チェンマイの南部郊外、市内からチェンマイ-ランプーン通りを南下し、マヒドン通り(国道1141号線)との立体交差を越えて1kmほど行った右手にある。
位置的には現在のチェンマイが建設される前に2年間だけ王都が置かれたウィアン・クムカームの遺跡群の東端にあたり、すぐそばにもその遺構(寺院跡)が残っているのだが、この廃寺は遺跡群の中には含まれていない。
「クー(กู่)」はカムムアン(チェンマイ語)でチェディ(仏塔)を意味し、カーウ(ขาว)は「白」なので、ここは「白い仏塔の寺院」ということになる。
これは、おそらくかつてチェディ(仏塔)が石灰岩のしっくいで覆われていたことから名づけられたと思われる。
現在は、半分ほどの高さまで残っているチェディ(仏塔)と、基壇部分のみで上に仏像が安置されたウィハーン(本堂)のポーチの一部分だけであるが、これはタイ歴2527年から2538年(西暦1984年から1985年)にかけて修復されたもの。
チェディ(仏塔)はラーンナー様式で、基壇は正方形の3段で構成されている。
今は失われてしまっている頂上部は、2段の蓮のつぼみの形をした円環スタイルだったらしい。
中央部付近は、ギザギザ型のしっくい細工で飾られていたという。
今からおよそ350年前のタイ暦2186年(西暦1643年)の建立。
当時、この場所はチェンマイとラムプーンの境界になっており、それを示すためにチェディ(仏塔)とウィハーン(本堂)が建設されたと言われている。
ちなみに、現在でもここはムアン郡とサーラピー郡の郡境にあたる。
史料によれば、かつて、この寺院には「カープラ」(借金が払えなくなり、その返済のために債権者のもとで働いていたが、その債権者が寺院に寄進として譲渡したため、そこで僧に奉仕作業をしている債務者)が数多く住んでいた。
ある時、ヤーアーマットという人物が債務者を寄進したことを祝って儀式をしていたところ、周囲の木々が一斉に芽を吹き出して、その数は300万(!)に達した、という逸話が残っている。
上記のような逸話があるためか廃寺にしては珍しくお参りする人が結構いて、敷地は低い柵で囲われ、内部はきれいに整備されているほか、周りにはプラ・クルアン(タイ人がよく首にかけている、粘土、もしくは金属製の小さな仏陀のお守り)を扱う店が出ていることもある。
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