ロイヤルプロジェクト発祥の地の国民党村
チェンマイ県の北部、とりわけ国道107号線の西側のミャンマー国境に近い地域には英語で「KMT」と呼ばれる人達が数多く暮らしている。
KMTはKuomintang(国民党)の略で、第二次世界大戦後の中国大陸での共産党との内戦に敗れ台湾にも渡ることができず雲南省からミャンマーに逃れたもののその後タイに移動、定住した人々のことを指す。
かつてはそのうちの一部がタイ政府の力が及ばない半独立国としてケシ栽培などの麻薬製造で資金を得るなどして中国共産党への反攻に転じることを目論んでいたものの、最終的にはタイ政府から国籍を与えられ今ではほとんどがタイ国民として暮らしている。
国民党村はどこも第二次世界大戦後に事実上の難民として当地にたどり着いた人々が開拓した村なので自然以外にこれといった見どころもないが、逆にその風光明媚なロケーションを活かして観光地として人気を集めているいる場所もあり、チェンラーイ県のメーサローンやチェンマイ県北部のアルノータイがよく知られている。
といっても景色以外には雲南料理を食べたりお茶やコーヒー、野菜や果物などの地元産品を買ったりする程度のアクティビティしかないが。
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しかし、今回紹介する国民党村「バーンヤーン」は他とは違って大きな観光資源がある。
それは「ロイヤルプロジェクト(ドイカム)発祥の地」ということだ。
「ロイヤルプロジェクト」は、その名の通りプミポン前国王が中心となって設立したタイ北部の山岳少数民族の貧困解消ならびにケシ栽培撲滅を目的とした王室財団で、山岳少数民族に高原野菜など代替作物の生産を指導するところから活動が始まり、現在では農産物以外も含めさまざまな商品を生産・管理・販売している。
「ドイカム」はプロジェクトが取り扱う商品についている共通ブランドで、チェンマイの西にそびえるドイ(山)ステープのすぐ南、花博の会場となったラーチャプルック公園の奥にある小山の名前から取られたものだ。
バーンヤーンはその「ロイヤルプロジェクト」の第一号の工場が作られた村ということで、立派な博物館があったり村への援助として工場建設と並行して開設された診療所などがきれいに残されており、プロジェクトと村の人々の歴史などについても知ることができる。
また、ほかの国民党村と同様においしい雲南料理が食べられる店も何軒かありチェンマイから日帰りも可能なので、自分はしばしばドライブがてら遊びに行く場所になっている。
チェンマイから3時間半、山の麓の傾斜地に村が広がる
バーンヤーンは、チェンマイからほぼ真北に約140km行ったところにある。
チェンマイから村に直接行ける公共交通機関はないので、レンタカーなど自前の足が必要だ。
ローカルの店と比べても大して高くありません
チェンマイ市内からだと国道107号線をひたすら北進、チェンダーオからの山道を終えてファーン高原に入りチャイプラカーンの街を通り過ぎたらさらに10kmほど進むと「↑Fang ←Doi Ang Khang」という大きな緑色の道路標識が道路上に、道路脇には「←FIRST ROYAL FACTORY MUSEUM」という青い標識もある信号機付きの交差点があるので左折する。
左折した先は国道1249号線になる。
典型的なチェンマイ県最北部の田舎道で、途中所々に出ている「Doi Ang Khang」という看板を目印に進んで行けばよい。
国道107号線から7~8km進み人家が途切れ山がどんどん近づいて来ると、左側に学校のあるY字路に行き着くので左折(学校前の道路脇に博物館の案内看板あり)して国道に別れを告げ、狭くなった道を進んでいく。
すぐに道はゆるやかなアップダウンが多くなり、村の入口にかかる中国風の門を通過するとバーンヤーンはもう目と鼻の先だ。

