に限らずタイ人全体の間でも有名で、バンコクなどからの観光客を乗せたドーイ・ステープ寺院に向かう自動車の多くがここに立ち寄るか、通り過ぎる際にドライバーがクラクションを鳴らしてお参りがわりとする。

動物園を過ぎ山道が始まるとすぐ
「クルーバーシーウィチャイ」像はドーイステープに向かう国道1004号線(市内ではフワイケーオ通り。像を過ぎるとシーウィチャイ通りという名前になる)沿い、チェンマイ動物園を過ぎて道が大きく右にカーブし急登が始まってから100mほど行った左側にある。
バイクか自動車など自前の足で行くのが一番便利だとは思うが、チャーンプアック門から出るドーイステープ寺院行きのソンテオに乗って途中で降ろしてもらうこともできる。
像の前にはドーイステープへ行くソンテオが常に客待ちしているので下から来るのを待つ必要はない。
トゥクトゥクでも急登は少しなので行けるとは思うが、ドライバーによっては拒否されるかも。
クルーバーシーウィチャイの略歴
クルーバーシーウィチャイは1878年に生まれた。
嵐の真っただ中に生まれたため、「ฟ้าร้อง=ファーローン(雷)」というチューレン(ชื่อเล่น=あだ名)がついたという。
子供の頃から特に放生(籠に入った鳥や魚などを放して功徳を積む行為)に興味を示し、熱心に行った。
18歳でラムプーン県にあるワットバーンパーンで学び始め、その信心深い姿勢はすぐに多くの人々からの尊敬を集めるようになった。
功徳を得るために人々が彼の行いに対するサポートを申し入れたので、彼は寺院の修復プロジェクトを立ち上げ生涯で100以上の寺院を修復した。
その中には、ラムプーンのワットプラタートハリプンチャイやワットチャーマテウィー、チェンマイのワットプラシン、ワットスワンドークなどの有名寺院が数多く含まれている。
ドーイステープまでの道路建設にはのべ5,000人以上の人々がボランティアとして参加し、完成までに5ヶ月強の時間を費やした。
1935年4月30日に行われたオープニングセレモニーでは、彼の乗った自動車が先頭になって、ドーイステープまで登っていったという。
詳細は下記「クルーバーシーウィチャイがドーイステープへの道を作るまで」をご参照ください
お参りのしかた
像の向かい側にブースが10軒ほど並ぶ東屋があるので、まずはそこでお参り道具を買う。
普通はマリーゴールドの花輪、1本の蓮の花、線香、ロウソク、金箔がセットになっている20THBのものを買うのだが、ほかに蓮の花がたくさん束ねられた高価(セットで100THB)なタイプ、生まれた曜日のロウソク、象やトラなどの置物などが売られているのでそれらを追加で買ってもいい。


道路を渡って像の前の階段手前で靴を脱ぎ、上にあがったら両脇にある燭台か供えられたロウソクから火をもらって自分のロウソクにつけ置き場に立て、線香に火をつけてから手を合わせてお祈りする。
お祈りの内容は普通は口に出して言わないのでみんながどんなことを祈っているのかはわからないが、願いごとをする前に自分の名前、生年月日、住所とかを言うのが定番になっている。
そうしないと、クルーバーシーウィチャイが誰から願いごとをされているのかがわからないということらしい。
また、願い事が叶ったらお礼にこういうことをします、とか願い事が叶うまでこれこれはしません(例えば一番の好物を食べないとか)という約束をする。
これを破ると大変なことになる(罰が当たる?)ようで、以前「願い事が叶ったら、家族全員で像の前で裸踊りをします」と約束した(本人は願いごとが叶わないと思って冗談で約束したらしい)男性の願い事が本当に叶い、子供から年寄りまで家族全員が全裸で踊ったというのがニュースになったことがある。

また、願い事が叶ったら必ずお礼参りをする。
その際には卵をお供えする(縁起のいい数ということで末尾が9になる個数=19個とか99個とか)する人が多い。
お参りに行くと像の周りに卵がたくさん置かれているのを見ることができるかもしれないが、それだけ願い事が叶ったということだ。

像の前でお祈りを終えたら横に回り込んで蓮の花とお線香を所定の場所にさし、金箔を像に貼り付けマリーゴールドの花輪を置く。
以前はお参り道具セットの中にニンニクがありそれを足にこすりつけるというのがあったのだが、数年前からなくなってしまった。
それはなくしちゃっていいのだろうか???と前々から疑問に思っているのだが……
その後、人によってはもう一度像の前でひざまずいて三拝する。
なおこの3という数字には仏教の三宝、すなわち「仏法僧」に祈りをささげるという意味がある。

周囲のさまざまなモニュメントも見て回ろう
お参りが終わったら像に向かって左手にある東屋に行ってみよう。
すぐにクルーバーシーウィチャイの蝋人形が置かれているのが眼に入るだろう。
ここも像へのお参りを終えた多くの人が参拝している。

