「クンサー」という名前を聞いたことあるか?
「クンサー」と聞いて、今の若い旅人達は何かピンと来るものがあるのだろうか?
自分が初めてドーイ(山)・メーサローンを訪れた1988年、当時3軒しかなかったゲストハウスの1軒に泊まることにしたら、入口脇のカウンターの後ろの壁に貼られた村周辺の手描きの地図の半分ほどに真っ赤な斜線が引かれ、その上にドクロマークとともに「クンサー」とローマ字書きがしてあって、「宿の前の道を登って行ったら軍のバリケードがあるから、そこから先には絶対に行ってはいけないよ」と宿の主人から強く念を押され「ひぇ~っ、あのクンサーですか!?」とカミさんと顔を見合わせたことは、今でもハッキリと覚えている。
そして、より詳しく彼のことを知ろうと思い、日本に戻った後で当時唯一であっただろうクンサーについて詳細に書かれた書籍を買って読んだのだった。
それが、この本だ。
そして、その頃には外国人が近づくことすらできず存在も知らなかった、ドーイ・メーサローンの北方の山中の村トゥートタイ(バーン・ヒンテーク)にあるのが、今回紹介するクンサーの軍事基地(クンサー・オールドキャンプ)だ。
現在は博物館(と呼べるほどの展示物はない)として保存されているのだが、ここまで足を延ばす観光客はそれほど多くないので周囲の村を含め昔ながらの雰囲気を留めており個人的にはぜひ訪れてほしいスポットだと思う。
クンサーの生涯とトゥートタイの軍事基地
上記の書籍ならびにウィキペディアによれば、クンサーは中国名を張奇夫と言い1934年に国民党93師団兵士だった父とタイヤイ(シャン族)の母との間に生まれた。
幼くして両親を亡くし国民党軍兵士として若い頃を過ごすが、ビルマ(現ミャンマー)政府がシャン州を間接統治するために作った自衛組織の長となり、その力を背景にアヘンビジネスを拡大していった。
ビルマ(現ミャンマー)政府との関係がこじれるとタイ国境地域に移動、1973年にこの記事で紹介するトゥートタイ(バーン・ヒンテーク)に軍事基地を設け両国の力が及ばない事実上の独立国を築いてさらに麻薬ビジネスで富を積み上げていった。
しかしながら、麻薬ビジネス撲滅に力を入れ始めたタイ国軍は1982年1月に約1,000名の兵士とヘリコプター16機、爆撃機1機、対ゲリラ用偵察機4機を投入して10日間にわたる猛攻撃を仕掛け(バーン・ヒンテークの戦い)、クンサーはビルマ(ミャンマー)領内に敗走することとなった。
これによりタイ国内でのクンサーの権勢は一気に衰え、1985年の1年間だけでチェンマイにいたクンサーの部下20人が暗殺されたと言われている。
なお、クンサーはその後アメリカ政府から国際指名手配されたもののビルマ(ミャンマー)山中を転々としつつ、1993年にはタイヤイ(シャン族)独立を掲げて「シャン邦共和国」独立を宣言し大統領に就任したが民心は離れ成功せず、1996年にビルマ(ミャンマー)政府に投降した。
その後は麻薬で得た資金でタイ・ビルマ(ミャンマー)両国にまたがるビジネスを展開し、2007年10月にヤンゴンにて亡くなった。
ちなみに、「トゥートタイ」という村の名前はタイ政府がこの土地を自分たちの支配下に置いた後につけた名前で、もともとは「バーン(村)ヒンテーク」と呼ばれていた。
ヒンテークは「割れた・壊れた(แตก=テーク)石・岩(หิน=ヒン)」という意味だ。
トゥートタイ(バーン・ヒンテーク)のはずれにある秘密基地
今のトゥートタイ(バーン・ヒンテーク)を訪れると、わずか42年前に上記のような激しい戦いがあったとは思えないくらいのノンビリとした雰囲気だ。
トゥートタイ(バーン・ヒンテーク)は、チェンラーイとメーサーイを結ぶ国道1号線沿いにあるメーチャーンからドーイ・メーサローンへと続く国道1130号線を進み20kmほど行くと警察(軍)のチェックポイントのある3差路(メーサローン・ナイ村)で右折して
国道4052号線に入りさらに15kmのところにある。
近年道路が整備されて、アップダウンはあるものの自分のように普通の乗用車でも楽にたどり着けるようになっている。
公共交通機関を使うのなら、メーチャーンの国道1号線と国道1130号線の交差点からソンテウ(乗り合いピックアップトラック)に乗るが本数は少ない。
その場合は同じ場所からとりあえずドーイ・メーサローン行きに乗ってメーサローン・ナイの3差路で降ろしてもらい、トゥート・タイ(バーン・ヒンテーク)行きの別の車に乗り換えるという選択肢もある。
村へと続く道から見えるのはドーイ・メーサローンとはまた少し違ったはるかかなたミャンマーにまで続いているであろう山々の連なりで、「こんな地形のところでゲリラ活動をしていたのか~」と感慨にひたれることだろう。
村の入口には立派なゲートも作られている。
村は、周辺の山岳民族が買い出しに来たりするし、多少観光地化もされているので結構大きく、コンビニやカフェ、レストラン、ゲストハウスなども揃っている。