再び人家が増えて来て漢字の看板や中国風の造りの建物が目立つようになり、すぐにT字路に突き当たる。
国道との分岐から2kmほどのこのあたりが村の中心で、周辺には商店や飲食店が並んでいる。
一番の観光スポット、ロイヤルプロジェクト第1号工場博物館はこのT字路を右折してさらに500~600m進んだところにある。
なお、国道1249号線は山岳リゾートとして有名なドイ(山)アンカーンに通じておりその往復途中に村に立ち寄る人も多いが勾配がかなりキツく、特に山への登りは普通乗用車では難しいらしいので、使うなら山からの帰路(往路はアルノータイ経由)にしたほうがいい。
バーンヤーンの主な見どころ
バーンヤーンの村は、ドイ(山)アンカーンの麓のメーゴーン川が形成する谷がわずかに開けた傾斜地に展開されている。
バーンヤーンに住む人々は1954年にこの地域にやって来た。
翌1955年の終わりにタイの治安当局が居住地として彼らにこの場所を割り当てたそうだが、ミャンマー経由で中国から敗走して来た彼らに与えることのできる土地は、耕作にも適さず過去にほとんど利用されていなかった生きていくには不便なところしか残っていなかったのだろう。

もしかしたら当初彼らにとってもこの場所は仮の住処に過ぎず、近い将来中国大陸に戻ることを期待していたのかもしれず、とりあえず落ち着ければよかったのかもしれない。
当地に定住することはできたものの長らく彼らは外国人として扱われ、タイ国籍を取得することもできずさまざまな基本的権利を手に入れることもできなかったが、現在ではこの問題はほぼ解決されているとのことだ。
街並み
国民党村はどこも共通だが、バーンヤーンの村の中心部には玄関周辺などに漢字が書かれた赤い紙を貼った平屋の家や中国語が書かれた看板を掲げた店舗などが並んでいる。


近年はウォールペイント(というのかな?)に力を入れており、T字路から博物館までの建物の壁や塀などあちらこちらに絵が描かれている。
村の中の飲食店を使う時にも困ることが多いのだが、道路は狭く脇にドブが流れているため駐車できる場所がなかなか見つからない。

もし中心部をゆっくり歩いて見てみたい、というような場合はT字路手前の道幅の広いところか、博物館に車を置いて行くのがいいと思う。
博物館からT字路まで往復しても1kmほどだ(ただし勾配あり)。
ロイヤルプロジェクト第1号工場博物館
村の中心部を抜けて道を進んだ先の、そこからは山の急登が始まるというギリギリのところにあるのがロイヤルプロジェクト第1号工場博物館だ。


さすがタイ王室関連の施設だけあって、こんな山あいの田舎の村にあるにもかかわらず大変立派な造りで説明書きなどを含めた展示状態もよく、内部もいつ行っても隅々まできれいに保たれている。
ここでしか買えないお土産を売る店やカフェも併設しており、バーンヤーンに来たなら絶対に訪れるべきスポットだ。
建物の裏に広い駐車場が用意されている。

入場は無料だが、入口で記帳を求められる。
なお、博物館の向かいには大きな工場があって現在も稼働している。

昼時などは、大勢のスタッフが食事をとりにバイクに乗って自宅に戻る光景を目にすることができる。
工場建設の背景(博物館の説明書きより)
プミポン国王がロイヤルプロジェクトを進める上で重要視したのは、垂直統合の考え方である。
ドイ(山)アンカーンの麓に工場を建設し、周囲の山岳民族が育てた作物を加工する。
同時に工場の周囲に水力発電所、児童栄養センターそして保健センターを作り、地域開発の分野においても貢献する。
このような構想の下、1972年にロイヤルプロジェクト第1号工場が完成した。
こうした王室の慈善活動により遠く故郷を離れなければならなかったバーンヤーンの人々は、自分たちの新しい祖国となったこの国に忠誠を誓い国王陛下を最も尊敬するようになった。
主な展示内容
博物館の内部は中庭を取り囲むようにいくつかのブロックに分かれており、順路もよく整備されているので展示を見ながら進んでいくと自然に終わるという感じだ。

