ネパールの首都カトマンズの旧市街の中心は、主に14世紀から18世紀にかけて当地を支配したマッラ王朝が築いた王宮とその前の広場、さらに周辺に点在する寺院によって形成されている。
日本語のガイドブックにはこれらを総称して「ダルバール広場」と書かれていることが多いが、自分的には初めてカトマンズを旅した1981年からずっと「ダーバースクエア」と呼んでいるので、この記事でもそう表記することにしたい。
ちなみに、現地の人達はこのあたりを「バサンタプール」と呼んでいる。
ダーバースクエアは街の中心であり、例えばツーリストセンターのタメル地区からドチェン(フリークストリート)に行ったりする時にもここを通過するのが一番便利なのだが、現在このエリアに立ち入るには、というか通り抜けるだけでも外国人は10USD近い入場料を払わなくてはならず、これはカトマンズ以外の都市国家であるパタン、バクタプールのダーバースクエアでもそれぞれ徴収される。
ネパール人はもちろんお金などを払わなくてよく、門などを作って厳重に出入りを管理しているわけではないので広場の脇などから容易に進入できてしまうところがいかにもネパールではあるが。
ドチェン(フリークストリート)の入口から見たダーバースクエア
広場は昔から土産物を売る露店が所狭しと並んでいたのだが、近年は旅行者が減っているので店の数も減っている。
奥の王宮の建物にネットが張られていたり木の足場が組まれているのは地震でダメージを受けたからだ。
2015年4月に発生したカトマンズの西方を震源とする大地震はマグニチュード8前後と推定され、ネパール国内だけで死者8,000人以上、負傷者は14,000人以上に達した。
ネパール国民の30%が被災したとされ、特に地震に対してまったく耐性を持たないレンガ積み、もしくはカトマンズのほんのちょっと郊外でさえ泥と牛や水牛の糞を混ぜて塗った壁というあまりにももろい建物が特に大きな被害を受けた。
今でもこの旧王宮に限らず、市内のあちらこちらに地震で崩壊した建物がそのまま残されていたり、倒れてこないようつっかえ棒がしてあったりする。
ちなみに、この旧王宮の建物はアメリカ、中国、日本の3カ国が修復作業にあたっているのだが、アメリカと中国が広場からよく見える場所にそれぞれの国旗を描いた大きな看板を掲げて自国をアピールするようにしているのに対し、日本だけはこのメインの建物の裏の少し奥まった場所に小さな看板を出しているだけで、よく見ないとわからないくらい。
今の日本の国力の衰えを象徴しているようで悲しかった。
旧王宮と周囲にある寺院なども軒並み被害を受けていた
自分にとって最も衝撃的だったのはこれ
旧王宮(ダーバースクエア)というか、カトマンズの街の象徴と言ってもよいカスタマンダップだ。
12世紀建造と言われるこの建物は1本の木から造られたとされ、グーグルマップでは「寺院」、日本のガイドブックなどには「集会場」と書かれているが、実際にはチベットとインドへの巡礼や両国を行き来する商人などに対して提供された宿・休憩所の役割を果たしていた。
ちなみにカトマンズという街の名前はこのカスタマンダップが語源であり、またタイの寺院にあるモンドップ(仏堂)もこのカスタマンダップから由来している。
「地震前はこんな建物がありました」という写真看板が立てられている
写真でわかるかもしれないが、この建物は1階部分が16本の柱のみで壁がなく構造的に頭でっかちだったので、地震の揺れに耐えられなかったのではないだろうか。
カトマンズを旅し始めた当初は、このカスタマンダップに腰かけて目の前を行き来する人々や牛、ヤギなどの動物を日がな一日眺めたりしていたのだが、もはやそれもかなわなくなってしまった。
地震崩壊後に学者たちが調査したところ、当初言われていた12世紀より実際はさらに500~600年前に建てられたことが判明したらしい。
カトマンズは、何しろ街全体が歴史遺跡というか神話に包まれている(そもそもこの盆地自体が大昔は湖で、それは地質調査で証明されている)ので、そんな話がゴロゴロ出てきてもぜんぜんおかしくないのだ。
旧王宮裏にあるカロ(黒い)バイラブ(神様の名前)は無事だった
バイラブ神はこのように壊れてしまった王宮を見て、何を思うのだろうか……
自分のお友達は、このダーバースクエア(旧王宮)の再建(修復)委員会の委員をしているとのことでそれにまつわるおもしろい話もたくさん聞けたのだが、それはまた別の機会にでも記したいと思う。
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