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呪術や魔法にすぐれ時には奇跡を起こす高僧「クルーバー」がいるチェンマイ唯一の寺院 ワット・シードーンムーン

唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーン あなたの知らないチェンマイ
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タイ北部で唯一存命のクルーバーがいる寺院

タイ北部には、クルーバーと呼ばれる特別なお坊さんがいる。

日本語に訳すと「聖人」や「高僧」という言葉が一番しっくりくるように思われるが、こちらの人々にとっては単に位の高い、もしくは仏教に通じていて徳が高いお坊さんという意味ではなく、むしろ呪術や魔法にすぐれ時には奇跡を起こす、というようなニュアンスが多分に含まれている。

が、もちろん実際に本当に呪いをかけたり空中浮遊をしたりする、というようなことはなく、どちらかというと普通のお坊さんではできないような、大きな社会的貢献を成し遂げたお坊さんに使われていることが多いように思う。

歴史上最も有名なクルーバーは、ドーイステープまでの自動車道を建設したクルーバー・シーウィチャイで、北タイで知らない人はいないと言ってもいいだろう。

ここで紹介するワット・シードーンムーンは、現在タイ北部で唯一存命のクルーバーである「クルーバー・ノーイ」がいるということで、多くの人々がお参りに訪れている寺院である。

なお、クルーバーというのは何らかの認証を受けて与えられる称号ではなく、あくまでも地域の人々が尊敬と親しみを込めて使う呼び名なので、このクルーバー・ノーイのように広く知られていない、特定の狭いエリアだけで知られている存命のクルーバーというはほかにも多数いるようだ。

ロケーション

ワット・シードーンムーンはチェンマイ南東部郊外、というか隣町にあたるサーラピー郡チョムプー村の南部にある。

市内からだとスーパーハイウェイをラムプーン方面に進みサーラピー交差点を左折、1kmほど進むとすぐ脇を小さな川が流れている交差点があるので右折し、そこからはほぼ道なりに約4km行く。

サーラピー交差点からは英語・中国語つきの看板があちらこちらに出ているので迷うことはない。

唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーンの看板

ただ、この行きかただと自動車がバンバンものすごいスピードで走り抜ける道を使うことになるので、もしバイクや自転車で行くなら片道は国道106号線のチェンマイ-ラムプーン街道経由にして巨木の並木道を通るというのがおすすめだ。

チェンマイ市内からだと、マヒドン通り(国道1141号線)との立体交差点を過ぎたら7kmほど進みサーラピーの街の中心部の信号(マヒドン通りとの交差点からだと3つ目の信号)を左折し、踏切を渡るとスーパーハイウェイとの交差点に出るのでそのまま直進する。

クルーバー・ノーイはどんなお坊さん?

クルーバー・ノーイは、特に医療関係で数々の社会的活動を行っている。

寺院のすぐ近くには彼が建設した大きな病院があるほか、寺院の中には救急車や医療機器の寄贈など現在行っている活動に関するブロッシャーや募金箱が置かれている。

唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーンの病院
寺院の近くにあるクルーバー・ノーイが建設した病院

そういった関係で、特に病気やけがの治癒を願ってこの寺院を訪れる人が特に多いようだ。

自分も、もともとは体調不良の時に友人のタイ人からクルーバー・ノーイの存在を教えてもらった。

ワット・シードーンムーン

寺院そのものは、ほかのタイ仏教寺院とそれほど大きな違いはないが、国内外から大勢の参拝客が訪れクルーバー・ノーイからの祈祷を授かるためにタムブン(徳積行)するので、大変裕福に見受けられる。

入口の楼門の裏手には巨大な太鼓や神輿のようなものが置かれており、そのすぐ脇にはカフェが併設されている。

唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーンの太鼓

その左手にはウィハーン(本堂)があるが、人々がここに来るのはそこにお参りするためではなくクルーバー・ノーイからの祈祷を授かるためなので、小さく普段は入口も閉まっている。

ウィハーン(本堂)の周囲には魚の泳ぐ小川と小さな池もある。

唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーンの本堂

カフェの奥はお参り道具やクルーバー・ノーイの像などを売る店が複数入った大きな建物があり、さらにその奥にとても大きな東屋のようなものがある。

東屋の右手には小さな舞台のようなものが設置されているが、ここはクルーバー・ノーイが着座して集まった人々に説教をしたり、タムブンを受けて祈祷を授ける場所である。

唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーンの東屋

クルーバー・ノーイがこの寺院にいる時には、通常午前と午後の2回説教があるようだ。

平日はせいぜい20~30人しか説教を聞いている人はいないが、土日や休日などには観光バスを乗りつけてお参りする人々もいるため、非常に多くの人が東屋に座ってクルーバー・ノーイを待っていることもある。

