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【ウッタラディット】嘘禁止が掟の女性だけの国伝説と独自文化の里「ムアンラップレー」

タイのウッタラディットにあるムアンラップレー ピサヌローク、スコータイ、ウッタラディット&ペチャブーン
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辞書には「桃源郷」。伝説の女性だけの国

タイ各地を旅している人、タイに長年住んでいる人でもウッタラディットを訪れたことがある人はそう多くはないだろう。

チェンマイの南およそ250kmのところにあるこの街は、タイ人がパークヌアトーンラーン(ภาคเหนือตอนล่าง=下部北タイ地方)と呼ぶエリアにある県庁所在地ではあるが、すぐ西の世界遺産のスコータイやシーサッチャナーライのような有名観光スポットがないことからわざわざ旅する人はまれで、ほとんどは鉄道またはバスで通過するだけだ。

そんなことからこの街を「タイの秘宝(Hidden Treasure)」などと呼ぶ英語のガイドブックもあるが、口の悪いタイ人は「何もないからそう言ってるだけ」などと皮肉気味にディスったりする。

自分は、チェンマイでタイ語のプライベートレッスンを受けている先生がウッタラディット出身で「通り過ぎたことしかないんですよね」という話をしたら「何もないわけでもなく、タイ人ならかなりの人が知ってる伝説の場所があるんですよ」と言って読解のテキストを用意してくれた。

それが、今回紹介する「ムアンラップレー」だ。

絶対に嘘をついてはいけないという掟のある女性だけの国に入って結婚、暮らすことになった男性の末路を描いたタイらしい(?)伝説で、伝説であるがゆえにそれにまつわる見どころと言えるようなものはないが、このムアンラップレーには他の場所と異なる独自文化を築いていた民族が住んでいたとのことで、昔の暮らしぶりを伝える博物館などがある。

ちなみにタイ日大辞典/冨田竹二郎によれば、ムアンラップレーは「桃源郷」と日本語で訳されている(1990年改訂版)。

タイ日辞典のムアンラップレーの項

確かに女性だけの国と言えば男性から見れば「桃源郷」なのかもしれないが、伝説の中身を知るとそうとばかりはいっていられない気もする。

ウッタラディットの西のはずれ。自前の足は必須

「ムアンラップレー」はウッタラディットの街の中心部から7kmほど西に行ったところにある。

ちなみに、ウィキペディアによれば、“「ウッタラディット」は、ナーン川の一大貿易拠点だったことから、『北の港』や『北の荷卸し地』をタイ語で意味する名前がつけられた”とのことだ。

インドにウッタルプラデーシュという州があるが、このウッタルも「北」という意味なのでおそらく語源(サンスクリット?)が同じなのだろう。

ここを訪れるのに公共交通機関を使うという人はまずいないだろうが、自分のようにチェンマイ方面から国道11号線を運転して来れば、ウッタラディットの市内に近づくと大きな看板が数か所出ているので迷うようなことはないと思う。

ムアンラップレーの見どころ

ウッタラディットの街から国道1041号線に入ってしばらく進むと、大きなゲートが見えて来る。

ラップレー門

ウッタラディットにあるムアンラップレーのラップレー門

アーチの部分に大きく「ムアンラップレー」と書かれたたいそう立派な門で、別にどこかに書かれていたわけではないがここから先は伝説の国の領内だということなのではないかと勝手に推測している。

なお、門の手前右側は広い芝生の広場になっているが、ここがラップレー博物館だ。

まずは通りをずっと進んだ先にあるムアンラップレーの中心部に向かうほうがいいので、いったん素通りしよう。

ムアンラップレー中心部(嘘禁止の石垣)

