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【パヤオ県】手つかずの遺跡群とメコン川から遡上して来る魚がおいしい小さな村「ウィアンロー」

ウィアンロー遺跡 プレー、ナーン&パヤオ
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タイ北部にいくつも残る城郭都市「ウィアン」

かつて、ラーンナー(現在のタイ北部周辺)やラーンサーン(同ラオス北部周辺)などのタイ系民族諸国家では、一人の王や領主が支配する都市とその周辺地域を「ムアン」と呼んでいた。

現在も行政区画や都市名として普通に使われている「ムアン」は、本来「都市」「国」「領地」「都市国家」などを意味する言葉で、現在では県庁所在地として知られるチェンマイやラムパーン、ナーンもかつてはそれぞれが「ムアン***」と呼ばれる独立性を持った都市国家であった。

日本の「藩」に近い存在と考えるとイメージしやすいだろうか。

そして、多くのムアンでは城壁や濠で囲まれた中心市街地である「ウィアン」が築かれた。

これは、タイ系民族の都市では行政・宗教・軍事の中心地としてまず城壁や濠を備えたウィアンを建設したことに由来している。

チェンマイで言えば、城壁と濠に囲まれた旧市街が「ウィアン」にあたる。

こちらを日本風に例えると、「藩庁(城)と城下町」になるだろう。

ムアンは大きなものからどこかのムアンの属国のようなものまで数多くあったので、今日でもタイ北部にはその中心、すなわち「ウィアン」と名のつく場所が残っている。

が、濠や城壁、寺院遺跡などは埋められたり破壊されて田畑にされたりしていて、往時の姿をよく残している場所は決して多くない。

グーグルマップを眺めていると、「ここに濠があったのかな」と思わせるような道路のカーブが見つかることもある。

-***-

今回紹介するパヤオ県のウィアンローは、ローと呼ばれたムアンの中心部にあたる古代都市遺跡だ。

タイ北部に現存するあまり破壊されていないウィアンは貴重で、古代都市の姿を自然の中に色濃く残す数少ない遺跡のひとつだと言えよう。

まったく人がいない荒れ地の中にほとんど手つかずの遺跡が点々と残っており、いにしえの城郭都市の栄華に思いをはせながら散策すれば、ガイドブックで紹介されるような整備された遺跡とはひと味違う空気を感じられると思う。

また、その昔ここが栄えた最大の理由である灌漑と水運を支えたイン川にはるばるメコン川から遡ってくる魚を使った料理を出すレストランもあり、観光とともに楽しむことができる。

主要な観光ルートから外れており公共交通機関ではアクセスできないため決して訪れるのが簡単な場所(自前の車両必須)ではないが、機会があればぜひ立ち寄ってほしい田舎の小村だ。

ウィアンローの歴史

ウィアンローについて記された史料は非常に少なく、また発掘作業も継続中のため明らかになっていないことが多い。

正確な建都の時期もまだ明らかになっていないが、考古学的調査などから少なくとも900年以上前、西暦11〜12世紀頃には存在していた可能性が高いとされている。

この地域は、現在のような小さな農村ではなくパヤオ王国を構成する重要な都市のひとつであったと考えられる。

パヤオ王国は11世紀末頃にチョームタム王によって建国されたと伝えられているが、地元の伝承や歴史文献で当地は「パンナー(千の田んぼ=支配地域)ロー」と呼ばれ、パヤオ王国建国時の「36パンナー(36の支配地域)」のひとつとされていた。