東屋の左手奥には総チーク造りの非常に立派な建物があるが、2階が博物館になっており歴代の(?)クルーバーの等身大の蝋人形や、昔の瀬戸物類、アンティークなどが飾られている。

寺院併設の博物館としてはかなり立派で展示物も充実しているので、もしここを訪れるのであればぜひ見学しよう。

なお、開館時間は10時~12時、14時~17時となっている。

唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーンの博物館
唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーンの博物館の仏像

東屋の奥は近年新たに入手した土地のようで、広大な面積だがそのほとんどはまだ手つかずの空き地となっている。

そこをまっすぐ150mくらい歩いた先には大きな新しいチェディ(仏塔)が建っており、真っ白な壁と金色の塔がまばゆいくらいに輝いている。

内部は壁一面に仏画が描かれており、中央には仏像やクルーバー・ノーイの像などが置かれている。

唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーンの奥の仏塔
唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーンの奥の仏塔の内部

クルーバー・ノーイの祈祷を受けるには

クルーバー・ノーイから直接祈祷を受け(รับพร=ラップポン=お坊さんに供物を捧げお経を唱えてもらうこと)たい場合は、大きな東屋の手前の売店でひとり500THBの専用のお参り道具を買わなければならない。

売店で500THBを出すと、専用の封筒にそのお金を入れ、ヤン(ยันต์=タイ北部で広く信仰されている魔よけの呪術の文言)が刻まれた金属片の入ったタクルット(ตะกรุด=筒形のペンダントトップのお守り)をくれるので、それを持って東屋に置かれているお盆に乗せまずは説教を聞く。

唯一存命のクルーバーがいるチェンマイの寺院ワットシードーンムーンのお参りセット
チェンマイのワットシードーンムーンでの高僧クルーバー・ノーイ
チェンマイのワットシードーンムーンでの高僧クルーバー・ノーイの説教

説教が終わるとお盆を持った人たちがクルーバー・ノーイの前に列を作るので、お盆を持って並んでいれば順番に祈祷を授けてくれる。

最初に両手のひらに香油を塗り、その上に金箔を貼って持っている杖でその上をこすると不思議なことに金箔がみるみる消えていく。

その後は、クルーバー・ノーイが杖を使って頭や肩などを軽く押さえつけながら唱える祈祷の言葉に沿ってこちらもお祈りを唱えていく。

杖にはもちろん特別な仕掛けなどがあるわけではないが、実際にクルーバー・ノーイが持っているオーラのようなものだろうか、何か「気」のようなものが杖を通じて伝わってくる気がするから不思議だ。

チェンマイのワットシードーンムーンでの高僧クルーバー・ノーイの祈祷
チェンマイのワットシードーンムーンでの高僧クルーバー・ノーイの祈祷の様子

普通であればこれで終わりであるが、自分がラップポンした時には順番が最後だったからか、クルーバー・ノーイから話しかけられ、日本人であることや体調がすぐれないのでお参りに来たことを伝えると「この水で具合の悪いところを洗いなさい」と言ってペットボトルに入った聖水を渡してくれた。

クルーバー・ノーイにはお付きが2名ほどいて、中には片言の英語ができる人がいることもあってサポートしてくれるかもしれないが、やはりタイ語ができ、またラップポンの作法なりを多少知らないと辛いかもしれない(知っていてもここのは独特なので、受ける順番は後のほうにして先にやる人の様子を見たほうがいいかも)。

自分が見た限りでは、ここに来る外国人旅行者はガイドと一緒に来て通訳兼ラップポンのサポートをしてもらっている人ばかりであった。

また、東屋の中での写真撮影は禁止となっている。

クルーバー・ノーイのオーラを感じてみよう

ただ寺院を見たいというのであれば、チェンマイにはもっと素晴らしいところがたくさんあるし、また単にお坊さんからラップポンする(通常は祈りをささげながらサイシン=白い聖紐を腕に巻いてくれる)というだけなら、どこの寺院でも可能なので、わざわざここまでやってくる必要はない。

