ラック(luck=運、ツキ)が落ちている。
あまりにも個人的なことなのでここには書かない(書けない)が、とにかく運から見放されている感じ。
おまけに、というか運がないからなのか、だから運がないのか、鶏が先か卵が先かみたいな話でよくわからないが、健康状態までイマイチである。
大げさに言えば、心身ともにボロボロの状態だ。
気分転換を兼ねて友人のところに遊びに行ってこの話をしたところ「サダクロを受けたらどうだ?」と言われた。
「サダクロ」という言葉は初めて聞いたので家に戻ってタイ日大辞典で調べてみると、「สะเดาะเคราะห์=頭に聖水をふりかけたりして厄払いの儀式をする」という意味だそうだ。
また、別の辞書にはサダ(สะเดาะ)は「破壊する、妨害する」、クロ(เคราะห์)は「運、運勢、運命」と書かれていた。
ちなみに、プライベートレッスンを受けているタイ語の先生に後で教えていただいたのだが、チェンマイ市内中心部のターペー門からちょっと南にローイクロ通りという道があり途中にワット・ローイクロという寺院もある。
これは、ローイ(ลอย)は「浮かぶ、漂う」、クロは上記と同じということで、やはり「悪運を払う、水に流す」とかいう意味になるそうだ。
そんな場所にバービア(bar beer=主にファラン(欧米人)客を相手にした女性のいる飲み屋)がたくさんあるっていうのも、やはりそういうことだろうか(どういうことだ?(笑))
サダクロの儀式というのは受けたことも見たこともないのでこれはおもしろそうだ、というのと、とりあえずそれで運がよくなれば……という仏様にもすがる気もちで、友人に電話して「やってみたい」と言うと、「予約をしなければならないので日時が決まったら連絡する」という返事だった。
その後数日して友人から電話があり、とある土曜日の朝に言われた場所へと向かった。
市内北部にある名刹、ワット・チェットヨートである。
15世紀に建立された「7つの尖塔の寺院」という名のこの寺院は、西暦1477年には世界中の僧侶が集まって仏典の編集会議を開催したこともある名刹で、おそらくほとんどのガイドブックに紹介されているのではないだろうか。
この堂は仏陀が悟りを開いた場所であるインドのブッダガヤにある仏塔を模して建造されたと言われているのだが、現地に行ったことのある人はわかると思うがまったく似ても似つかない形をしている。
これは、ワットチェットヨートの堂は間違った遠近法で描かれた絵をもとに造られたから、というのが理由らしい。
友人と落ち合って向かったのは、この7つの尖塔のある堂とはぜんぜん別の場所のグティ(僧院)の一角にある建物だった。
中に入ってみると雑然としており、儀式を行うような雰囲気ではない。
仏像がズラリと並べられた一角もある。
街なかの食堂や商店など人が多く集まるところによく置かれている、寄進のお札をたくさんつける木のようなものも何本もあった。
すでに先客が5人ほどいて、お坊さんが来るのを待っていた。
中にいた寺男のおじさんに友人が何かを告げると、儀式に使うのであろうものをこちら渡し「そのまましばらく待つように」と言った。
これを儀式に使うようだ。
友人はお盆を受け取ると「洋服を出すように」と自分に言った。
予約が入ったと電話をもらった時に「普段着ているシャツとかを1枚持って来るように」と言われていたのだ。
持って来た青いシャツを出すと、お盆の下に敷いてある新聞紙の間に入れた。
さて、肝心のサダクロ(厄祓い)の儀式なのだが、友人に写真撮影を頼んでおいたもののぜんぜんいい写真がなくとてもアップするのには耐えらえないので、自分の前にやっていた人のものをここでは紹介する。
基本的には誕生日とかのタムブン(徳積行)とそれほど大きく違うわけではないが、仏像から伸ばしたサーイシン(สายสิญจน์=白い聖紐)をお坊さんが自分の頭にグルグルと巻きつけて何やらお祈りをしてくれたのは、新築祝いとかを除くと普通はやらない儀式であった。
サーイシン(白い聖紐)を伝わって、仏像からの法力が自分の頭経由で体の中に入って来るということだろうか。
「頭はタイ人にとってすごく大切な場所なので、たとえ子供であってもむやみやたらに頭をなでたりしてはいけない」とか「タクシーやトゥクトゥクを呼び止める時に手は頭より下の位置に伸ばすようにする」とかよく言われるが、こういう儀式のやり方を体験すると確かにそうなんだろうと改めて感じさせられる。
自分が順番の最後だったので、儀式が終わった後でお坊さんと少し雑談する。
いつもそうなのだが、話すのは「日本に行く飛行機代はいくらか?」とか、結構俗っぽい内容だ。
自分が体調が思わしくないと言うと、「これで具合の悪いところを洗いなさい」と言って聖水の入ったビニール袋をくれた。
中には花や木の実が入っていて香水のような甘い香りがする。
これで、サダクロ(厄祓い)は無事にが終わった。
あとは、本当に厄が祓われるのを待つばかりだ。
せっかくここまで来たのだから、7つの尖塔を持つ堂にもお参りする。
そして街に戻ったら、お参り後の定番である宝くじを購入だ。
残念ながら、宝くじは当たらなかった。
お寺に行った目的がサダクロ(厄祓い)なのだから、当然かもしれないが。
ともあれ、少なくとも気分的にはずいぶんとスッキリとして友人にお礼を言って別れ、自宅へと戻った。
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