ウィアンローは王国の東部に位置し、北のトゥーンやその先のメコン川に面したチェンコーン方面へと続く交通・交易の要衝であった。

その最大の特徴は、遺跡群の中央を流れるイン川を利用した高度な治水・灌漑システムだ。

遺跡内にはイン川の岸に沿った土塁や堤防の跡が確認されており、これはラーンナー地域では非常に珍しいものとなっている。

こうした遺構は、イン川を制御し農地や宗教施設を洪水から守るために使用された大規模な灌漑システムの存在を示唆している。

つまり、ウィアンローは単なる城郭都市ではなく水を巧みに操ることで繁栄した計画都市だったと言えるだろう。

13世紀頃の伝承では、パヤオ王国の英雄的存在であるチュアン王が軍を動員した際にウィアンローの名が従属都市のひとつとして記録に現れる。

これは、ウィアンローが単なる村落ではなく軍事的・行政的な役割を持つ都市であったことを示している。

この時期、パヤオ王国はマンラーイ王が築いたランナー王国と並んで存在し、北タイの有力な王国として栄えた。

パヤオで発見された複数の碑文には、ウィアンローの仏教の隆盛ぶりやチェンマイの王とパヤオの王の功徳を積む儀式への参加、宗教施設の建設、土地の寄進などのためにこの地を訪れたことが記されている。

したがって、この時期がウィアンローにとっても最も繁栄した時期であったと考えていいだろう。

しかし1338年頃、パヤオ王国はランナー王国に併合される。

その後もウィアンローは一定期間存続したと考えられるが、政治の中心がチェンマイに移るにつれて次第に衰退していった。

さらに1558年のビルマによるラーンナー王国支配以降は、タイ北部のほかの多くの都市と同様に人口が減少し、最終的には18世紀に放棄されたとみられている。

手つかずで近づくこともできない遺跡も

ウィアンローは巻貝のような形をしており、東西1,250m*南北750mで2~3重の城壁で囲まれていたと考えられる。

発掘調査では城壁内に50以上の寺院遺跡が存在していることが確認されているが、現在では大部分がトウモロコシ畑を開くために破壊されてしまっている。

この広くないエリアにそれだけの数の寺院があったということは、かつては宗教都市としての一面もあったのかもしれない。

ウィアンローは、スコータイやアユタヤのように大規模な観光地として整備された遺跡ではない。

遺構の多くは農地や集落の中に点在しており、発掘・保存もまったく不十分な段階だ。

また発掘が終わった遺構も草木に覆われ、基壇や煉瓦の一部しか残っていない場所が多い

それぞれの遺跡まで行くには基本歩いて行くしかないが、中には田んぼのあぜ道同然のようなところを進まなければならなかったりもする。

また、そもそも道がなく近づくことすらできない遺構も多い。

逆にそれが泥棒たちには都合がいいのだろう、今年(2026年)にも盗掘事件が発生している。

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なお、ワットシーピンムアンあたりにいる村の人から「バイクの後ろやサイドカーに乗って遺跡を見て回らないか?」と声をかけられるかも。

交渉その他すべてタイ語のみで、川の向こうの少し離れた遺跡まで行くと3時間近くかかるそうだ。

ウィアンロー全体は歩いて見て回るには広すぎるので、こういうのを利用してもいいと思う。

ただし、村人のバイクはボロボロでおそらく道もよくないところが多い(中には未舗装の道も)だろうから苦行になる可能性はあるが。

ワットシーピンムアン

ウィアンロー遺跡

ウィアンローの中でも中心的な寺院遺跡。

チェディ(仏塔)はラーンナーとスコータイの様式が混じった釣鐘形で、西暦15世紀から16世紀初頭にかけて建立されたものと推定されている。

元々この仏塔の東側には大きなレンガ造りの寺院の基礎の遺構があった。

しかし50~60年前に宗教儀式を行う場所が不足していた住民たちが、古い寺院の基礎の上に共同で新しい寺院を建ててしまった。

新しい本堂内には、かつて旧本堂にも安置されていたラーンナー様式パヤオ派の砂岩製の仏像が3体安置されていて、地元では「三兄弟仏」として古都ウィアンローの守護仏とされていたが、何と盗まれてしまい今も行方がわからないという。

ウィアンロー遺跡

なお、仏塔の前に大きなクジャクの像が飾られている(タイトル下の写真)が、これはパヤオ県の象徴的存在がクジャク(絶滅危惧種の野生クジャクが国内で最も多い)ということで、県内の街なかや観光スポットなどあちらこちらで目にすることができる。

