旅行者時代を含め、チェンマイで新年を迎えるようになってかれこれ20年以上になるが、そのうちここ最近10年くらいの元旦の朝は、市内やや北部にあるサンティタムという地区のロータリーで行われる特別托鉢に参加している。
托鉢といってももちろん自分がするわけではなくお坊さんがするもので、我々からすると「タムブン」というのが一般的だろうか。
タムブンは、「タム(ทำ=行う→積む)」、「ブン(บุญ=善業、功徳)」という意味で、日本語では積徳行と訳されるようだ。
自分がタイを理解するためによく利用している「タイ事典」という本によれば、
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タイにおける実践仏教の中核をなす観念。<中略>ブンが多いことは、現生的幸福をもたらす原因である。<中略>大方の仏教徒は、あらゆる機会をとらえて自己のブンを増やすことによって幸福を増進しようと努める。タムブンの形態には、僧侶に対する食事の供養、寺院の維持・修復や建立のための金品の寄進、労力奉仕などがある。
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とのことである。
ちなみに、自分の周りのタイ人はほかに「サイ(ใส่=入れる)バート(บาตร=鉢)」とか「タクバート(ตักบาตร=托鉢僧の鉢に布施ものを入れる)」と言う人もいるが、どれが一番正しい言い方なのかはよくわからない。
前日に近所のスーパーでお供え用のインスタントラーメンや飲み物、お菓子などを適当に買い、一緒に行く友人の家でビニール袋に詰める。
タイでは数字の「9」(เก้า=ガウ)が「進み出る」という単語のก้าว(ガーウ)に発音が似ていることがから縁起がよいとされていて、このお供え物の袋も全部で19用意した。
当日は7時から托鉢に先立ついろいろな儀式が始まることになっているのだが、今年は自分が家を出るのが遅くなってしまい、着いたら7:15過ぎですでに読経が行われていた。
ロータリーを囲むようにお坊さんが座っている
いくら南国のタイとはいえ、この時期に裸足は辛いだろう
読経は、お坊さんたちだけが唱えるもの、お坊さんの後に続いて参加者が唱えるもの、皆が一緒になって唱えるものといくつかのパターンがあり、30分ほど続いた。
それが終わると、進行役の男性のアナウンスで参加者が一斉に立ち上がり、真ん中を開けて2列に並んだ。
中央を鉢を持ったお坊さんが通ってお供え物を受け取る
お坊さんに供え物を寄進する時にはこちらも裸足になる
地面が冷たいのがイヤなのか、足が汚れるのがイヤなのかわからないが、脱いだサンダルの上に足を乗せる人も多い(笑)
そうこうしているうちにお坊さんたちの列が近づいてきた
人々は争うようにお坊さんの鉢にお供え物を入れていく
これだけの人々がお供え物を入れるので、お坊さんの持つ小さな鉢はすぐにいっぱいになってしまう。
なので、寺男がお坊さんの脇に付き添って、鉢の中に入れられたお供え物を次から次へと頭陀袋に移し替えていく。
こういうのを見ちゃうと、自分などは「本当にこれで徳が積めるのかなあ……」と思ってしまうのだが。
お供え物を入れた頭陀袋は、一ヵ所に集められる
ちなみに、これだけのお供え物(中には普通の料理やあまり日持ちしないパンなどもある)が集まるととてもお坊さんたちだけでは消費しきれないということで、この後お寺に戻ってから仕分けをして孤児院などの恵まれない子供たちのいる施設に配られるのだそうだ。
そういう意味では、お供えものを無駄にすることがないようきちんとサイクルが回っているということだろうか。
鉢に入れるものがなくなるとそこにいても徳が積めないということで、托鉢が続いていても参加者はどんどん帰って行く。
なので、最後はこんな尻切れトンボな風景になる
自分も写真を取り終ると、一緒に行った友人たちと別れバイクに乗って自宅に戻ったのだった。
毎年のことだが、こうして元旦の朝にこの托鉢に参加すると心持ちが清々しくなると同時に「また新しい1年が始まったんだなあ」と気分が新たになる。
今年1年も、チェンマイ暮らしが健康のうちに楽しく送れますように……
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