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【ソンクラー】城壁、中国風建築の街並み……古きよき時代を想起させるソンクラーの旧市街

タイ南部の街ソンクラーの古い街並み ハジャイ&ソンクラー
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この記事は旧サイトにアップしていたのを改訂・移設したものです

タイ南部最大の街ハジャイから、ロットトゥー(乗り合いワンボックスカー)に乗ってソンクラーにやって来た。

【ソンクラーへ】ハジャイから爆走ロットトゥー(乗り合いワンボックスカー)でソンクラーへ向かう
タイ南部最大の都市ハジャイから、昔ながらの古い町並みが有名なソンクラーへと向かう乗り合いワンボックスカーの紹介

あらかじめリサーチしたところではソンクラーには7~8カ所の見どころがあるようだが、人魚像のある岬とか正直あまり興味はないので、街なかにある3か所ほどに絞り込んで観光することにした。

建物が見事な国立博物館だが休館だった

一番最初に向かったのは国立博物館だったのだが、自分が行った日は何と休館していた。

ここには7~11世紀に繁栄し、マレー半島やスマトラ島、ジャワ島を勢力下においたマレー系海上交易国家シュリーヴィジャヤ王国関連の収集品が展示されているとのことで、普通のタイの博物館とは違ったものが見れるかと楽しみしていたのだが……

前回ここに来たのは1989年なので35年ぶりの訪問だったのだが、その時にも深く印象に残ったのが中の展示よりも1878年に建設されたという中国南部とポルトガル様式がミックスされたという博物館の建物だ。

今回は休館日で門の外から遠目に眺めることしかできなかったが、やはりなかなかの美しさで「もう一度、チェンマイに住んでいるうちに来たいなあ」と思ったのだった。

1830年代に建設された城壁

国立博物館の南側を走るチャナ通り沿いに建っているのは、ラーマ3世下の1830年代に建設された城壁だ。

タイ南部の街ソンクラーの古い城壁

設置されている説明書きによれば

ソンクラーの城壁は、ラーマ3世の時代に建設された。
王がソンクラーの街を新しい場所に作ることを命令した。
ソンクラーの知事だったプラヤ・ウィチェン・キリ(ティエン・セン)は、仏暦2375年(西暦1832年)に街をシンハー・ナコーン郡フア・カオ区のレーム・ソン村からボー・ヤン区に移すことを決定した。
これが、この城壁の建設をもたらした。
ソンクラーの城壁は、仏暦2379年(西暦1836年)前後に建設され、最終的に完成したのは仏暦2385年(西暦1842年)である。
考古学的資料や関係する文書などは、この城壁が過去から現在に至るまで何度も破壊と再建築が繰り返され、よい状態を保っていると指摘している。
後年、ラーマ5世の治世において、プラヤ・ヨマラート(パン・スクム。この時の彼の地位はプラ・ウィチット・ウォラサート、すなわちソンクラー、パッタルン、ナコーン・シー・タンマラートの行政長官で後年モントン・ナコーン・シー・タンマラートの監督者を仏暦2437年(西暦1894年)から同2448年(同1905年)まで勤め、プラヤ・スクムナイウィニットという名前を拝した)が道路拡張計画を伴う都市の拡大を行った際に、移設された。
城壁のレンガと石の大部分は、街の道路に敷かれていたものが利用されている。
今日、城壁は北側の一部、114mを残すのみとなっている。
建築術のスタイルとしては、土塁と石と石灰を含んだモルタルによって造られている。
城壁の高さは約5.5m、厚さは4mある。

とのことだ。

どうやらできてから200年ほどのようで、どうりでチェンマイのお濠の周囲に残っている城壁と較べると造りがしっかりとしていて保存状態もいいはずだ。

特に厚さが4mもある分、より重厚な印象を受ける。

チェンマイと異なりわずか100mほどの長さなので、ぐるっと一周しても大した時間はかからない。

移住中国人が暮らした歴史ある街並み

城壁から西に向かい最初の十字路を左折し300~400m進むと右側にカシコーン銀行があり、そのすぐ先に右に伸びる道がある。

道はナコンノーク通りと言いすぐに左折して細くなるのだが、ここからが自分がこの街最大の見どころだと思う中国人街の古い街並みだ。

タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶナコンノーク通り概観

ウィキペディアによれば

現在のソンクラー県庁所在地周辺には18世紀後半から多くの華僑が中国の広東省、福建省から渡来した。
1769年には福建省漳州府海澄県出身の華僑・呉譲が税務官に任命されソンクラー家(ナ・ソンクラー)を建てた。
呉譲は税務官の地位を利用しソンクラー家をソンクラー経済を操る一家にまで成長させた。
1777年にはそれまでの国主が廃され、呉譲がソンクラー国主に任命された。
この時、呉譲はルワン・ウィチエンキーリーの官位・欽錫名を下賜され、ソンクラー家はソンクラーの経済だけでなく政治をも操るソンクラー最大の名家にまで成長させた。

とのことで、おそらくその時代に移り住んだ中国人の居住地域だったのだろう。

これを読んで思い出したのだが、ナ・ソンクラー姓の女性タレントがいて時々3チャンネルの朝のニュースショー「เรื่องเล่าเช้านี้」に出ていたね。

最近見かけないけど。

この道は600~700m続いており、終点には「Singora Old Town」と書かれた看板が立っている。

タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街の看板

同じく、ウィキペディアによれば

マレー語のシンゴラ(Singola、サンスクリットのSinghala、ライオンの意味)に由来する。
ソンクラー市の近辺にライオンの様な山があるからである。

とのことだが、自分にはどの山がそれに該当するのかはわからなかった。

旧市街の入口近くには、元々は内海(ソンクラー湖)に停泊した船から米などを積み下ろしていた場所だったという建物が、なぜか真っ赤に塗られ(中国色?)てランドマークとなっている。

タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街の米倉庫

詳しくはわからないのだが、道沿いにある建築物の多くは純粋に中国様式ということではなく、タイ様式、マレー様式、ポルトガル様式などの影響も受けているという。

タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街の古い商店
タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街の小住宅
タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街のピンクの建築物
タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街のベージュの建築物
タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街の狭い路地
タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街の白いホンテウ
タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街の平屋住宅
タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街の壁の彫刻
タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街のレトロ住宅

多少ながら観光地化も図られているようで、ところどころにはカフェや昔ながらのスタイル(?)で豆花を売る店があったりする。

タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街のカフェ
タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶシンゴラ旧市街の豆花の店

道のところどころからは、海も見える。

タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶナコンノーク通りから見える海
タイのソンクラーの中国人の古い家が並ぶナコンノーク通りから見える湖

ソンクラー湖という湖なのだが、シャム湾と直結している内海のような構造になっていて、漂ってくるのも塩の香りだ。

水は茶色く濁っていてそれほどきれいではないが、普段チェンマイに住んでいるので広々とした海を見る機会がなく、目の前に広がる景色を眺めていたら旅の疲れが一気に吹き飛んでしまった。

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