博物館

ウィアンロー遺跡

ワットシーピンムアンのチェディ(仏塔)のすぐ近くには、小規模な博物館がある。

内部は大きなひとつの空間で、出土した仏像や土器、寺院遺跡に使われていたレンガなどが展示されている。

仏像は形が整っているものはキチンと陳列されているが、頭部のみや身体のみだったりすると無造作に積み重ねられていたりする。

ウィアンロー遺跡
ウィアンロー遺跡

出土した遺物には砂岩製や青銅製の仏像、ハリプンチャイ後期様式の土器にラーンナー窯で作られた陶器などがあり、ウィアンローが広い文化交流圏に属していたことがうかがえる。

モニュメントNO.1

ワットシーピンムアンから川沿いにほんのちょっと歩いたところにあるのが、モニュメントNO.1だ。

ウィアンロー遺跡

明確な創建の記録がないためこのような名前になっているが、資料によってはワットシーピンムアンの一部として扱っているものもある。

ウィアンローの遺跡群の中では最もきれいに整備されており、長方形のウィハーン(仏殿)の基壇が残っている。

通りに面した東側に主階段、南側の後方エリアに小階段がある。

残された建築的特徴から、レンガの壁がウボソット(本堂)に接するように建てられ屋根はランナー様式の多層梁構造で粘土瓦で覆われていたと見られる。

この寺院は西暦16世紀から17世紀にかけて建設され、ウィアンローが放棄されるまで使用されていたと考えられている。

吊橋

ウィアンローの遺跡群はイン川をはさんだ両岸に広がっているが、それをつなぐのがピンクにペイントされた吊橋だ。

ウィアンロー遺跡
ウィアンロー遺跡

この橋ができるまで、村人はイン川の向こう側の田畑へ農作業に向かうためには小舟を自力でこいだり、いったん別の村まで車で移動して川を渡らなければならなかったという。

橋は歩行者と2輪車だけが通行可能。

ちなみに、橋をピンク色に塗ったのはこれを当地のランドマークにしたいとい村長の発案だったらしい。

ワットサーラピー

ウィアンロー遺跡

吊橋を渡ってすぐのところにある寺院遺跡。

説明書きなどが何もなく、どのような寺院だったのかはわからない。

なお、地図上ではワットサーラピーからまっすぐ西に行くとワットシーチュム、ワットノーンパムという寺院遺跡がプロットされているが、自分が訪れた時には道が途中から草に覆われていて進むことができなかった。

全体的に、イン川対岸の遺跡群はまだほとんど手つかずの状態だ。

ワットクーグアックマー

ウィアンロー遺跡

ワットサーラピーから田んぼの中に伸びるあぜ道を進んだ先にある。

残っているウィハーン(仏殿)の遺構は東西方向に広がる長方形で、幅9.2m*長さ19.0m。

東側と南側に階段があり、砂岩でできた柱の基礎が見られる。

ここからは砂岩や青銅製の仏像の破片、錫製の菩提樹様式の奉納板などが見つかっているほか、ウィアンカローン(チェンラーイ県ウィアンパーパオ郡にありかつては北タイ三大陶器生産地のひとつだった)、パヤオ、スコータイ、シーサッチャナーライの各地域の窯で焼かれた陶器の破片に加え、明代に中国で作られた陶器も発見された。

城壁や土塁、濠の跡

ウィアンロー遺跡

現在でも、田園地帯の中に低い土の盛り上がりとして城壁や堀の痕跡が残っている。

説明書きなどはまったくなく注意していて見てもここがそうだと気がつかないことがほとんどだろうが、これこそがウィアンローが「城郭都市」であった証拠だ。

国道1126号線近くのエリア

ウィアンロー遺跡群の西方向、国道1126号線に近いエリアはその奥の小さな山脈の麓になり川沿いとは違ってアップダウンのある土地になる。

この一帯にも数多くの遺跡が残っており、国道から姿が見えるチェディ(仏塔)もあったりするがイン川沿いと違ってようやく発掘調査が始まったようで、自分が訪れた時は大規模発掘調査中で立ち入ることができなかった。

