どんなところ?
ドーイ(山)・ステープ寺院までの自動車道路を建設した高僧、クルーバー・シーウィチャイ(ครูบาศรีวิชัย)の像を祭った聖地。
チェンマイの人々は、この僧を「นักบุญแห่งล้านนา=ナックブン・ヘーン・ラーンナー(ラーンナーの聖人)」と呼んで高く敬っており、朝に夕にやってきては花や線香・ローソクなど供えてお参りする。
地元の人なら「クルーバーシーウィチャイ」と言えば知らない人はおらず、ある意味ドーイステープ寺院そのものよりも信仰を集めていると言ってもいいかもしれない。
また、北タイの人に限らずタイ人全体の間でも有名で、バンコクなどからの観光客を乗せたドーイ・ステープ寺院に向かう自動車の多くがここに立ち寄るか、通り過ぎる際にドライバーがクラクションを鳴らしてお参りがわりとする。

ロケーション
ドーイ・ステープに向かう国道1004号線(フワイケーオ通り)沿い、チェンマイ動物園を過ぎて道が大きく右にカーブし急登が始まってから100mほど行った左側にある。
バイクか自動車など自前の足で行くのが一番便利だと思うが、チャーンプアック門から出るドーイ・ステープ行きのソンテオに乗って途中で降ろしてもらうこともできる、
ここからドーイステープへ行くソンテオも常に客待ちしているので、わざわざまた通りまで出て行く必要はない。
トゥクトゥクでも急登は少しなので行けるとは思うが、ドライバーによっては拒否されるかも。
どんな人?
クルーバー・シーウィチャイは1878年に生まれた。
嵐の最中に生まれたため、「ฟ้าร้อง=ファー・ローン(雷)」というチューレン(ชื่อเล่น=あだ名)がついたという。
子供の頃から、特に放生(籠に入った鳥や亀を放して功徳を積む行為)に興味を示し、熱心にそれを行った。
18歳の時にラムプーン県にあるワット・バーン・パーンで学び始め、その信心深い姿勢はすぐに多くの人々からの尊敬を集めるようになった。
功徳を得るために人々が彼の行いに対するサポートを申し入れたので、彼は寺院の修復プロジェクトを立ち上げ、生涯で100以上の寺院を修復した。
その中には、ラムプーンのワット・プラタート・ハリプンチャイやワット・チャマデウィー、チェンマイのワット・プラシン、ワット・スワンドークなどが含まれている。
ドーイ・ステープまでの道路建設には、のべ5,000人以上の人々がボランティアとして参加し、完成までに5ヶ月強の時間を費やした。
1935年4月30日に行われたオープニング・セレモニーでは、彼の乗った自動車が先頭になって、ドーイ・ステープまで登っていったという。
お参りの作法
像の向かい側にブースが10軒ほど並ぶ東屋があるので、まずはそこでお参り道具を買おう。
普通はマリーゴールドの花輪、1本の蓮の花、線香、ロウソク、金箔がセットになっている20THBのものを買うのだが、ほかに花がたくさん束ねられた高価なタイプ、生まれた曜日のロウソク、象やトラなどの置物などが売られているので、それらを追加で買ってもいい。

道路を渡って像の前の階段手前で靴を脱ぎ、上にあがったら両脇にある燭台か、供えられたロウソクから火をもらって自分のロウソクにつけ置き場に置き、線香に火をつけてから手を合わせてお祈りする。
お祈りの内容は普通は口に出して言わないのでみんながどんなことを祈っているのかはわからないが、願いごとをする前に自分の名前、生年月日、住所とかを言うのが定番になっているようだ。
そうしないと、クルーバーシーウィチャイが誰から願いごとをされているのかがわからないらしい。
また、願い事が叶ったらお礼にこういうことをします、とか願い事が叶うまでこれこれはしません(例えば、大好きな食べ物を食べないとか)という約束をする。
これを破ると大変なことになる(罰が当たる?)ようで、以前「願い事が叶ったら、家族全員で像の前で裸踊りをします」と約束した(本人は願いごとが叶わないと思って冗談で約束したらしい)男性の願い事が本当に叶い、子供から年寄りまで家族全員が全裸で踊ったというのがニュースになったことがある。

また、願い事が叶ったら必ずお礼参りをする。
その際には卵をお供えする(縁起のいい数ということで、末尾が9になる個数……19個とか99個とか)する人が多い。
お参りに行くと像の周りに卵がたくさん置かれているのを見ることができるかもしれないが、それだけ願い事が叶ったということだ。