展示はロイヤルプロジェクト第1号工場で使用していた機械や道具類を中心に、工場ができた当時の村の様子や人々の暮らしぶりの写真や実際の生活用品、バーンヤーン周辺地域の開発関連などとなっている。
中にはプミポン前国王が当地を訪れた際に乗った古~いフォルクスワーゲンも展示されていて、おそらく当時はここに来るだけでも大変だったんだろうことがうかがえる。






みやげ物売り場とカフェ
博物館の内部をずっと見て回ると、自動的に土産物売り場に着くようになっている。

そこそこの広さでチェンマイ市内のショップでも売っている産品もあるが、第1号工場博物館ということでタイ数字で1を表す「๑」がデザインされたポロシャツやバッグ、小物などたぶんここでしか買えないものや村にある商店が作った雲南菓子などもあって結構楽しい。

また、カフェも併設しておりロイヤルプロジェクトのコーヒーをその場で淹れて飲ませてくれる。
席は外の通りに面した場所に作られているので、ノンビリ座って過ごせるのもよい。

【参考】ロイヤルプロジェクトの歴史(博物館の説明書きより)
1964年、プミポン国王は北部各県の山岳民族を訪問した際にアヘン栽培による森林侵食と山岳地帯の焼畑農業、そして人々が極度の貧困に陥っている状況を目の当たりにした。
国王は「山岳民族の生活様式と生業を理解し、作物の栽培で自立し生活水準を向上できるよう支援する」という構想のもと、アヘンの代替としての換金作物栽培の推進や医療関係を中心にたさまざまな福祉向上のためのプロジェクトを実施した。
1969年、国王はビザデジラジャニ王子に「ロイヤルヒルトライブアシスタンスプロジェクト」の設立と実施を委任した。
このプロジェクトの目的は、上述の問題の解決策を模索するとともに気候に合ったさまざまな作物に関する調査研究を行うことだった。
このプロジェクトは、1980年に「ロイヤルプロジェクト」と改称された。
初期の段階では大学の教員、各種政府機関とその関係者など多くの分野からの協力があった。
また、アメリカ合衆国と台湾をはじめとする諸外国からも支援を受けた。
1969年以降、この調査研究作業を通じてロイヤルプロジェクトはさまざまな作物の栽培に成功し、その高品質な産物を「Doi Kham」というブランドで販売することができるようになった。
次の段階としてロイヤルプロジェクトはマーケティング部門を立ち上げ、さまざまな公開イベントで製品を紹介・販売し消費者の間でより広く認知されるようになった。
同時にDoi Khamブランドの製品がホテル、レストランなどで使われたりスーパーマーケットで販売されたりするようになった。
1992年、ロイヤルプロジェクトは恒久的な非営利団体として活動するロイヤルプロジェクト財団へと改組した。
財団は、マグサイサイ賞を受賞するなど国際的に認められ大きな成功を収めている。
ロイヤルプロジェクトは現在、チェンマイ、チェンライ、ランプーン、メーホンソーン、パヤオの5県をカバーする4つの研究所を運営している。
旧保健センター
博物館から山の方向に進み小さな川を渡ったすぐ右側に、きれいな庭のある小さな建物がある。
これが昔の保健センターだ。

博物館からはほんの50mほどしか離れていない。
この地域で最初となる保健センターは1972年に建設され、当初は常駐の保健官と助産師による一次医療を提供していた。
長い間地域社会に公衆衛生サービスを提供し役目を終えた後は放置されていたが、2006年の突風で甚大な被害を受けクラウンプロパティビューロー財団によって修復された。
現在は開設当時の様子がわかるようにきれいに展示がされており、内部を自由に見学できる。


観音寺(中国寺院)
ロイヤルプロジェクト第1号工場博物館の前あたりからドーイ(山)アンカーン方面を見ると、すぐ先の小山の上に寺院らしきものが見えている。

これが、観音寺だ。
正式名称は「ศาลเจ้าแม่กวนอิมพระราชทาน(王室から与えられた観音菩薩の祠)」と言い、その名の通りプミポン前国王が土地を与え、そこに観音菩薩を祀った中国様式の大乗仏教の寺院が建立された。
寺院へは、旧保健センターのすぐ脇にある階段を上がって行く。