発掘調査が終われば、イン川沿いの遺跡群と並んで2か所観光ポイントができることになるだろう。

メコンから遡上して来る魚料理を出す村で唯一のレストラン

ウィアンローの遺跡群は、上記の通りイン川沿いに広がっている。

イン川はパヤオ県北西部のドーイルアン山脈に源を発し、南下するとパヤオ湖を形成、そこを流れ出ると今度は一転北に向きを変えメコン川へと注ぐ。

全長約300kmにもおよぶ、メコンの重要な支流だ。

タイのイン川
タイのイン川

そのメコン川本流は、雨季になると水位が10m以上も急激に上昇する。

ところが、支流であるイン川は平坦な地形を流れているため、押し寄せるメコン川の水圧に負けて川の流れが完全に逆転し、140km近い上流のウィアンローまで水がさかのぼって来る。

すると、メコン川の魚たちはイン川を一斉に遡上し、この逆流して来た水が作る氾濫原で産卵や子育てを行うという。

この驚くべき自然のメカニズムのおかげで、イン川では90種以上の魚類が確認されており、タイ国内で2番目に魚種が豊富な川とされている。

しかも、イン川で獲れる天然の魚(とりわけ大型のナマズ類やコイ類の仲間)は養殖ものとは比べものにならないほど味がよく、チェンラーイやチェンマイのレストランへ高値で卸されるそうだ。

実際ウィアンローでも多くの村人が川に出て釣りをしていて、すぐ近くには買付人のものと思われる大型クーラーボックスを積んだピックアップトラックも止まっていた。

ウィアンロー自体は本当に何もない田舎の小村だが、そんなイン川の魚を食べることのできる村で唯一といってもよいレストランがある。

名前を「ラーブプラーサパーンクウェーン(ร้านลาบปลาสะพานแขวน=クウェーン橋の魚ラープ)」という。

店はイン川右岸の吊橋のたもとだ

ウィアンローの魚料理レストラン

入口には魚の木彫がいくつも飾ってある

ウィアンローの魚料理レストラン

写真を撮り忘れてしまったのだが、店の中には目の前で獲れたという2m近いプラーブック(ปลาบึก=メコン大ナマズ)の写真が飾ってあった。

メコン川から140kmもイン川をさかのぼって巨大なメコン大ナマズがここまでやって来たというのが驚きだが、調査で中流域のウィアンロー周辺にある深い川底の窪み(魚の隠れ家となる淵)にまでやって来ることが確認されたという。

現在、野生のメコン大ナマズは絶滅危惧種に指定されており、メコン川本流でのダム建設や環境変化によってイン川のような支流まで遡上してくる姿はほとんど見られなくなってしまったそうだ。

ウィアンローのようなところに来る外国人はめったにいないため、店のメニューは当然タイ語のみで、おそらく店の人(中高年のご夫婦でやっている)にもタイ語以外は通じないと思う。

出て来る料理は決して手の込んだものではないが味のバランスが取れており、何より目の前のイン川で獲れた新鮮な魚を使っているので、その素材のよさが口に入れた瞬間に伝わって来る。

ウィアンローの魚料理レストラン

ラーププラースック(火を通した魚のラープ)

ウィアンローの魚料理レストラン

パッチャープラー(魚の唐辛子ハーブ炒め)

ウィアンローの魚料理レストラン

トムヤムプラーナムサイ(魚のココナツミルクなしトムヤムスープ)

ウィアンローの魚料理レストラン

ウィアンローの都が華やかだった遠い昔、人々もまたこのイン川で獲れた魚を食べていたことだろう。

そして、魚と同じように川を行き来してメコン流域の人々とつながり、物質的文化的両面で影響を受けていたのかもしれない。

遺跡群とイン川のすぐ脇にあるこのレストランで、ゆっくりと魚料理を味わいながら往時の様子に思いをはせてみるといいと思う。

ウィアンローに来たら、絶対に立ち寄るべきレストランだ。

ローカルの店と比べても大して高くありません

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