サワディーチャオ(สวั๋สดีเจ้า)は、チェンマイ語の女性の挨拶(標準語はサワディーカ)です
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【昔のチェンマイの写真】1994年に街を襲った大洪水

1994年の大洪水の時のチェンマイ チェンマイの風景
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1994年の9月、チェンマイは大洪水に見舞われた。

この年、自分はタートーン(国道107号線をチェンマイから180kmほど北上したところにある、チェンラーイとのボートトリップの発着点がある村)からさらに北の山岳地帯を旅していたのだが、そこでは大量の雨が降り、家屋の流出、山崩れ、道路の崩壊、田畑の浸水などかなりの被害が出ていた。

そして旅を終えチェンマイに戻ってみると、そうした地方に降った雨がピン川に集まり南下した結果、水位は今にも川岸を越えそうなところまで高くなっていた。

それから数日たったある日、ついに川の水はあふれ出し川沿いのチェンマイ・ラムプーン通り(国道106号線)やナイトバザールのあるチャルンプラテート通り付近だけでなく、その周囲の一帯にも押し寄せ街の中心部全体が水に浸かった。

自分はこの時チャルンプラテート通りにあるポーンピンタワーホテル(現メリアチェンマイ)に宿泊していたのだがホテルを1歩出ると道は川のようになっており、いつもたむろしているトゥクトゥクもどこかに避難してしまったのかまったく見あたらず外出にたいへん苦労した。

また市内の別の場所からホテルに戻る時も行先を告げると乗車拒否が相次ぎ、浸水していない場所で車を降りてそこから先は膝上まで水に浸かりながら歩いた。

堤防の建設や川底の浚渫など河川改良工事が進められたので、現在では市内が洪水になることはまずない。

【注】一部写真は反転しています

クアレック橋付近から見たピン川

ローイクロ通りを東進したところに当時建設中だった「クアレック橋(鉄橋)」の上やその周辺から見たピン川の様子。

1994年の大洪水の時のチェンマイのクアレック橋
クアレック橋と洪水直前のピン川
1994年の大洪水寸前のピン川の流れ
1994年の大洪水寸前のピン川の流れ
1994年の大洪水寸前のピン川の流れ
1994年の大洪水寸前のピン川川岸
1994年の大洪水寸前のピン川とホテル
右側はダイヤモンドホテル(現在は青緑色の壁)
1994年の大洪水寸前のピン川
1994年の大洪水寸前のピン川とナワラット橋
ナワラット橋と当時絶賛販売中だったフローラルコンド
1994年の大洪水寸前のピン川とナワラット橋

チェンマイ・ラムプーン通り(国道106号線)

1994年の大洪水寸前のピン川と国道106号線
手前がピン川、柵の向こう側がチェンマイ・ラムプーン通り
1994年の大洪水の時のリムピンスーパーそば
リムピンスーパーナワラット店のすぐ北
1994年の大洪水の時のDUKE'Sレストランそば
現在DUKE’Sレストランあたり(?)
1994年の大洪水の時のDUKE'Sレストランそば

チャルンプラテート通り

1994年の大洪水の時のチャルンプラテート通り
ナイトバザールのやや南、現シャングリラホテルあたり
1994年の大洪水の時のチャルンプラテート通り
1994年の大洪水の時のチャルンプラテート通り

ソイ(路地)

1994年の大洪水のチェンマイ市内の路地
1994年の大洪水のチェンマイ市内の路地
1994年の大洪水のチェンマイ市内の路地

人々

1994年の大洪水のチェンマイ市内を歩くOL
1994年の大洪水のチェンマイ市内を歩く親子
1994年の大洪水のチェンマイ市内を取材中の記者
取材中の新聞記者
1994年の大洪水のチェンマイ市内の自転車
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