「チェンマイで一番美しい」仏像はどこにある?
大学生になるまで10年近くお濠の中のチェンマイ旧市街の有名寺院ワットプラシンで寄宿生活を送っていたという仏教に詳しい自分のタイ語の先生によれば、タイ国内にある寺院は全部で3万くらいだそうだが、そこに安置されている本尊の仏像もおそらくほぼ同じくらいあるだろう。
チェンマイでさまざまな寺院を訪れていると、詳しいことはわからなくても本堂に安置されている仏像はどれも個性があり、その違いなどを見比べたりするのも旅行中の大きな楽しみのひとつだと思う。
そして、これだけ数多くの仏像があれば、いったい「どの仏像が一番美しいか」という順位づけが行われるのはある意味当然のことだ(仏像総選挙?)。
日本や自分が昔住んでいたネパールのカトマンズだと本尊はめったに目にすることができない秘仏、ということもすごく多いため比較や順位付けは簡単にできないかもしれないが、タイでは自分の知る限り本尊が秘仏というのは聞いたことがない。
旧市街のワットチェンマンとかには秘仏もあることにはあるがそれは本尊ではなく、もしかしたら上座部仏教では直接見て拝むことのできない秘仏だとご利益がない、というような考え方があるのかもしれない。
本尊を誰でも目にすることができ、また敬虔な仏教徒が多いタイでは旅行や巡礼でお寺を訪れる人も多いので、日本人に比べれば比較も容易だろう。
ちなみに、「タイで一番美しい仏像」と言われるのは、国の東西南北をつなぐ道路が交わるタイ北部の玄関都市ピサヌロークのワットプラシーラトナマハータートにある「プラプッタチナラート」だ。
では、「チェンマイで一番美しい仏像」はどこにあるのだろうか?
それは、チェンマイを訪れた旅行者ならほとんどが行くであろう有名寺院のワットスワンドークの境内にある。
と言っても、みんながお参りする大きなウィハーン(本堂)の中ではなく、どちらかというと寺院の境内の片隅の目立たないウボソット(布薩堂)に安置されているので、知っていなければ訪れる人はまずいないと思う。
仏像の名は「プラチャオガオトゥー(พระเจ้าเก้าตื้อ)」という。
なお、当然だが仏像の美しさを格付けするような公的機関はなく、ここで「チェンマイで一番美しい」というのは多くの人がその名をあげる、というような意味だ。
自分は、タイ語の授業で使った新聞記事でそう紹介されていたことからこの仏像の存在を知ったのだが。
なので、もしかしら人によっては違う仏像を「チェンマイで一番美しい」と言うかもしれない。
ロケーション
上記の通り、チェンマイ市内西部のワットスワンドークの中にある。
ステープ通りからワットスワンドークの境内に入り、遠くに歴代のチェンマイ王族の遺骨を納めた真っ白なチェディ(仏塔)群を眺めながら多くの観光客が参拝する大きなウィハーン(本堂)の前に着いたら、そのままさらにまっすぐ進むと「MONK CHAT」と英語で書かれた看板が出ている平屋の建物がある。
その先の並びすぐのところに、小さな真っ白な壁のウボソット(布薩堂)が見えるだろう。
この中に、プラチャオガオトゥーは鎮座している。
見る高さや角度、その時の気持ちで受ける印象が変わる
階段手前で靴を脱いで、中に入ろう。
扉のすぐ脇にお参り用のお線香や花のセット、作り物の蓮のつぼみなどが置かれているので、喜捨箱にお金を入れて取ろう。
扉の正面には、プラチャオガオトゥーが見えているはずだ。
布薩堂の中に入るとすぐ両脇にはお坊さんが座っているだろう。
何をするでもなくくつろいでいる時も多いが、朝の10時くらいまでの早い時間帯であればタムブン(徳積行)をしに来ている人も多い。
堂内の壁画は長年にわたって(たぶん喜捨が集まったタイミングで少しづづやっている)書き換えが行われており、まだ新しくて色鮮やかだ。
堂内を少し進んで、まずは遠目から仏像を眺めてみよう。
次に、布薩堂の中央付近の少し離れた位置から仏像を眺めてみる。
そして仏像に近づき、正面真ん前にタイ人がよくやるように横座りしてみよう。