ラップレーゲートを抜けると道幅が狭くなり、両脇にかなり古そうな木造の家屋が増えて来る。

その先500mほどで道はT字路に突きあたり、正面は駐車場もある広場になっている。

ここがラップレーの街の中心部だ。

見た感じちょっと不思議な空間なのだが、ここから先は昔は(今もだが)森が広がっていて、早い時間から日差しを遮るため神秘的な雰囲気を醸し出していたらしい。

この森は「パーラプラエ(ラプラエの森)」と呼ばれ、それがのちに転じて「ラップレー」になったと言われている。

駐車場の先はその森に通じる斜面となっており、そこに大きな石垣が築かれている。

ウッタラディットにあるムアンラップレーの石垣

石垣には「嘘をつくのは禁止の地区」と書かれている。

ムアンラップレーの伝説は、自分がタイ語のレッスンで使ったテキストを要約するとおよそこんな感じだ(元々がぶつ切りの文章で前後関係の理解が難しかった)。

「ラップレー」という言葉は、目に見えない場所を意味すると説明しています。
善良な人々の秘密の街に伝わる民話です。
ムアンラップレーは背後にある森のおかげで人々の眼からは見えない、不思議な街です。
そこにはダンマ(法・真理)を厳しく実践する信者のみが住むことができ、部外者は立ち入ることすらできません。
特に嘘をつくことを厳しく戒め、一度でも嘘をついた者はムアンラップレーから追放する掟になっていました。
そのため、ムアンラップレーに住むのは女性だけになっていました。
ある時、南から男がやってきて森に迷い込み美しい女性が去っていくのを見かけました。
この男は女性に声をかけ、言葉巧みに誘って女性を口説き落とし結婚してムアンラップレーで暮らすことになりました。
そして、2人の間には子供が一人生まれました。
ある日、母親が遠出して不在中に子供が母親を探して泣き叫んでしまい、なだめても子守唄を歌っても泣き止みません。
困り果てた男はついうっかり口走ってしまいます。
「お母さんが帰って来たよ」。
この嘘で子供は泣き止みました。
しかし村の女性たちは男の嘘を聞きつけ、彼を追い払おうとします。
男は、仕方なく妻と住むムアンラップレーを去ることになりました。
妻の女性は愛する夫を助けることができない、別れなければならない悲しさからこっそりあることを行います。
翌日、ムアンラップレーを去らなければならない夫にバッグを渡し「決して中身を見ないでください。故郷の家に戻ってから開けるようにしてください」と強く指示を出しました。
男性はムアンラップレーを去ります。
しばらく歩くうちに、妻だった女性が何をくれたのかどうしても知りたくなりました。
そこで、約束を破ってバッグの中身を見てしまいました。
そこにはウコンがいっぱい入っていました。
男性はガッカリしました。
バッグからウコンを取り出してその場で捨てると、故郷の村に戻りました。
家に帰った男は友人や親戚に隠された街ムアンラップレーでの自慢話をし、ウコンが入っていたバッグを取り出したところひとつだけ捨てられず底に残っていたウコンが黄金に変わっていました。
中身を捨ててしまったことを後悔し残念に思った男は友人や親戚を誘って途中で捨てたウコンを探しに戻りましたが、秘密都市ムアンラップレーへの道も入口も見つけることができませんでした。
この話は今日まで伝説として語られ、受け継がれています。

というような話なのだが、どうだろうか。

自分はそもそも嘘をついた人間を追放していったら女性だけの国ができた、というのがすごい、というかタイらしいという気もするが、何となく少し南に下ったピチット県のワニ伝説「グライトーン」に共通するものを感じた。

上記石垣の近くには、この伝説をモチーフにしたちょっと安っぽい像も置かれている。

ウッタラディットにあるムアンラップレーの伝説の像

なお、石垣のあるT字路から南(ラップレー門から来たら左折)に進み警察署を越して2~300m行ったところにラップレー名物のカーオクリアップワーウ(タイ式の大型せんべい)を売る店が並んでいる。