像の前でお祈りを終えたら横に回り込んで蓮の花とお線香を所定の場所にさし、金箔を像に貼り付けマリーゴールドの花輪を置く。
以前はお参り道具セットの中にニンニクがあり、それを足にこすりつけるというのがあったのだが、数年前からなくなってしまった。
それはなくしちゃっていいのだろうか???と前から疑問に思っているのだが……
その後、人によってはもう一度像の前で三拝する。

像にお参りした後は
お参りが終わったら、像に向かって左手にある東屋に寄ろう。
すぐにクルーバーシーウィチャイの蝋人形が置かれているのが眼に入るだろう。
ここも、像へのお参りを終えた多くの人が参拝している。

その先左側には小さな像があり、銀の椀に水を汲んで祈りを捧げながら像にかけることができる。
そのすぐ隣には、クルーバーシーウィチャイのポスターが置かれているのでほしい人は喜捨をしてから取ろう。

さらに奥に進んでいくと、ベンチがあって休憩ができるようになっている。
その奥の突きあたりには、道路の開通式の時の様子(下の文を参照)が大きなレリーフが飾られている。
その右隣りには歴代の(?)クルーバーの像がずらりと並んでいる。

東屋の外に出てまっすぐ奥に進んでいくと駐車場があり、その脇には飲食店などの売店が並んでいる。

さらに奥の突き当りには、フワイケーオ滝やドーイステープ寺院へと通じるハイキングコースの入口がある。
何でも、欧米からの旅行者にはこのハイキングコースが大変有名らしく、時間によっては次から次へとハイカーが吸い込まれていくのを見ることができるだろう。

なお、国道をはさんだ反対側には小さな売店があり、クルーバーシーウィチャイにちなんださまざまな書物や仏像、ステッカーなどが売られている。
興味があれば立ち寄ってみよう。
行くなら早朝か夜がおすすめ
お参りするのに決まった時間というのは特にないが、日中は陽射しをさえぎるものがなくかなり暑くなるので、行くのであれば早朝か夜がいい。
人によっては「日が高くなって暑い時は、お参りに行ってもクルーバーはいないよ」とか言う。
早朝の7時半くらいまでであれば、像のすぐ奥にあるワット・シーソーダーの僧侶たちが国道を下へ降りて行って、托鉢をする様子が見れる。
僧侶の数は大変多く、列になって緑の濃い国道を進む姿はチェンマイでもなかなか見ることはできないと思う。
鉢に入れる飲食物などを売る店も出ているので、わざわざそれらを持参しなくても気軽にサイバート(ใส่บาตร=鉢に入れる=徳積行をする)できる。
興味があれば、ぜひ試してみるとよい。


夜は、周囲が漆黒の闇に包まれた中にクルーバーシーウィチャイの像の周辺だけがイルミネーション風のものを含む灯りで照らされ、少し幻想的な雰囲気さえ漂わせている。
ワン・プラ(วันพระ=仏様の日)はお参りに来る人が特に多いためかなりにぎやかなことが多いが、すこし天気が悪い日とか寒い日(この像はドーイ・ステープのふもとにあり、市内に比べると気温が低い。時期によっては、チェンマイ大学正門前あたりからどんどん空気が冷たくなっていく)はお参りする人も少なく、より一層それが感じられる。


なお、クルーバー・シーウィチャイ像からドーイ・ステープへと向かう道は、通常19時にゲートが閉められてしまい、像よりも先に進むことはできない。
クルーバー・シーウィチャイがドーイ・ステープへの道を作るまで

