チェンマイ市内北西部のサンティタムと呼ばれているエリアに家(部屋)を借りてからもうかれこれ7~8年になるかと思うのだが、元旦の朝はいつもタムブンに参加すると決まっている。
タムブンは、「タム(積む)」、「ブン(功徳)」という意味で、日本語では積徳行と訳されるようだ。
「タイ事典」によれば、
とのことである。
サンティタムにはワット(寺院)・サンティタムという結構大きな寺院があり、普段から早朝に僧侶が街の中を托鉢して歩いており、それに食事などを供養する人々の姿が見られるのだが、元旦の朝に限ってハーイェーク(ห้าแยก=5叉路)・サンティタムと呼ばれているロータリーを閉鎖して、住民と僧侶が一堂に会してタムブンを行っている。
今年の元旦も、友人たちとそれに参加した。
タムブンは、大晦日の夜に僧侶に供養するものを準備することから始まる。
今回もスーパーで飲料水、牛乳、インスタントラーメンなどを買ってきて、ビニール袋に詰めておいた。
タイでは縁起がいいと言われる数の9にちなんで19袋準備した。
そして元旦当日、朝6時に起床してシャワーを浴びて身を清めた後、バイクでサンティタムのロータリーに向かった。
ロータリーにはすでに大勢の人が集まっていた。
僧侶が座るロータリーの中央を取り囲むように、イスやテーブルが置かれている。
スマホをいじったり、近所の人と新年のあいさつをしたりして僧侶の到着を待つ。
そうこうしているうちに、僧侶たちが寺院の方向からやって来て、ロータリー中央に置かれたイスに座っていった。
僧侶が席につくと、線香と花が手渡された。
しばらくして、司会者(檀家代表?)の男性のアナウンスに続いて読経が始まり、それに合わせて人々が手を合わせる。
お経には、人々はただ黙って手を合わせるもの、僧侶と一緒に唱えるもの、僧侶の後に続いて唱えるものといったいくつかの種類があるのだが、自分にはその区別はつかない。
というか、ほとんどのお経がパーリ語(インド西部起源の上座部仏教経典に用いられる文語)なので、そもそも何を言っているのかさえさっぱりわからないのだが。
30分ほどの読経が続くと、いよいよ僧侶への供養である。
テーブルの前に出て、立って僧侶の通る道を開けて両脇に人々が立つ。
僧侶に供養する時は、多くの人が靴を脱いでその上に立つか直接地面に足をつける。
僧侶の人数が多いので、供養物をかごに入れてバラで持って来ている人もいる。
人々が作った列の間を僧侶が鉢を抱えてゆっくりと通って行き、人々は供養物を額につけ祈りを捧げてから鉢の中に入れていく。
自分は僧侶全員の鉢には入れられないので、顔を見て「この人はご利益がありそうだ」と思った人の鉢の中に供養物を入れた。
人々が次から次へと供養物を入れるので、鉢はすぐにいっぱいになってしまう。
そのため、僧侶の脇にはずだ袋を持ったお付きの人がいて、僧侶は鉢の中のものをポイポイその中に投げ入れていく。
そのずだ袋もすぐにいっぱいになってしまうので、新しい袋が次から次へと渡されていく。
何か、日本人からすると供養物が粗末に扱われているようで、正直言ってあまりいい気持はしないのだが……
ちなみに、これだけのものを受け取ってしまうと、当然寺院だけでは消費しきれない(中には、タラート(市場)で買ってきたのかビニール袋に入った普通のおかずや炊いたご飯、日持ちしないパン類などを入れる人もいる)。
そのため、余ったものは恵まれない人々に分け与えたり、この後すぐの1月第2土曜日の子供の日に孤児院に配ったりするのだそうだ。
ちゃんと相互扶助の機能が働いている、ということなのかも。
供養物を渡し終ったらそこにただ残っていても徳は積めないので、タムブンが続いていても人々は帰ってしまう。
こうしていつものように元旦恒例の行事が終了し、すがすがしい気持ちで自分にとって新しい1年がまた始まるのであった。
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