やはりここでは、現在唯一存命のクルーバーに会って説教を聞きタムブンして祈祷を授かるという体験をしなければ意味はないだろう。

当地でクルーバーという称号を授けられるまでになったお坊さんというのがどういう方なのか、直接目の当たりにしてそのオーラなりを感じることができれば、とても貴重な経験になるのではないだろうか。

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チェンマイ県サーラピー郡ワット・シードーンムーンのクルーバー・ノーイ・テーチャパンヨー

ワット・シードーンムーンに置かれているパンフレットより

出生~少年時代

クルーバー・ノーイ・テーチャパンヨー、またの名をプラクルー・シリシーラサンウォンは、奇跡を起こすお坊さん先生で、ラーンナー地方では有名です。四方八方に名声とどろく魔法に熟練しています。

クルーバー・ノーイの元の名はプラシット・ゴーンカムといい、寅年の2494年(西暦1951年)2月12日にチェンマイ県サーラピー郡チョムプー町シードーンムーン集落で生まれました。

父と母の名前はそれぞれカム・ゴーンカムとターカム・ゴーンカムです。

お母さんが同じ兄弟姉妹が4人います。

すなわち、サグウァン・ゴーンカム(女性、死去)、クルーバー・ノーイ、ケーオ・ゴーンカム(男性)、パット・ゴーンカム(男性)です。

生れ出てきた時、父と母が語ったところによると身体中にへその緒が巻きついていました。

北タイの古い人は、身体にへその緒が巻きついて生まれた赤ちゃんは、仏教を継承するお坊さんとして得度する、信じて語り継がれてきました。

生れ出てきた後、父と母はプラシット・ゴーンカム、愛称はノーイと名づけました。

子供の頃のクルーバー・ノーイは、母親と先生の言うことをずっとよく聞いてきた、育てやすい子供でした。

そして、母親が仏様の日に必ずお寺にお参りに行くのの後を追うのが好きでした。

7歳になると、仏教に対する強い信仰が生まれました。

母親は、そこで息子をお寺に連れてきて小僧として預け、クルーバー・パット(その当時のワット・シードーンムーンの住職)の下で勉強しました。

クルーバー・パットは、不死身の呪文、カーサトーンの呪文が刻まれた小さな金属板のお守り、そしてハーブで病人を治療することで知られていました。

それで、チェンマイ県の中では有名で著名でした。

それ以来、ノーイ小僧はクルーバー・パットから仏法の中にあるしつけとラーンナー文字(ラーンナー人が集めておいた呪文の言葉【訳者注……入れ墨などで彫られる呪文の言葉は通常ラーンナー文字が使われる】)を習いました。

なぜなら、ノーイ小僧は慈悲や大人気がある呪文のことが好きだったからです。

それで、ノーイ小僧は同じ世代の寺の小僧よりも早く学びました。

衣の影(=寺)に入る

クルーバー・ノーイがお寺の小僧だった時、仏法とラーンナー語の文字をずっと勉強しました。

月曜から金曜の間は、クルーバー・ノーイは普通の学校での勉強もしました。

放課後と土曜・日曜は小学校4年生を終了するまでいつもクルーバー・パットのもとで待機してつききりで世話をして仕えました。

13歳になった時、クルーバー・パットはノーイ小僧のお父さんとお母さんを呼んできて、ノーイ小僧を見習い僧(沙弥)にする得度を行うことを相談しました。

なぜなら、お寺に長い間いて、小学校4年生の勉強を終了したからです【訳者注……昔は経済的理由などから小学校4年で勉学を終了する子供が多かった】。

このように相談して、見習い僧(沙弥)になる得度式を辰年2507年6月6日月曜日に行いました。

見習い僧(沙弥)になる得度式を終えた後、クルーバー・ノーイは仏法と戒律を一生懸命学ぶことに傾倒しました。

それとともに、クルーバー・パットがたくさんの愛情と慈しみを注ぐようになるくらい、クルーバー・パットから、ハーブ薬の解説書や大人気の不死身になる呪術や慈悲も学びました。

仏教学試験合格者の3級・2級・1級の試験をワット・シードーンムーンで受けて合格したのち、クルーバー・ノーイは後輩の修行僧に仏教学を教える先生となり、クルーバー・パットの負担を分けました。

