第7話:頼もしい友人の誕生
この後、私が日本に帰っている間に、ダムロンの母親が亡くなった。腸か胃のガンだったようで、1カ月前から自宅で臥せていたが、病状が悪化したので病院へ連れて行ったところすでに手遅れで、1週間ほどで亡くなったとのことだった。ティップが葬式の写真を出して見せてくれ、ダムロンは「医者が、かなり前でもすでに手遅れであっただろうと言っていたので、すぐに入院させても時間の問題だったろう。苦しむのが短かっただけもよかった」と言っていた。
ダムロンはタイ人のくせにえらく暑がりで、「暑い、暑い」と言ってはすぐに上半身裸になるくせがある。
彼の上半身にはたくさんの入れ墨がしてあり、日本のヤクザの唐くり紋と同じような具合になっている。タイ人の男性は、タイ式仏教のしきたりでそれに関係のある入れ墨をしている人が多いが、彼の場合は別の入れ墨の方が多く、色々な模様や動物が色墨を加えて表されている。家にいる時ならまだしも、たまに食事に出かけた時にでもすぐに「暑い、暑い」と言ってシャツを脱いでしまうので、その場にいる人はみんな目を見張り、ヤクザ者と判断して静かになってしまう。それもそのはず、入れ墨とともに彼の御面相は凄い悪相なだけではなく、若い頃にやっていたムエタイ(タイ式キックボクシング)の名残である肘打ちを受けたあとが5カ所ほど黒く残り、これはタイ人ならば大抵の人が何の傷かわかるので、キックボクサー上がりのヤクザ者であることが丸出しとなる。しかし、ダムロンはそんなことを意に介せず、道を歩いている時にでもいきなりシャツを脱いだりする。そんな時に、向こうから歩いて来る人は驚いて立ち止まったり、脇道や車道に逃げたりする人もいる。まあ、彼の入れ墨と御面相を見れば大抵の人は避けたくなるんだろうけど、ダムロンはこれらの反応を楽しんでいるようでもあり、私にはとても風変わりで、頼もしい友達となった。
雨期が明けて、さわやかな秋晴れが広がる頃のこと、ダムロンの家に遊びに行くと、彼が小さな拳銃を見せてくれた。それは、昔から家にあったというもので見るからに古く、もう使えないことは一目瞭然の代物で、手の平ほどの小さな22口径8連のリボルバーであった。「本当にドンパチできるものはないのか?」と聞くと、「必要ないので自分は持っていないが、拳銃を撃ちたいならば射撃場に行こう」と言って、まず銃砲店に行き22口径と38口径の弾丸を買い、警察官などが射撃訓練をするためにあるらしい、チェンマイ・スタジアムの奥の射撃場へ連れて行ってくれた。一般の人にも有料で銃や弾丸を提供してくれるその射撃場は、前に私も何度か行ったことはあったが、弾丸を持参して行ったのはこの時が初めてであった。ダムロンは、射撃場の責任者であるらしい初老のおじさんと親しいようで、盛んに冗談を言い合いながら拳銃を借りる手続きをしている。一緒に来たケオとソムサックが、標的を張ったり並べたりして準備完了、バン!バン!バン!。普通、ひとりで来た時には、30分も射撃に集中すると疲れてしまうものだが、何だかんだと大騒ぎしながら4人交替で遊んでいるうちに、2時間以上も過ぎ日暮れになってしまった。
この時わかったのは、ダムロンの射撃の腕はからっきしであり、エレベーターの中ならばともかく、彼に銃で狙われても走って逃げれば、まず弾はあたらない、ということであった。とにかく「本当に狙って撃ってるのか?」と疑いたくなるほどその腕前はひどいもので、まったくの初めてというケオやソムサックよりもさらに数段は下手クソであった。
本人はどう思ってるかわからないが、もしダムロンが必要があって銃を持っても、脅し以外にはまるで役に立たないと思った。
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