昔、ドーイ・ステープにお参り旅行に行くのは、とても大変なことでした。
徒歩で登っていくには数時間かかりました。
仏暦2460年(西暦1917年)まで、ボウォンデート王は国道部の職人にドーイ・ステープに登る道の工事について調査させる考えを持っていました。
調査の結果、費用は20万バーツ、期間は3年にわたるということがわかりました。
政府の側は、予算がないのでそのような工事はできないと、王の考えを制止しました。
その後、チェンマイの王であるシープラカート王とケーウ・ラワラット王は、もう一度この試みが成功するか、心で祈り瞑想して見てもらうために、クルーバー・シーウィチャイに来ていただくよう懇請しました。
クルーバー・シーウィチャイは、明日中にもう一度答えを聞きに来るよう約束しました。
そのため、2人の王は翌日もう一度、クルーバー・シーウィチャイのもとを訪ねて拝みにやって来ました。
すると、クルーバー・シーウィチャイは「6か月以内に終わる」という答えと同時に、「金曜日に山に登り、土曜日に谷川を降りる。儀式を始めてほしい。」と謎のことを言いました。
シープラカート王は、そこで自分の妻であるルアンケーウ夫人に会って相談するため、急いで旅行に出ました。
シープラカート王はよい返事をもらい、そしてルアンケーウ夫人は自ら料理人としての義務を果たしました。
シープラカート王は、そこで個人のお金でドーイステープに登る道の工事に関するビラを5万枚印刷しました。
そして、ケーウ・ラワラット王は北部全体の人々に配るために、さらに5万枚のビラを印刷しました。
クルーバー・シーウィチャイは仏暦2477年11月9日を吉祥時とみなして、ワット(寺)・セーンファーンのクルーバー・トゥムに午前1時にターウタン4のお経を読むことを任せました。
そして、10時になるとタイの初代首相のプラヤー・パホン・ポンパユ・ハセナーがクルーバー・シーウィチャイをワット・プラシンから儀式の行われるエリアへ招待しました。
クルーバー・シーウィチャイを招いたパレードがドーイ・ステープの麓にあるワット・シーソーダーの周辺(訳者注:現在の像がある場所)に到着すると、ドーイ・ステープに登る道を最初に作る儀式(起工式)が始まりました。
ワット・セーンファーンのクルーバー・トゥムは、発展を願うお経と厄除けのお経を読む人となりました。
プラヤー・パホン・ポンパユ・ハセナーは、儀式として最初にくわを降ろす人となりました。
そして、クルーバー・シーウィチャイはよい縁起と勝利を持ってくる儀式としてくわを降ろして出てきた土を引く人となりました。
それから、チェンマイの街を治める王のケーウ・ナワラット王が、儀式としてくわを降ろしました。
続いて、シープラカート王、ルアンケーウ夫人、北部の王室の人たち、お金持ちの商人がみんなで一緒に道路工事の儀式としてくわを降ろしました。
クルーバー・シーウィチャイはその日の儀式に参加しに来た人に「今回の工事はとても大きなものとみなします。もし、天の神々が助けてくれる時になれば、工事は成功するでしょう。自信を持ちなさい。そして、本気で協力し合いなさい。そうすれば必ず成功の結果が見えるでしょう」と話しました。
クルーバー・シーウィチャイは、神々が助けてくれるよう大衆が力を合わせるために、神聖な言葉づかいで発表しました。
しかしながら、シープラカート王は、ほんの少しの人しか助けに来ず工事は成功しないことを恐れていたので、まだ心配でした。
クルーバー・シーウィチャイは、シープラカート王がそのようにイライラしているのを見抜いて、彼に言いました。
「王様、心配する必要はありません。あと7日したら、掘るところがないくらいたくさんの人が来ます。」
それからさらに7日間、信者の人々の手に10万枚のチラシを配っていきました。
そして、タイ北部の多くの郡・県、多くの階層、さまざまな言葉を話す民族のラーンナーの人々がそれぞれ続々とふもとにあるワット・シーソーダーに集まってきました。
ある人は子供や孫の手を引いて、ある人は身の回りの品や食事を天秤棒で担いで来て、援助に加わりました。
またある人はくわやすきを肩に担いできて、10人が100人に、100人が1,000人に、1,000人が10,000人になり、最後には周辺は人の列でいっぱいになりました。
その最初の工事は、シープラカート王、お金持ちの中国系商人のゴーウ氏、そしてケーオ・ナワラット王の義務でした。
そのほかに、ゴーウ氏とシープラカート王は工事の間のすべての距離の水と食料を積載して昇り降りする給水車を待って世話をする義務がありました。
一方で、クルーバー・トゥムは道を切り開くリーダーを任されました。
そして、ガン・チャナノン王がともにルートを開拓しました。
それ以外に、チェンマイの地域・地区の中の男のお金持ちの商人、軍人、警察官、村人を問わずチェンマイのすべての人たちが、色々な果物、お米と乾いた料理、道を作るのに使う器具、道具、工具を含むさまざまな供物を捧げる団体として集まってきました。
さらに、ドーイステープに登る道の工事に協力して、クルーバー・シーウィチャイに捧げるために巨大で盛大なブラスバンドが行進しました。
ドーイステープに登る道の工事は、迅速に進みました。
朝になると、すべての人々がそれぞれのグループの持っている義務を果たそうとしました。
夜になると、田舎風の踊りを楽しむイベントを開催しました。
山岳民族、平地の人を問わず、誰もが出し物を持って来て演じました。
それぞれみんなが交代で舞台にあがり、楽しく出し物を演じました。
非常に強い善業と聖徳とともに、人々の体力と精神力の玉のような汗と信仰の力によって、ドーイステープに登る11キロと530メートルの道を作るのに成功するには長くはかかりませんでした。
工事にかかった時間は、たった5か月と22日間だけでした。
2478(西暦1935年)年4月30日の道路を最初に開く儀式では、タウゲーゴーウ氏の自動車を使って、クルーバー・シーウィチャイを招いて車に乗せてドーイステープへと登って行きました。
国家的な祝典は。15日15晩行われました。

コメント