*写真はお濠の中のチェンマイ旧市街のほぼ中央にあるマンラーイ王廟(お墓)
767年 | ロッブリー(中部タイ)王朝の王女チャマデヴィーによって招かれた隠者たちによってラムプーン(ハリプンチャイ)が建設される<注:9世紀はじめとの説もあり> |
1239年 | マンラーイ王(在位:1259年~1317年)生まれる |
1259年 | マンラーイ王がグン・ヤーンの王となる |
1262年 | マンラーイ王、チェンセーンからチェンラーイに遷都 |
1268年 | マンラーイ王、ファーンに居住し、チェンコーンへの派兵を指揮する |
1281年 | マンラーイ王、ハリプンチャイ王国を制服 |
1288年 | マンラーイ王、首都をヴィアン・クムカームに移す |
1296年 | マンラーイ王、チェンマイを建設 |
1345年 | パー・ユ王(在位:1337年~1355年)がワット・プラ・シンを建立。その息子のクー・ナ王治世から始まるラーンナー王朝黄金時代の基礎を築く |
1371年 | クー・ナ王(在位:1335年~1385年)が、ラーンナー文化に大きな影響を与えたシンハラ(スリランカ)系仏教の僧侶プラ・スマーナ・テラのためにワット・スアン・ドークを建立する |
1385年 | セーン・ムアン・マー王(在位:1385年~1401年)、アユタヤの攻撃を退ける |
1387年 | セーン・ムアン・マー王、スコータイに攻撃をしかけるが、失敗に終わる |
1405年 | サム・ファン・ケーン王(在位:1401年~1441年)、雲南の軍隊を撃退し、ラーンナー王朝を統合する |
1449年 | ティロカラート王(在位:1441年~1487年)、ナーンを征服しラーンナー王朝絶頂期を迎える。この王の時代、数々の仏教美術が制作され、寺院が建立された |
1477年 | 第8回世界仏教徒会議がワット・チェット・ヨートで開催される。仏法経典が改訂され、ラーンナー文化の発展が頂点に達する |
1495年 | ムアン・ケオ王(在位:1495年~1526年)、美術などへのサポートを熱心に行うラーンナー王朝最後の王となる。その後継者であるチェタラット王(在位:1526年~1538年、1543年~1545年)は彼の息子により退位させられいったんは王位を退くが、後に再び王位につくものの、結局は暗殺される |
1545年 | 地震により、ワット・チェディルアンがダメージを受ける。シャン王朝の王子とアユタヤからチェンマイが攻撃されるがともに退ける |
1546年 | ランサーン王国の首都ルアンプラバーンのセッタティラート王、侵略によってラーンナー王朝の王位につくが、1年後父親が死去したためラオスに戻る。このころ、周辺の都市の豪族とラーンナー王国との間で市民戦争が頻発する |
1551年 | ローカルの首長によって支配者として招かれたプラ・メクティ(在位:1551年~1564年)が圧迫的な支配を行いはじめる。彼は“市の柱”への参拝を禁止し、このことがチェンマイの未来を不幸なものにしたと考えれている |
1558年 | チェンマイ、戦うことなしにビルマに征服される。マンラーイ王の血をひいた最後の末裔メクティ王子はビルマの家臣としてその力を残す |
1564年 | メクティ王子、ビルマに対して反乱を試みるが失敗に終わり、退位させられる。それ以降、バインナウン王によってアユタヤが征服するまで、チェンマイはそのための基地として利用される |
1598年 | アユタヤ王朝のナレスアン王(在位:1590年~1605年)、チェンマイを征服する |
1614年 | チェンマイ、ビルマによって征服される |
1661年 | アユタヤ王朝のナライ王(在位:1656年~1688年)チェンマイを奪還し、わずかの期間支配下に収める |
1767年 | ビルマ、アユタヤを破壊する。タクシン王はトンブリーで再び軍を結成しその力を蓄える |
1774年 | チェンマイのプラヤー・チャバンとラムパーンのチャオ・カーヴィラ、シャム王朝の助けを得てビルマを撃破する |
1776年 | チェンマイ、廃墟となる |
1796年 | チャオ・カーヴィラ(在位:1781年~1815年)、チェンマイを再建する |
1868年 | チュラロンコーン王(ラマ4世、在位1868年~1910年)タイを近代国家にするためのさまざまな政策を実行する |
1871年 | チャオ・インタヴィチャヤノーン(在位:1871年~1897年)、チェンマイの半独立した最後の王となる |
1874年 | シャム王朝の高等弁務官、ラーンナーの支配権を完全に奪いはじめる |
1885年 | 電報がチェンマイにも届くようになる |
1892年 | シャム王朝、ラーンナーを“モントン・パヤップ”という支配構造の中に組み入れる |
1893年 | フランス、シャムにラオスを割譲させる。その地域の中にはかつてラーンナー王朝が支配していたエリアも含まれていた |
1902年 | タイ北部最後の独立運動として、シャン族による反乱が起きる |
1921年 | 鉄道がチェンマイまで敷設される。義務教育制度が作られる |
1932年 | チェンマイ、シャムの一地方となる |
1946年 | ブミポン・アデュンヤデート、シャムのラマ9世となる(タイランドという名前が公的に認められたのは1949年) |
≪参考文献≫
Hans Penth 「A Brief History of Lan Na」 Silkworm Books
Oliver Hargreave 「Exploring Chiangmai ~City,Valley&Mountains~」 Within Books
Michael Map 「Windows Of Chiangmai ~The Hidden Treasure~」
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