自動車の場合はそこを通り過ぎて水力発電所を越えさらに坂道を少し登ると、寺院の大きな入口があり駐車場も用意されている。
寺院自体には正直言って見るべきものはない。
広々とした空間にいくつかの建物があり、いつ行っても人が少なく静かな雰囲気だ。
寺院にいる人はヒマなのかわからないけど、自分が行くと声をかけられて世間話をすることが多い。

わざわざここまで階段を登って来る価値があるのは、ここからの景色だ。
山の麓なのでそんなに広く展望が開けるわけではないがロイヤルプロジェクトの現在の工場(左)と博物館が見下ろせ、その先にはファーン高原の広がりを見渡すことができる。


水力発電所
ロイヤルプロジェクト第1号工場が建設された当時、この地域には電気がまだ来ていなかった。
そのため、工場だけでなくバーンヤーンの村にも電気を供給するため水力発電所が造られた。
そこから始めなければならなかったのだから、工場の建設がいかに困難な事業だったかは容易に想像がつくだろう。
場所は観音寺(中国寺院)入口の階段から道をさらに50mほど登った先の左手になる。

かつては中に入ることができたのだが、数年前に改修工事が行われてからは立ち入り禁止になってしまった。

このあたりから道は本格的な山道となる。
バーンヤーンの村からほんのちょっとしか離れていないのに、もはや中国様式の建築物が少なくなりチャーオカオ(ชาวเขา=山岳民族)の世界になる。
よろず屋もいきなりこんな感じになり、まるで雰囲気が異なるのもおもしろい。

雲南料理を食べてみよう!おすすめの3軒
バーンヤーンはドーイ(山)アンカーンに来た旅行者が立ち寄ることがあるほか、村としての規模もそこそこ大きいので近隣の国民党村に住んでいる人々が食事や買い物に来ることも多いらしい。
そのため、中心部には規模は小さく数もそう多くはないが、飲食店が並んでいる。
基本的には雲南料理で、普段チェンマイ(タイ)で食べられているものとは大きく異なるので、もし当地を訪れることがあったらぜひ食事を楽しんでみてほしい。
っていうか、自分がここに来る最大の楽しみは雲南料理を食べることにある(博物館は何回も見ているので)。
個人的におすすめの店を紹介しよう。
バーンディンラオチャーン
おそらく村で最も有名な雲南料理レストラン。
店名はバーンディン(บ้านดิน=土の家)ラオチャーン(เล่าจาง=話が消える)で「話が消える(ほどおいしい)土の家」というような意味だろうか。
店は村の中心部のT字路から、ファーン方向に500~600m行ったところにある。
通りからかなり奥まったところにあるので、道沿いに出ているタイ語の看板を目印にするといい。

店は通りから未舗装の斜面の道を登った先にあり、まったく見ることができない。
登った先は草地になっていて適当な場所に車を止める。
周囲にはスタイルの違う、店の名前の通り土壁の家がいくつか並んでいる。

普段使われているのは、店の敷地に入って正面突きあたりにある一番大きくて豪華な装飾がされた棟だ。

他の建物は宴会用の円卓がずらっと並んでいたり、使われていないのか物置き状態になっている。
店内は雰囲気いっぱいの大きな空間になっている。

店内に円卓ばかりが並んでいることからもわかる通り、メニューには大人数向けの雲南料理が並んでいる。

この店の一番のウリはメニューの一番上に出ている雲南式のスキで、店内にはそれ用の火鍋が飾られている。

10種類の独自具材のほか野菜や豆腐などを入れるという雲南式のスキはチェンマイでもなかなか食べられるものではないが、いかんせん人数が必要だ(最低でも6人くらい?)。
なので、残念ながら自分は食べたことがない。
そのかわりに、行くと必ず頼むのは雲南式の豚足煮込みだ。