村の住人は中国系とタイヤイ(シャン族)が多いが、そのほかにもタイルー、ラフ、モン、リスなどが住んでいる。
また、アカがタイ国内で一番最初に定住したのがこのトゥートタイだそうで、今の彼らの居住エリアの広さを考えると、ちょっと感慨深いものがある。
クンサー軍事基地は、そんな村の北のはずれの山中にある。
村の中の国道を走っていると看板が出ているので、それに従おう。
看板はあまり大きくないので気がつかないかもしれないが、セブンイレブンに着いてしまったら行き過ぎなのでUターンしよう。
細くなった道を150mも行くと突き当るので左折、すぐに右折して細い坂道に入って行く(道の入口には博物館の英語付き案内ゲートがついている)。
ここからは車がすれ違えないような狭くてガタガタの山道になる。
「道は間違っていないのだろうか……」と不安が増してくるがそのまま山道を登っていくと左手に小さな建物がいくつか見えて来て、右手にクンサーの銅像が立っている駐車場がある。
「こんなところで戦いに挑んでいたのか」と思わせる基地内部
駐車場の向かいに軍事基地の建物が並んでいる。
建物は大きく3つに分かれているがすべて平屋で、1982年の「バーン・ヒンテークの戦い」で激しい攻撃を受けているのでもしかしたら再建されたものかもしれないが、それにしても「軍地基地」と呼ぶのがはばかられるような粗末な造りだ。
曲がりなりにも「博物館」として機能しているのが、一番きれいなレンガ造りの建物だ。
壁にはタイヤイ(シャン族)と思われる男女の姿、建国を試みた「シャン邦共和国」の国旗だろうか2つの絵などが描かれている。
内部にはクンサーの写真などとともに、軍の歴史や戦いなどがパネル展示されている。
その隣は、前に砲弾が置かれた倉庫のような建物だ。
中はガラ~ンとしていて入ることはできない。
その隣のコンクリート造り風の建物は、宿舎だったようだ。
それぞれの部屋の扉の脇には訓練所、食堂……など当時の用途が書かれたプレートが下げられている。
そして、そのうちのひとつにはこんなことが書かれていた。
クンサーの寝室だ。
掃除の直後だったのだろうか、ドアが少し開いていたので中に入ってみた。
クンサーは、この軍事基地に滞在中はここに寝泊まりしていたのだろう。
こんな質素な部屋に滞在しながらシャン族の独立を夢見て活動していたのだろうか。
他の部屋の壁には誰が書いたのか、繁字体の落書きが残されていた。
繁字体なので、国民党兵士の子孫で漢字を書ける人が書き残したのだろうか。
昔は、ドーイ・メーサロンに住む人とも自分は筆談(漢字)でコミュニケーションを取っていたのを思い出した。
観光地化されたメーサローンとは違う雰囲気を味わおう
入場料などはかからない反面、維持にはあまり手間をかけていない(かけられない)ようで、一応村人が掃除とかはしているようだが建物内部などはかなり傷んでいる個所もある。
博物館とは呼ばれているが展示物もほとんどなく、クンサーについて事前知識がなければわざわざ行ってももしかしたらガッカリするかもしれない。
「麻薬王」と名指しされ、アメリカ政府から200万ドルの懸賞金付きで国際指名手配されるなど悪の側面ばかりが強調されているが、手配前はCIAの支援で軍を結成したりしていて大国の身勝手さに振り回されたとも言え、結局はビルマ(ミャンマー)政府に投降して亡くなるという数奇な運命をたどったクンサー。
もし今も存命で、共産党独裁政権の中国の国民が大挙して旅行に訪れているタイ最北部を見たらどう思うのだろうか……
そのクンサーの軍事基地が寂れてはいるもののこのように博物館として公開され割と簡単にアクセスできるようなっているのは、やはりそれだけの時が流れたということなのだろう。
クンサーやこの博物館に興味がないとしても、ドーイ・メーサローンのようにまだ観光地化が進んでいないトゥート・タイ(バーン・ヒンテーク)は、個人的にはぜひ訪れてみてほしい場所だと思う。
チェンラーイから日帰りトリップで行くのもいい
トゥート・タイ(バーン・ヒンテーク)は、チェンラーイに宿を取りドーイ・メーサローンと合わせて日帰りトリップで訪れる人も多い。
チェンラーイは県庁所在地の大きな町でツアーなども多数訪れることからバックパッカー向けの安宿から高級リゾートホテルまで、泊まる場所は選り取り見取りだ。
中でも、市内ほぼ中心部にある「ダイヤモンド・パーク・イン・ホテル」は、バスターミナルから徒歩でアクセス可能、主要観光スポットもほぼ2km圏内にあり、周囲には観光客向けのレストランなどもあって便利なロケーションだ。
広大な敷地にいくつもの客室棟があり、駐車場も非常に広いことから特に自動車で旅行する人には都合がよい。
シンプルだが必要十分な設備は整っており、バックパッカー向けのゲストハウスでは耐えられないが、かといってリゾートのような高級な宿でなくても十分、という人には特におすすめできる。
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