得度

クルーバー・ノーイは2514年5月3日にワット・パヤーチョムプーの布薩堂で得度し、テーチャパンヨーという法名を授けられました。

「智慧を力として持つ人」という意味です。

得度のあと、クルーバー・ノーイは郡で2番目に偉いお坊さんであるクルーバー・パットのサーラピー郡での公共事業の側を援助しました。

それは、サーラピー郡の様々な寺院の宗教施設や宗教物品(仏像など)の建設の監督に関することです。

その後、クルーバー・ノーイはラムプーン県のワット・プラタート・ハリプンチャイにあるホー・パリヤティ・タムマ校に仏教学(パーリ語)を学びに行きました。

そして、9段階あるうちの第1・第2段階の試験に合格することができました。

クルーバー・ノーイが、第3段階の勉強をしていたその時、クルーバー・パットの持つ仏教を広める責務、すなわち統治すること、拡大すること、公共事業や教育を含めたことが増えました。

そして、クルーバー・パットは、仕事の義務の重荷を分けて軽くするのを手伝ってくれる人をほしがっていました。

そこで、クルーバー・ノーイはクルーバー・パットの仕事を手伝うために勉学をやめなければなりませんでした。

明察・止観を学ぶ

仏教の面での仏様の教える言葉の仏法の学習は、3つの段階に分けることができます。
すなわち、

1.理論の段階……教え諭すために待機して紹介する先生、もしくは知識のある人を持つことによる理論の学習
2.実践の段階……理論を学び、知った後で行動に着手する
3.覚醒の段階……仏法の原理と実践の原理を持って来て、毎日の勤行で実行することにより応用して使う

クルーバー・ノーイは、それで実践・明察・止観について常に興味を持っている僧侶のひとりでした。

そして、クルーバー・ノーイはクルーバー・パットからも学び、色々なことを知っている人が書いた本からも学びました。

その時、実践・明察・止観を行う実践派の著名な場所は、タイ北部ではラムプーン県リー郡のクルーバー・シーウィチャイのワット・バーンパーン、そしてクルーバー・プロムマーのラムプーン県パーサーン郡にあるワット・プラプッタバート・タークパーでした。

クルーバー・ノーイはそれで、クルーバー・ノーイにとって非常に重要なことである明察・止観のことを学ぶために、クルーバー・パットにひれ伏して別れを告げました。

なぜなら、クルーバー・ノーイは日常的に弟子たちに教えようとしていました。

それは、教育は人を発展させる道具であり、人は村・コミュニティー、そして国家民族を発展させる道具だからです。

そして、クルーバー・ノーイは強調して常に繰り返して言いました。

「この人間として生まれて来たということは、常に道徳心を持たなければなりません。また、必ず何かよいことをしなければなりません。」

クルーバー・ノーイは、ワット・プッタバート・タークパーのクルーバー・プロムマーから明察と止観について十分学んだ後で、跪拝して別れを告げクルーバー・パットを元の通り支援するために戻りました。

静寂を探求する

クルーバー・ノーイは、修行の行いの中で静けさや静寂を探求するために、一度森に修行に入ったことがあります。

クルーバー・ノーイは、ドーイサケット郡を通ってチェンラーイ県の森に修行に入り、パヤオとプレーに入り、そしてラムパーン方面に引き返して来てラムプーンに入り、ワットシードーンムーンに着きました。クルーバー・ノーイは、森に修行に入る期間に約1か月を使いました。

クルーバー・ノーイは、かつて僧侶を2つの種類に分けることができると述べています。

すなわち、

1.カーマワシー(街に住んでいる僧侶)……村や街に住んでいるお坊さんで、仏教の四衆【訳者注……仏教教団を構成する4つのグループ。比丘(男性の修行僧)、比丘尼(女性の修道者)、優婆塞(在家の男性信者)、優婆夷(在家の男性信者)を指す】に善いことを行い悪いことを除くことを薫陶して教え諭す重要な義務を持っています
2.アランヤワーシー(森に修行に入る僧侶)……森の寺院、または森の中に住んでいます。この種類のお坊さんは、さまざまな煩悩から解脱して抜けるために明察止観の修行をするか、智慧を使って物事を考えることに時間を使います。

この理由こそが、すなわちクルーバー・ノーイに15ライ【訳者注……1ライは約1,600平方メートル】を数える、仏教徒が修業を行うのに使うための森の公園を作ることを行わせました。