ウッタラディットにあるムアンラップレーのせんべい屋

正直やって来る観光客もそれほど多くはないと思われるが、他に何かお土産を買おうと思うとフルーツや野菜(笑)になってしまうので自分は助かった。

ラップレー博物館

「ムアンラップレー」は伝説の世界の話だが、一方でこの地域には他所にはない生活文化を営んでいた人々がいたことが史実として残っている。

それを展示しているのがラップレー博物館だ。

場所は、上記の通りウッタラディット中心部から来てラップレー門の手前右側、広い芝生の広場の奥になっている。

これだけ広いスペースを有していながら、駐車場が用意されていないのが一番の問題だ。

ラップレー門の周りに路上駐車するか、博物館手前の細いソイ(路地)を入ったところにある数台の狭い駐車スペースに無理やり止めるしかない。

なお、このソイ(路地)にはなかば開店休業状態のお土産物屋が数軒並んでいる。

博物館は、たぶん移築した昔の住居と新しく作られたコンクリート柱の建物の2つに分かれている。

ウッタラディットにあるラップレー博物館概観
ウッタラディットにあるラップレー博物館別館

メインは古い住居のほうで、高床式住居を3つつなげたような形をしている。

中央にある階段を上がって中に入ると、広々とした空間が広がっている。

ウッタラディットにあるラップレー博物館の内部概観

内部には、昔のラップレーの人々の生活がわかるようなさまざまなものが展示されている。

パネルに掲げられていた説明書きによれば

この地域は元々はムアントゥンヤーンと呼ばれ、ラワ族とクメール族が住む大きな街でした。
発掘で当時の銅鼓や鉈などが発見され、古くから栄えてきたことがわかります。
その後クメール族が滅亡すると、このエリアはタイ人が占領して「ムアンカムポット」という街を築きました。
同じ時代に戦争を逃れてラーンナーの人々がチェンセーンのヨーノック王国から移住し、山あいの平地に定住し村を「バーンチェンセーン」と名付けましたが、後にこの集団が離散、開墾してさらに大きな都市を築いていきました。。
その中からチェンセーンのヨーノック王国出身のファハームクマール王子がここに都市を築きムアンラップレーと名づけました。
しかし、ヨーノック王国がが崩壊しラーンナー王国が勃興すると、ムアンラップレーもラーンナー王国に吸収、その後はスコータイ王国、アユタヤ王国の前哨都市として栄えました。

とのことだ。

なのでそれほど大昔ということでもなさそうだが、ラワ、クメール、ラーンナー、そして中部タイとさまざまな文化が折り重なってできた人々の生活スタイルなのかもしれない。

ウッタラディットにあるラップレー博物館の寝室
ウッタラディットにあるラップレー博物館のかまど
ウッタラディットにあるラップレー博物館の農機具

食生活も独特だったようで、サンプルとともにパネルでさまざまな料理が紹介されている。

ウッタラディットにあるラップレー博物館の食事展示

さらには建築や衣装、言葉なども独自で、それらはパネルで展示されている。

服装のパネルにある文様は、ラーンナーのタイ系諸民族(タイルー、タイヨーンなど)の影響を感じる。

ウッタラディットにあるラップレー博物館の建築展示
ウッタラディットにあるラップレー博物館の衣装展示
ウッタラディットにあるラップレー博物館の言語展示

説明がなかったのでいつの頃だか正確にはわからないのだが、人々の集合写真も展示されていた。

ウッタラディットにあるラップレー博物館の昔の写真展示

高床式の建物の下には、今でも作業をしていると思われる機織り機が並んでいるほか、かまども再現されている。

ウッタラディットにあるラップレー博物館の機織り機
ウッタラディットにあるラップレー博物館のかまど

また、建物の周辺には家畜を飼う囲いの再現や牛が挽く石臼、おそらく脱穀に使うと思われる大きな臼と杵などが展示されている。

ウッタラディットにあるラップレー博物館の家畜小屋
ウッタラディットにあるラップレー博物館のかまど
ウッタラディットにあるラップレー博物館の脱穀機

11号線から遠くないのでぜひ立ち寄ろう

今回紹介した、ウッタラディット県のムアンラップレー。

すぐ近くを通る国道11号線はラムパーンとピッサヌロークを結ぶ大幹線で、北部と中部を行き来する場合は使う人も多いと思う。

ウッタラディットの街自体にはたいした見どころはないが、ほんの少し離れた場所にこのようなおもしろいストーリーを持つ場所があるのは外国人旅行者にももっと知られてもいいと思う。

もし国道11号線をドライブするなら、ウッタラディットの街は通過するだけにしてもこちらはぜひ立ち寄ってほしいスポットだ。

ウッタラディットに泊まるならフライデーホテルがおすすめ

有名な観光スポットがないウッタラディットでは、宿泊の選択肢も限られている。

そんな中でおすすめできるのは、街のほぼ中心部にありデパートの上部を使っている「フライデーホテル」。

全体に設備は古いものの昔からあるタイの地方都市の高級ホテル、といった広い部屋にバスタブなど外国人でも十分満足できると思う。

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