堂の入口、中央付近、真下と見る位置によって表情が違って見えるだろう。
脇のほうでは、瞑想をしたりお経を唱えたりしている在家の信者がいることもある。
仏像を取り囲む壁も修復で塗り替えられており、赤と青、そして光背の代わりとなる真後ろの壁に描かれた金色の菩提樹の葉と菩薩(?)のコンビネーションが印象的だ。
仏像の手前は赤紫色の造花がたくさん飾られていて、これまた雰囲気を醸し出している。
脇侍を従えたプラチャオガオトゥーはスコータイ様式で、親指以外がすべて同じ長さの指は触地印を結んでいる。
座っているこちらを見下ろす表情は何ともふくよかで、柔らかく微笑んでいるように見える。
しかし立ち上がって見てみると、今度は少し厳しい表情に変わりこちらの心を射抜くような鋭い視線に感じられるから不思議だ。
周囲に人がいなければ(たいていの場合いない)、少し横にずれて斜めからも見てみよう。
これまた違った表情に感じられるだろう。
そんなことをしたりして仏像の前にいると、あっという間に時間が過ぎて行ってしまう。
もともとはワットプラシンに納められるはずだった
「チェンマイで一番美しい」と言われる仏像が、なぜ有名寺院の片隅の堂に納められているのだろうか?
布薩堂の脇に設置されている2つの説明書きをつなぎ合わせると、次のように書かれている。
仏像は、丑年のラーンナー暦867年(タイ暦2048年=西暦1505年)の5月5日に8つの部分に分けて鋳造が始まり、巳年のラーンナー暦871年(タイ暦2052年=西暦1509年)の木曜日5月4日に完成した。
しかし、ヨーノック年代記には、完成した仏像はあまりにも大きくて重たかったため、ワットプラシンに運び移すことができなかったと記されている。
そのため、王はこの仏像を安置するために布薩堂を建設し、現在の一般的な呼び名であるプラチャオガオトゥーという名をつけた。
ガオトゥーは、「1,000万もの」「1,000万軒もの」あるいは「1,000万単位の」という意味だ。
この場所は「ワット(寺院)ガオトゥー」と呼ばれるようになり、ワットスワンドークと2つの寺院が並んで存在するようになった。
今日、このワットガオトゥーは、ワットスワンドークの一部とみなされている。
なお、現存する布薩堂はタイ暦2425年(西暦1882年)に、当地の大富豪であるアヌサーンスントン氏が「チェンマイで最も重要な仏像のひとつであるこのプラチャオガオトゥーをすべての人々が見ることができるように」と建立したものである。
説明書きにはサラッと「大きくて重たかったため、ワットプラシンに運び移すことができなかった」とあるが、自分がタイ語のレッスンで使った新聞記事にはもっと抒情的に
と書いてあった。
何か、そっちのほうが話としては美しい気がする。
じっくり時間をかけて「気」を感じてみよう
自分は、タイ語のレッスンで使った新聞記事でこの仏像のことを知って初めて訪問(その時は修復前で堂内は今のようにきれいではなかった)して以来一目ぼれしてしまい、何かコトがあるごとにお参りをするようになっている。
チェンマイに旅行で来る人はなかなか時間が取れないかもしれないが、ワットスワンドークはガイドブックなどで紹介されている白い仏塔群や本堂以外にもこうした見どころがあるほか、境内には有名なベジタリアン料理のレストランもあったりするので、ぜひゆっくり見て回ってほしい寺院だ。
観光バスが連なって来ていたりしなければお濠の中の旧市街の寺院に比べて人も少なく、落ち着いた雰囲気が味わえるだろう。
特に、このプラチャオガオトゥーは観光客にはまったくと言っていいほど知られていないので、超有名寺院の中とは思えないくらい静かでとりわけ朝の早い時間帯は布薩堂の中は凛とした空気に包まれていることが多い。
ぜひ、早起きしてチェンマイで一番美しいと言われる仏像が発する「気」のようなものを感じてほしい。
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