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連続ノンフィクション小説 ダムロン物語~あるチェンマイやくざの人生~ 第6話~第10話 by蘭菜太郎

ダムロン物語~あるチェンマイやくざの人生~ 第6話~第10話 ダムロン物語
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第9話:トゥクトゥク登場

それから2~3日たって、ダムロンの家の近くまで行ったところ、彼の家の庭でトゥクトゥクの力強いエンジン音がするのが聞こえてきた。見ると、ダムロンがトゥクトゥクに乗り、悦に入った様子でエンジンを空ぶかしして調子を見ていた。

当時、チェンマイでもかなり数が増えてきたトゥクトゥクは、ソンテウに次ぐ民間交通機関の主流になりつつあった。機動性から言ってもサームローの比ではなく、競争の原理で、サームローはその数をすでに激減させていた。

「いったい、どこから持ってきたんだ?」と私が聞くと、「ちゃんと契約して借りたのだ」と言う。借り賃は1日あたり90バーツで、別に3,000バーツの保証金を払ったとのことである。「これを何に使うんだ?」とたずねると、「昼間はここに置いて自分のバイクがわりに使う。夜は、ソムサックに仕事で使うように貸すが、また酒を飲むようならば即刻取り上げる」と言って、いまだに殴られた傷が治っておらず、顔面アザだらけのソムサックをジロリとにらんだ。ソムサックの後ろで、彼の若妻のニンがうなだれている。私も、今度は酔っ払って運転して事故でも起こされれば、ただでは済まないことになる。それこそ、かわいい奥さんを路頭に迷わすことにもなりかねないのだから、仕事の時に酒は禁物だよと、意見を言う。酒が入っていない時のソムサックは実によい奴で、「もう酒は飲まない」と言って涙を流している。しかし、これで彼の酒癖が治る訳ではないだろうから、本当に危ないことにならなきゃいいけど……と心配になった。

ソムサックのトゥクトゥクは、それからしばらくの間、まじめにやっていた。たまにほろ酔い程度のことはあっても、前のように仕事中に滅茶飲みすることはなくなり、彼なりに自重している様子であった。

ある時、ソムサックと中華食堂で食事をしていると、店の奥にある会計のカウンターに座った、その店の娘らしい中国美人がこちらを見ている。実際には、私達が座っているテーブルの向こうに置いてあるテレビを見ているのだが、彼女の美しい顔立ちがよく見える距離であった。ソムサックに、「おい、すごい美人がお前を見ているぞ」とささやくと、周りをキョロキョロと見回して、「どの娘だ?」と言う。どの娘も何も、すぐに気がついてもよさそうなものなのに、わからない。「あの娘だよ」と、目立たぬように指差すと、カウンターの娘とテレビを見て状況がわかったのかニヤリと笑い、「あの娘は、本当にそんなに美人なのか?」と聞いてくる。私は、「かなりのもんだと思うけどな~。ソムサックはどう思う?」と逆にたずねると、「よく見えない」という答えが返って来た。そのカウンターまで5mほどしかないのに、そこに座っている娘が美人かどうかわからない、というのだ。「ソムサック、もしかしたら、お前は目が悪いんじゃないのか?」と聞くと、「検査したことがないから、わからない」と言う。そこで早速、近くのメガネ屋に行き視力検査を受けさせてみると、0.2と0.3でメガネなしの私よりさらに悪かった。その時に、まあまあのメガネを買い与えると、「お~、よく見える!!! 世の中は、こんなにもはっきりとした世界だったんだ!!!」と、大感激していた。

1987年の正月過ぎに、私の甥っ子の一郎が、家業の下見にタイへ来たついでに、私を訪ねて初めてチェンマイにやって来た。家業で営業を任されている彼は、酒付き合いが上手で酔っ払ったソムサックのあしらいもうまく、ダムロンとも思ったより気が合ったようだった。彼も下町育ちで、いにしえを感じる人々の暖かいつながりをとても気に入り、何も予定がないと、半日ダムロンの家にいても飽きることがないようだった。

一郎がチェンマイに来て数日後、チェンラーイに行くことになった。私が利用している宝石の石元は、店売りをしていない仲介業者で、いつも必ず手元に品物がある訳ではない。近日入荷予定があれば待つこともあるが、ない時には本当に何もなくなってしまう。この時も買物が全然ないので、ビルマ(ミャンマー)国境のメーサーイまで出てみることにした。一郎とダムロンも一緒に行くことになり、それならばいっそのこと、ノンビリとレンタカーでも借りようということになった。当時のメーサーイにはろくなホテルもなかったので、宿をチェンラーイに取り、仕事の時だけ車で1時間半ほどのメーサーイまで出るのだ。

この時のチェンラーイとメーサーイでの出来事は、私の旅の思い出の中でも特に深く記憶に残っている、楽しいものであった。

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