蝋人形のすぐ左隣には、クルーバーシーウィチャイのポスター(時期によってはカレンダー)が置かれているのでほしい人は備えつけの箱にお布施をしてからいただこう。
その前あたりには小さな像があり、香りがつけられた水の入った大きなボウルがあるので一緒に置かれている銀の椀で水をすくって祈りを捧げながら像にかけることができる。
日本で言ったら、仏陀の像に甘茶をかけるようなものだろうか。

さらにその先にはベンチがあって休憩ができるようになっている。
突きあたりには、道路の開通式の時の様子(下記「クルーバーシーウィチャイがドーイステープへの道を作るまで」参照)が大きなレリーフが飾られている。
その右の壁際には歴代の(?)クルーバーの像がずらりと並んでいる。

東屋の前の道をまっすぐ奥に進んでいくと駐車場があり、北側には飲食店や売店が並んでいる。

さらに奥の突き当りにはフワイケーオ滝やドーイステープ寺院へと通じるハイキングコースの入口がある。

このハイキングコースは何かのメディアで紹介されたのか欧米からの旅行者には大変有名で、時間によってはそれっぽいファッションをしたハイカーを見ることができるだろう。
像のすぐ右下の道路とのすき間スペースには、人々が寄進した大きなサイズのものが置かれている。
インドにあるアショカ王の石柱のコピーや真鍮でできたゾウの像、クルーバーシーウィチャイの逸話にちなんだ像などがある。


なお、国道をはさんだ反対側には小さな売店やトイレがありクルーバーシーウィチャイにちなんださまざまな書物や仏像、ステッカーなどの言ってみれば「クルーバーグッズ」が売られている。
縁起物(?)でもあるので、立ち寄ってみることをおすすめする。
早朝か夜がおすすめ
お参りするのに決まった時間というのはないが、日中は陽射しをさえぎるものがなくかなり暑くなるので行くのであれば早朝か夜がいい。
人によっては「日が高くなって暑い時は、お参りに行ってもクルーバーはいないよ」とか言う。
実際お参りに来る人もその時間帯が一番多くなる。
早朝の7時過ぎくらいまでであれば、像のすぐ奥にあるワットシーソーダーの僧侶たちが国道を下へ降りて行って托鉢をする様子を見ることができる。
僧侶の数はかなり多く、列になって緑濃い坂道を行き来する姿はチェンマイでもなかなか見ることはできないと思う。
鉢に入れる飲食物などを売る店も出ているので、わざわざそれらを持参しなくても気軽にサイバート(ใส่บาตร=鉢に入れる=徳積行をする)できる。
興味があれば、ぜひ挑戦してみよう。



夜は、陽のある時間帯とは受ける印象が一変する。
周囲が漆黒の闇に包まれた中にクルーバーシーウィチャイ像の周辺だけがイルミネーション風のものを含む灯りで照らされ、少し幻想的な雰囲気さえ漂わせている。
ワンプラ(วันพระ=仏様の日。タイのカレンダーには日にちの数字の脇に仏様の絵がついていることが多いが、これがワンプラを示す)はお参りに来る人が特に多いためかなりにぎやかなことが多いが、少し天気が悪い日とか寒い日(この像はドーイステープのふもとにあり市内に比べると気温が低い。時期によってはチェンマイ大学正門前あたりからどんどん空気が冷たくなっていくのがハッキリ感じられる)はお参りする人も少なく、より一層それが感じられる。
【動画】新年のにぎやかなクルーバーシーウィチャイ像


なお、ドーイステープへと向かう道は通常19時に像の先にあるゲートが閉められてしまい先に進むことはできない。
クルーバーシーウィチャイにちなんだイベントなどが行われる時には、像の前のスペースにさまざまな飾りつけや仏像と寄進箱などが置かれたりする。
普段とはまた違った少し華やかな雰囲気になるのがいい。