この森の公園は、3種類の木を植えることに使いました。

すなわち、仏教に関係する木、ハーブの木、そしてタイ文学の中に出て来る木です。

クルーバー・ノーイは、仏教徒、比丘、見習い僧が瞑想を行う森の公園を渡すことを決心しました。

国王陛下と王妃様の考えに応えることも合わせて、タイの国土の相手として木を植え続けるという意味もあります。

断食に入る

2537年、クルーバー・パットはしばしばたくさんの病気になりました。

例えば、脳梗塞(脳の手術をしなければならない)、腸の感染症、心臓病、高血圧、そして呼吸器疾患です。

クルーバー・ノーイと弟子は、それでクルーバー・パットの症状をよくするために病院に連れて行きました。

それで、今回の病気はクルーバー・ノーイにとって、非常に大きな障害であるとみなしました。

なぜなら、クルーバー・ノーイはさまざまな義務の重荷を背負っています。

例えば、病院で病気で倒れているクルーバー・パットの面倒を見なければなりません。

同じ病院で大腸の手術を受けなければならない母親の面倒も見なければなりません。

ラーンナーヤーナーサンワラーラーム僧房の工事をコントロールして面倒を見なければなりません。

そして、クルーバー・パット協力橋の工事をコントロールして面倒を見なければなりません。

その時のクルーバー・パットの病気の状況は、治療している医師がクルーバー・ノーイと弟子たちのグループに「心の準備をしておきなさい」と言うほどでした。

なぜなら、クルーバー・パットの病気の状況は重いレベルだったからです。

クルーバー・ノーイは、自分が教えの指針に沿って行動し、実行することを教えてくれた聖人の先生の恩のことを思いました。

例えば、クルーバー・ノーイが修業の中で指針を把握する時の導師であったクルーバー・チャオ・シーウィチャイ、それにクルーバー・ノーイに止観を教えてくれた先生であるクルーバー・プロムマーを加えて、恩師が遭遇してきたさまざまな障害とともにこれらの聖人導師の勤行の実行のことを思いました。

そこで、クルーバー・ノーイはラーンナー語でサーの紙【訳者注……現在はチェンマイの東のボーサーン街の名産として知られている傘などの材料として使われている。昔の書物や書類などはサーの紙に書かれた】に書かれた書物から、ラーンナータイの聖人のクルバー・チャオ・シーウィチャイの勤行の実行について真剣にリサーチしました。

クルーバー・ノーイは、それでクルーバー・シーウィチャイの歴史の本の中にクルーバー・シーウィチャイの断食の方法が書かれているのを発見しました。

クルーバー・ノーイは、仏教に命を渡して捧げ、本気でお祈りしました。

とともに、病気で寝ているクルーバー・パットの命と自分の命を交換して提供すると真剣に祈りました。

この3つの点から、クルーバー・ノーイはクルーバー・シーウィチャイの方法に沿って、断食の修行に入りました。

2537年に、クルーバー・ノーイは最初の断食をしました。

この時の断食では、すべての弟子の中に奇跡が生まれました。

それは、クルーバー・ノーイがたった2日間断食をした時、医者が「心の準備をしてください」と言ったクルーバー・パットの症状が、まるで奇跡のように治りました。

なぜなら、クルーバー・パットはベッドから立ち上がり、医者にリンゲル液と酸素の管をはずさせたからです。

クルーバー・パットは、特別病室の中を歩いて行ったり来たりしました。

それから水浴びするとともに、看病していた弟子たちにお寺に連れて帰るよう言いました。

クルーバー・ノーイが断食に入った後奇跡が起こったので、ラーンナータイの聖人であるクルーバー・シーウィチャイの方法で断食に入ることへの信仰がクルーバー・ノーイの中に生まれました。

それなので、クルーバー・ノーイは最初の回は3日、2回目は5日、3回目は7日、そして4回目は9日、数えて6・7・8・9年目からは9日、休まずに断食を実行しました。

ラーンナータイの聖人クルーバー・シーウィチャイの断食に入る方法

開けたり閉めたりする扉のある柵で囲われた奥行き2ワー【訳者注……1ワーは両手を広げた指先から指先までの幅。約2メートル】、幅5ワーの小屋を建てます。

そして、吉祥の寺院から聖水を汲み上げてきて鉄の鉢に入れておきます。

そして、大便小便をする場所を用意しておきます。

「この3・5・7・9日間私は1回も食事はとりません。水は1鉢しか飲みません。私に瞑想させてください。明察の智慧と正道の智慧の最良の守り神が私の精神の中に生まれよ!」と祈ります。

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