見た目の色が黒く味付けも濃いのではないかと思ってしまうが、実際食べてみると割とあっさりしており街で食べる普通のカームー(豚足煮込み)と比べると甘さがかなり控えられているのが特徴だ。
しつこくないので、一緒に出て来る饅頭に汁を浸して食べるとこれがまたおいしい。

もしここに来たならぜひ注文してみよう。
烏骨鶏の薬膳スープも店のおすすめ料理のひとつだ。


烏骨鶏をさまざまなハーブと一緒に煮たスープで、これも薄味に仕上げられておりハーブの香りと相まっていくらでも飲める感じだ。
烏骨鶏そのものは肉を食べるというよりも出汁を取ることが目的で、それ自体は特においしいわけでもなく地鶏だからかそもそも肉があまりついていない。
自分がこの店に行く時はたいていカミさんと2人なのでこのふたつの料理にあとはせいぜいもう一品を追加する程度になってしまうが、よく頼むのは雲南式の卵焼き(中に具材を巻いてある)や青菜(写真はパクナムという名)のニンニク唐辛子炒めだ。


カオソーイバーンヤーン
バーンヤーンの村の中には、カオソーイの店が数軒ある。
ミャンマーが起源と言われることが多いカオソーイだが、スープ麺ですらないものも含めものすごい数のバリエーションがあり個人的にはチンホー(隊商雲南人)がキャラバンの過程でその土地土地の食材や味を取り入れつつ作ったものを総称として「カオソーイ」と呼んだのではないだろうかと考えている。
なので、このような国民党村(彼らは基本的に雲南人)にカオソーイの店があっても何も不思議ではない。
個人的なおすすめは、その名もずばり「カオソーイバーンヤーン」だ。

店はこじんまりとしており、田舎の村の食堂という感じだ。

カオソーイはシンプルそのもの。

チェンマイのムスリム集落の中にあるカオソーイ屋も同様だが、乾麺を使用している。
個人的にはコシがまったくなくネチャッとした食感になる平打ちの生麺よりも好き。
また、付け合わせ高菜漬けは唐辛子まみれになる。

カオソーイが好きな人は、近くにほかの店もあるので食べ比べしても楽しいかも。
ギョウザーチェファーン
村の中心部のT字路から40~50mロイヤルプロジェクト博物館方向に行った右側に「煎餃」という大きな看板を出した家がある。


ここが、村で一番おいしいと評判の餃子屋「チェファーン」だ。
見ての通り普通の民家という感じ。
通りに面して出ている看板を見ると、餃子以外に鴨や牛の干肉も扱っているようだ。

こんな感じの店なのでお持ち帰りが基本だが、一応家の中に座って食べれるテーブルとイスも置かれている。

とはいえ、見てわかる通り本当に焼いてくれた餃子にただタレをつけて食べることしかできず、ほかの料理はおろかドリンクもない。
なので、自分はたいていお持ち帰りにしてチェンマイに着いてから食べることが多い。

店がムスリム系なので豚肉は使われていないが野菜がたくさん入ったかなりあっさりした味で、このくらいの量なら軽く食べ切ることができる。
ほんのり酸味の効いたピンク色のタレはわずかな酸味が感じられるだけで、色から想像されるほどの辛味がないのもおもしろい。
ファーンの街とセットでチェンマイから日帰りがおすすめ
今回紹介した、ロイヤルプロジェクト発祥の地にして雲南料理がおいしい国民党村のバーンヤーン。
郡庁所在地であるファーンの街までは車でおよそ30分の距離にある。
ファーンは西暦7世紀に建設されたムアン(城郭都市)で、マンラーイ王がチェンマイにラーンナー王国を建国する過程で1年ほど居住したという記録も残っている。
街の中にはその歴史を表すような寺院などもあり、かつて日本の某有名ガイドブックには「日本の原風景」とも書かれていた魅力ある街だ。
もしバーンヤーンを訪れる機会があれば、ファーンの街とセットにするのもおすすめだ。
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