クルーバーシーウィチャイがドーイステープへの道を作るまで

昔は、ドーイステープにお参り旅行に行くのはとても大変なことでした。
徒歩で登って行くには数時間かかりました。
仏暦2460年(西暦1917年)まで、ボウォンデート王は国道部の職人にドーイステープに登る道の工事について調査させる考えを持っていました。
調査の結果、費用は20万バーツで期間は3年にわたるということがわかりました。
政府の側は、予算がないのでそのような工事はできないと王の考えを制止しました。
その後、チェンマイの王であるシープラカート王とケーオラワラット王は、もう一度この試みが成功するか心で祈り瞑想して見てもらうために、クルーバーシーウィチャイに来ていただくよう懇請しました。
クルーバーシーウィチャイは、明日中にもう一度答えを聞きに来るよう約束しました。
そのため、2人の王は翌日もう一度クルーバーシーウィチャイのもとを訪ねて拝みにやって来ました。
すると、クルーバーシーウィチャイは「6か月以内に終わる」という答えと同時に「金曜日に山に登り、土曜日に谷川を降りる。儀式を始めてほしい。」と謎の言葉を言いました。
そこで、シープラカート王は自分の妻であるルアンケーオ夫人に会って相談するため、急いで旅行に出ました。
シープラカート王はよい返事をもらい、そしてルアンケーオ夫人は自ら料理人としての義務を果たしました。
シープラカート王は、個人のお金でドーイステープに登る道の工事に関するビラを5万枚印刷しました。
そして、ケーオラワラット王は北部全体の人々に配るためにさらに5万枚のビラを印刷しました。
クルーバーシーウィチャイは仏暦2477年11月9日を吉祥時とみなして、ワットセーンファーン(ガネッシュ注:ターペー通り沿いにある寺院)のクルーバートゥムに午前1時にターウタン4のお経を読むことを任せました。
そして、10時になるとタイの首相プラヤーパホンポンパユハセナーがクルーバーシーウィチャイをワットプラシンから儀式の行われるエリアへ招待しました。
クルーバーシーウィチャイを招いたパレードがドーイステープの麓にあるワットシーソーダーの周辺(ガネッシュ注:現在の像がある場所)に到着すると、ドーイステープに登る道を最初に作る儀式(起工式)が始まりました。
ワットセーンファーンのクルーバートゥムは、発展を願うお経と厄除けのお経を読む人となりました。
プラヤーパホンポンパユハセナー首相は、儀式として最初にくわを降ろす人となりました。
そして、クルーバーシーウィチャイはよい縁起と勝利を持ってくる儀式としてくわを降ろして出てきた土を引く人となりました。
それから、チェンマイの街を治める王のケーオナワラット王が儀式としてくわを降ろしました。
続いてシープラカート王、ルアンケーオウ夫人、北部の王室の人たち、お金持ちの商人がみんなで一緒に道路工事の儀式としてくわを降ろしました。
クルーバーシーウィチャイはその日の儀式に参加しに来た人に「今回の工事はとても大きなものとみなします。もし、天の神々が助けてくれる時になれば工事は成功するでしょう。自信を持ちなさい。そして、本気で協力し合いなさい。そうすれば必ず成功の結果が見えるでしょう」と話しました。
クルーバーシーウィチャイは、神々が助けてくれるよう大衆が力を合わせるために神聖な言葉づかいで発表しました。
しかしながら、シープラカート王は、ほんの少しの人しか助けに来ず工事は成功しないことを恐れていたので、まだ心配でした。
クルーバーシーウィチャイは、シープラカート王がそのようにイライラしているのを見抜いて、彼に言いました。
「王様、心配する必要はありません。あと7日したら掘るところがないくらいたくさんの人が来ます。」
それからさらに7日間、信者の人々の手に10万枚のチラシを配っていきました。
そして、タイ北部の多くの郡・県、多くの階層、さまざまな言葉を話す民族のラーンナーの人々がそれぞれ続々とふもとにあるワットシーソーダーに集まってきました。
ある人は子供や孫の手を引いて、ある人は身の回りの品や食事を天秤棒で担いで来て援助に加わりました。
またある人はくわやすきを肩に担いできて、10人が100人に、100人が1,000人に、1,000人が10,000人になり、最後には周辺は人の列でいっぱいになりました。
その最初の工事は、シープラカート王、お金持ちの中国系商人のゴーウ氏、そしてケーオナワラット王の義務でした。
そのほかに、ゴーウ氏とシープラカート王は工事の間のすべての距離の水と食料を積載して昇り降りする給水車を待って世話をする義務がありました。
一方で、クルーバートゥムは道を切り開くリーダーを任されました。
そして、ガンチャナノン王がともにルートを開拓しました。
それ以外に、チェンマイの地域・地区のお金持ちの商人、軍人、警察官、村人を問わずすべての人たちが色々な果物、お米と乾いた料理、道を作るのに使う器具、道具、工具を含むさまざまな供物を捧げる団体として集まってきました。
さらにドーイステープに登る道の工事に協力して、クルーバーシーウィチャイに捧げるために巨大で盛大なブラスバンドが行進しました。
ドーイステープに登る道の工事は、迅速に進みました。
朝になると、すべての人々がそれぞれのグループの持っている義務を果たそうとしました。
夜になると、田舎風の踊りを楽しむイベントを開催しました。
山岳民族、平地の人を問わず誰もが出し物を持って来て演じました。
それぞれみんなが交代で舞台にあがり、楽しく出し物を演じました。
非常に強い善業と聖徳とともに、人々の体力と精神力の玉のような汗と信仰の力によって、ドーイステープに登る11キロと530メートルの道を作るのに成功するには長くはかかりませんでした。
工事にかかった時間は、たった5か月と22日間だけでした。
2478(西暦1935年)年4月30日の道路を最初に開く儀式では、タウゲーゴーウ氏の自動車を使ってクルーバーシーウィチャイを招いて車に乗せてドーイステープへと登って行きました。
国家的な祝典は。15日15晩行われました。


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